マッカで啓示された

[بِسْمِ اللَّهِ الرَّحْمَـنِ الرَّحِيمِ ]

 (慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。

 

[وَالْعَـدِيَـتِ ضَبْحاً - فَالمُورِيَـتِ قَدْحاً - فَالْمُغِيرَتِ صُبْحاً - فَأَثَرْنَ بِهِ نَقْعاً - فَوَسَطْنَ بِهِ جَمْعاً - إِنَّ الإِنسَـنَ لِرَبِّهِ لَكَنُودٌ - وَإِنَّهُ عَلَى ذَلِكَ لَشَهِيدٌ - وَإِنَّهُ لِحُبِّ الْخَيْرِ لَشَدِيدٌ - أَفَلاَ يَعْلَمُ إِذَا بُعْثِرَ مَا فِى الْقُبُورِ - وَحُصِّلَ مَا فِى الصُّدُورِ - إِنَّ رَبَّهُم بِهِمْ يَوْمَئِذٍ لَّخَبِيرٌ ]

 (1. 吐く息荒く進撃する(馬)において(誓う)。) (2. 蹄に火花を散らし、) (3. 暁に急襲して、) (4. 砂塵を巻き上げ、) (5. (敵の)軍勢の真っ只中に突入する時。) (6. 本当に人間は、自分の主に対し恩知らずである。) (7. それに就き、かれは誠に証人であり、) (8. また富を愛することに熱中する。) (9. かれは墓の中のものが発き出される時のことを知らないのか。) (10. また胸の中にあるものが、暴露されるのを。) (11. 本当に主は、その日、かれらに就いて凡て知っておられる。)

 

 人間が恩知らずであることと、富に夢中であることを、戦いの馬によって誓うこと 

 アッラーは、かれの道(すなわちジハード)における戦いに駆け足で進められている時の馬によって誓われている。馬は駆け、走る馬からは喘ぎが聞こえる。

 

[فَالمُورِيَـتِ قَدْحاً ]

 ( 蹄に火花を散らし、)   岩に蹄を打ち、火の粉を飛ばしているということ。

 

[فَالْمُغِيرَتِ صُبْحاً ]

 ( 暁に急襲して、)  早朝に遂行する急襲のこと。アッラーの使徒 {saw} は早朝の急襲をよく行っていたためである。彼はそこの人々からアザーン(礼拝への呼びかけ)が聞こえてくるかどうかが分かるまで待ち、聞こえたらそのままにし、聞こえなかったら攻撃した。

 それからアッラーは仰せられる、

  

[فَأَثَرْنَ بِهِ نَقْعاً ]

 ( 砂塵を巻き上げ、)  戦闘の場で馬がおこす砂ぼこりのこと。

[فَوَسَطْنَ بِهِ جَمْعاً ]

 ( 真っ只中に一丸となって突入する)  その時、みなが一緒になってその場の真ん中にいるということである。

 

 アッラーの御言葉

[فَالْمُغِيرَتِ صُبْحاً ]

 ( 暁に急襲して、)  イブン アッバース、ムジャーヒド、カターダ らは言った、「これは暁、アッラーの道に馬が侵入することである。」

 そして、かれの御言葉

[فَأَثَرْنَ بِهِ نَقْعاً ]

 ( 砂塵を巻き上げ、)  これは攻撃が起こっている場所である。砂ぼこりが舞い上がっている。

 そしてかれの御言葉

[فَوَسَطْنَ بِهِ جَمْعاً ]

 ( 真っ只中に一丸となって突入する) アル・アウフィ は、イブン アッバース、アター、イクリマ、カターダ、アッダッハーク らが、「これは敵の不信者の真ん中に、という意味である」 と述べたと伝えている。

 アッラーの御言葉

[إِنَّ الإِنسَـنَ لِرَبِّهِ لَكَنُودٌ ]

 ( 本当に人間は、自分の主に対し恩知らず(カヌード)である。)  これが(上述の事柄によって)誓われている主題で、人は主の恩恵に感謝せず、拒否するということである。 イブン アッバース、ムジャーヒド、イブラーヒーム アン・ナハイ、アブ アル・ジャウザ、アブ アル・アーリヤ、アブ アッ・ドハー、サイード ビン ジュバイル、ムハンマド ビン カイス、アッ・ダッハーク、アル・ハサン、カターダ、アッ・ラビーゥ ビン アナス、イブン ザイド らは言った、「アル・カヌードは恩知らずのことである。」 アル・ハサンは言った、「アル・カヌードは (自分に降った) 惨禍を数える者で、彼はアッラーがよくして下さった事は忘れている。」

 

 

 アッラーの御言葉

[وَإِنَّهُ عَلَى ذَلِكَ لَشَهِيدٌ ]

 ( そしてそれに就き、かれ(かれ)は誠に証人であり、)   について、カターダ と スフヤーン アッ・サウリ は言った、「そして、まことに、アッラーはそれについての証人であられる。」  また、かれという代名詞が人間を指していることもあり得る。ムハンマド ビン カアブ アル・クラズィがそう述べている。従って、人は恩知らずであるという事実について人間自身が証人であるという意味になる。これは様子、つまり人の言動から明らかである。

 これは、アッラーが次のように仰せられているのと同じことである、

[مَا كَانَ لِلْمُشْرِكِينَ أَن يَعْمُرُواْ مَسَاجِدَ الله شَـهِدِينَ عَلَى أَنفُسِهِم بِالْكُفْرِ]

 (アッラーのマスジドの管理は多神教徒たちにさせるべきではない。彼らは自ら不信心を立証しているのだから。) (9:17)

 アッラーは仰せられた、

[وَإِنَّهُ لِحُبِّ الْخَيْرِ لَشَدِيدٌ ]

 ( そして、まことに人間は、富の愛に激しい。)  「そして、まことに、利益、つまり富を愛することについては人間は容赦がない」 ということである。これについては二つの意見がある。一つは人間は富に対する愛が猛烈であるという意味。もう一つの見方は、人間は富を愛するために貪欲で、出し惜しみをするという意味であるという。両方とも正しい。

 

 来世についての脅威

 それからアッラーは、世俗の物について節制し来世のために努力することを奨励される。この現在の状況の後の事態がどのようになるか、人がどんな恐怖と向き合うか、をお知らせになる。

 かれは仰せられる、

[أَفَلاَ يَعْلَمُ إِذَا بُعْثِرَ مَا فِى الْقُبُورِ ]

 ( かれは墓の中のものが発き出される時のことを知らないのか。)   その中にいる死人が外に出される、ということ。

 

[وَحُصِّلَ مَا فِى الصُّدُورِ ]

 ( また胸の中にあるものが、暴露されるのを。)  イブン アッバース と他の人々は言った、「これは、彼らの魂にあるものがあばかれ、明らかにされるということである。」

 

[إِنَّ رَبَّهُم بِهِمْ يَوْمَئِذٍ لَّخَبِيرٌ ]

 ( 本当に主は、その日、かれらに就いて凡て知っておられる。)  かれは彼らがしていたことを全部ご存知で、かれはそれに対して最もふさわしい報酬で彼らに補償を与えられる、ということである。かれは、いかなる小さな不公平なこともなされない。

 これでアル・アーディヤートのタフスィールを終える。すべての称賛と感謝はアッラーにあれ。