マッカ啓示で啓示された

 

[بِسْمِ اللَّهِ الرَّحْمَـنِ الرَّحِيمِ ]

 慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。

 

[عَمَّ يَتَسَآءَلُونَ - عَنِ النَّبَإِ الْعَظِيمِ - الَّذِى هُمْ فِيهِ مُخْتَلِفُونَ - كَلاَّ سَيَعْلَمُونَ - ثُمَّ كَلاَّ سَيَعْلَمُونَ - أَلَمْ نَجْعَلِ الاٌّرْضَ مِهَـداً - وَالْجِبَالَ أَوْتَاداً - وَخَلَقْنَـكُمْ أَزْوَجاً - وَجَعَلْنَا نَوْمَكُمْ سُبَاتاً - وَجَعَلْنَا الَّيْلَ لِبَاساً - وَجَعَلْنَا النَّهَارَ مَعَاشاً - وَبَنَيْنَا فَوْقَكُمْ سَبْعاً شِدَاداً - وَجَعَلْنَا سِرَاجاً وَهَّاجاً - وَأَنزَلْنَا مِنَ الْمُعْصِرَاتِ مَآءً ثَجَّاجاً - لِّنُخْرِجَ بِهِ حَبّاً وَنَبَاتاً - وَجَنَّـتٍ أَلْفَافاً ]

 (1. 何事に就いて, かれらは尋ね合うのか。) (2. 偉大な消息に就いて。) (3. それに就いて,かれらは意見が異なる。) (4.  いや,かれらはやがて知ろう) (5. いや,いや,かれらはやがて知るであろう。) (6. われは大地を,広々としなかったか。) (7. また山々を,杭としたてはないか。) (8. われはあなたがたを両性に創り,) (9. また休息のため,あなたがたの睡眠を定め,) (10. 夜を覆いとし,) (11. 昼を生計の手段として定めた。) (12. またわれは,あなたがたの上に堅固に7層(の天)を打ち建て,) (13. 輝やかしい灯し火を(その中に)置き,) (14. われは雲から豊かに雨を降らせ,) (15. それによって,殻物や野菜を萠え出させ,) (16. 様々な園を茂らせる。)

 

 審判の日が来ることを否定する偶像崇拝者たちへの反証  

 偶像崇拝者が審判の日に起こる事を否定して問いただしてくることについて、アッラーは仰せられた、

[عَمَّ يَتَسَآءَلُونَ - عَنِ النَّبَإِ الْعَظِيمِ ]

 ( 何事に就いて, かれらは尋ね合うのか。- 偉大な消息に就いて。)  何について彼らは尋ねるのか、彼らは審判の日の事について尋ねている、重大な知らせについてである、という意味。つまり、恐ろしく、ぞっとするような、圧倒されるような情報を意味する。

 

[الَّذِى هُمْ فِيهِ مُخْتَلِفُونَ ]

 (それに就いて,かれらは意見が異なる。)  人々はそれについて意見が二つに分かれている、ということ。 それを信じる人々と信じない人々がいる。アッラーは次のように仰せられ、審判の日を否定する人々に警告された、 

[كَلاَّ سَيَعْلَمُونَ - ثُمَّ كَلاَّ سَيَعْلَمُونَ ]

 ( いや,かれらはやがて知ろう - いや,いや,かれらはやがて知るであろう。)  これは厳粛な警告、直接的な通告である。

 

 

 アッラーの御力について言及、死者を甦らせることが出来ることの証明

 それから、アッラーは、驚異的なものを創造することができるかれの偉大な御力について説明される。かれはそうして、ほかの事柄同様、来世の事でも、望みのことは何もかもできることを証明される。 アッラーは仰せられた、

[أَلَمْ نَجْعَلِ الاٌّرْضَ مِهَـداً ]

  (6. われは大地を,広々としなかったか。)  人々のための安らぎの休息所として定めた、ということ。

[وَالْجِبَالَ أَوْتَاداً ]

  (7. また山々を,杭としたてはないか。)  かれは山を大地をその場に留め、動かないように安定させるための杭とされた、ということ。そうされたのは住むのにふさわしい場所とし、人々を揺らさないためである。それからアッラーは仰せられた、

 

[وَخَلَقْنَـكُمْ أَزْوَجاً ]

 (8. われはあなたがたを両性に創り,)  男女を創り、両方が互いを享受するようにされた、ということである。そして、これにより生殖がなされる。これは次のアッラーの御言葉と似ている、

[وَمِنْ ءايَـتِهِ أَنْ خَلَقَ لَكُم مِّنْ أَنفُسِكُمْ أَزْوَجاً لِّتَسْكُنُواْ إِلَيْهَا وَجَعَلَ بَيْنَكُم مَّوَدَّةً وَرَحْمَةً]

 (またかれがあなたがた自身から,あなたがたのために配偶を創られたのは,かれの印の一つである。あなたがたはかの女らによって安らぎを得るよう(取り計らわれ),あなたがたの間に愛と情けの念を植え付けられる。) (30:21)

 

[وَجَعَلْنَا نَوْمَكُمْ سُبَاتاً ]

 (9. また休息のため,あなたがたの睡眠を定め,)  決まった仕事や日中糧を求めて外に出た後で体を休めるため、活動を休止するということ。 フルカーン章で似たような節が挙げられた。

[وَجَعَلْنَا الَّيْلَ لِبَاساً ]

 (夜を覆いとし,)  その影と暗さが人々を覆う、ということ。 これはアッラーが次のように仰せられたことと同じである、

[وَالَّيْلِ إِذَا يَغْشَـهَا ]

 (それを覆う夜において,) (91:4) カターダは注釈をつけている、

[وَجَعَلْنَا الَّيْلَ لِبَاساً ]

 (夜を覆いとし,)  静かな住処、ということ。 これは次のアッラーの御言葉に関連して述べている。

[وَجَعَلْنَا النَّهَارَ مَعَاشاً ]

 ( 昼を生計の手段として定めた。)  「人々が動き回ることができるように、われはそれを光と明るさで輝くようにした。」 ということ。 それによって、人々は同様に彼らの暮らし、稼ぎ、商売の取引や他の事柄のために行ったり来たりすることができる。

 アッラーの御言葉

[وَبَنَيْنَا فَوْقَكُمْ سَبْعاً شِدَاداً ]

 (またわれは,あなたがたの上に堅固に7層を打ち建て,)  に関しては、固定した星や移動する星で装飾された、広大で、高く、完全性、精密さを伴う七つの天ということである。  こうして、アッラーは仰せられる、

[وَجَعَلْنَا سِرَاجاً وَهَّاجاً ]

  ( 輝やかしい灯し火を(その中に)置き,)  全世界に光を供給する輝く太陽のことである。その光は地球上のすべての人々のために輝いている。それからアッラーは仰せられた、

 

[وَأَنزَلْنَا مِنَ الْمُعْصِرَاتِ مَآءً ثَجَّاجاً ]

 (われはムゥスィラートからサッジャージュに水を降らせ,)  アリ ビン アビ タルハ は、イブン アッバースがこう言ったと記録している、「ムゥスィラートから というのは、雲から のことである。」 イクリマ、アブ アル・アリヤ、アッダッハーク、アル・ハサン、アッラビーウ ビン アナス、アッサウリ、もこれと同じことを述べており、イブン ジャリールもこれを選択している。アル・ファッラ は言った、「それは雨水で満ちた雲であるが、雨を齎さない。月経の時が近づくがまだ月経の始まらないムゥスィルと呼ばれる女性のようなものである。」 これはアッラーがこのように仰せられたことのようである、

 

[اللَّهُ الَّذِى يُرْسِلُ الرِّيَـحَ فَتُثِيرُ سَحَاباً فَيَبْسُطُهُ فِى السَّمَآءِ كَيْفَ يَشَآءُ وَيَجْعَلُهُ كِسَفاً فَتَرَى الْوَدْقَ يَخْرُجُ مِنْ خِلاَلِهِ]

 (アッラーこそは,風を送りそれで雲を起こされる御方であられる。それから御心のままに天にそれを広げ,粉微塵にそれを打ち砕かれる。するとあなたは,その間から出て来る雨滴を見る。) (30:48)  その真ん中から、という意味である。

 アッラーの御言葉

[مَآءً ثَجَّاجاً]

 (サッジャージュな水)  について、ムジャーヒド、カターダ、アッラービゥ ビン アナス らみなは言った、「サッジャージュ は、ほとばしり出ることである。」 アッサウリ は 「ひっきりなし」 と言った。 イブン ザイドは 「豊かな」 と言った。 月経の出血が長引いている女性のハディースでは、アッラーの使徒 {saw} は彼女にこのように言っている、

 

«أَنْعَتُ لَكِ الْكُرْسُف»

 (自分のために吸収力のある布を作ってはどうか。)  「その部分に綿を着なさい。」 ということである。 女性は応えた、「アッラーの使徒よ、そうするにしても、(出血は) 多すぎるのです。本当におびただしく (サッジャ) 流れ出ています。」  ここから、サッジャ という語が 「豊か」「ひっきりなし」「よどみなく流れること」 を意味するのに使われていることがうかがえる。アッラーがもっともよくご存知であられる。

 

 アッラーは仰せられた、

 [لِّنُخْرِجَ بِهِ حَبّاً وَنَبَاتاً - وَجَنَّـتٍ أَلْفَافاً ]

 (それによって,殻物や野菜を萠え出させ,- アルファーフな園を茂らせる。)  「それでわれはこの水から大いに多数のもの、良いもの、益となるもの、祝福を齎そう。」 ということである。

 

[حَبّاً]

 (殻物)  これは、人間と家畜(の使用)のために保存されるものに触れている。

 

[وَنَبَاتاً]

 (や野菜)  生で食される野菜である。

[وَجَنَّـتٍ]

 (園)  色の異なった、味や香りが様々な、多種多様な果実の園、である。 地上では一箇所に集められることはないが。

 だからアッラーは仰せられた、

[وَجَنَّـتٍ أَلْفَافاً ]

 (アルファーフな園)   イブン アッバース や他の者は言った、「アルファーフは集められた、という意味である。」

 これは次に挙げるアッラーの御言葉と似ている、

[وَفِى الاٌّرْضِ قِطَعٌ مُّتَجَـوِرَتٌ وَجَنَّـتٌ مِّنْ أَعْنَـبٍ وَزَرْعٌ وَنَخِيلٌ صِنْوَنٌ وَغَيْرُ صِنْوَنٍ يُسْقَى بِمَآءٍ وَحِدٍ وَنُفَضِّلُ بَعْضَهَا عَلَى بَعْضٍ فِى الاٍّكُلِ إِنَّ فِى ذلِكَ لآيَـتٍ لِّقَوْمٍ يَعْقِلُونَ ]

 (また地上には、隣り合う(が相異った)地域がある。ブドウの園、穀物の畑、一つの根から出た、またはそうでないナツメヤシの木、同じ水で灌漑されても、食物としてあるものを外のものよりも優れたものになさる。本当にこの中には、理性ある人びとにとって印がある。) (13:4)

 

 

[إِنَّ يَوْمَ الْفَصْلِ كَانَ مِيقَـتاً - يَوْمَ يُنفَخُ فِى الصُّورِ فَتَأْتُونَ أَفْوَاجاً - وَفُتِحَتِ السَّمَآءُ فَكَانَتْ أَبْوَباً - وَسُيِّرَتِ الْجِبَالُ فَكَانَتْ سَرَاباً - إِنَّ جَهَنَّمَ كَانَتْ مِرْصَاداً - لِّلطَّـغِينَ مَـَاباً - لَّـبِثِينَ فِيهَآ أَحْقَاباً - لاَّ يَذُوقُونَ فِيهَا بَرْداً وَلاَ شَرَاباً - إِلاَّ حَمِيماً وَغَسَّاقاً - جَزَآءً وِفَـقاً - إِنَّهُمْ كَانُواْ لاَ يَرْجُونَ حِسَاباً - وَكَذَّبُواْ بِـَايَـتِنَا كِذَّاباً ]

[وَكُلَّ شَىْءٍ أَحْصَيْنَـهُ كِتَـباً - فَذُوقُواْ فَلَن نَّزِيدَكُمْ إِلاَّ عَذَاباً ]

 (17. 本当に裁きの日は定められていて,) (18. その日,ラッパが吹かれるとあなたがたは群をなして出て来る。) (19. 天は開かれて数々の門となり,) (20. 山々は移されて蜃気楼のようになる。) (21. 本当に地獄は,待ち伏せの場であり,) (22. 背信者の落ち着く所,) (23. かれらは何時までもその中に住むであろう。) (24. そこで涼しさも味わえず,(どんな)飲物もない,) (25. 煮えたぎる湯と膿の外には。) (26. (かれらのため)相応しい報奨である。) (27. 本当にかれらは,(その行いに対する)清算を希望しないでいた。) (28. またかれらはわが印を嘘であると言って,強く拒否した。) (29. われは一切のことを,天の書に留めている。) (30. だからあなたがたは(自分の行いの結果を)味わえ。われは懲罰を増加するばかりである。)

 

 裁きの日とその日に起こることの説明

 アッラーは裁きの日 -それは審判の日である- について、その時は定められ予め指定された日取りであると仰せられている。その時は伸ばされもしなければ短縮されることもない。 アッラー以外にその正確な時を知る者はいない。

 これは次のようにアッラーが仰せられた通りである、

[وَمَا نُؤَخِّرُهُ إِلاَّ لاًّجَلٍ مَّعْدُودٍ ]

 (それは定められた一期のために過ぎず,われはそれを遅延させない。) (11:104)

[يَوْمَ يُنفَخُ فِى الصُّورِ فَتَأْتُونَ أَفْوَاجاً ]

 (その日,ラッパが吹かれるとあなたがたは群をなして出て来る。)  ムジャーヒド は、「集団が次から次へと」 と言った。 イブン ジャリールは、こう言った、「これはそれぞれの国が (そこに遣わされた) 使徒と共に出て来るということである。それは次のようなアッラーの御言葉と同じようなことである、

[يَوْمَ نَدْعُواْ كُلَّ أُنَاسٍ بِإِمَـمِهِمْ]

 (その日われは凡ての人間を,その導師と共に(審判のため)召集する。) (17:71) 」 

 アル・ブハーリー は、

[يَوْمَ يُنفَخُ فِى الصُّورِ فَتَأْتُونَ أَفْوَاجاً ]

 (その日,ラッパが吹かれるとあなたがたは群をなして出て来る。)  というアッラーの御言葉の説明に関して、アブ フライラ が伝えた アッラーの使徒による次の言葉を 報告している、

«مَا بَيْنَ النَّفْخَتَيْنِ أَرْبَعُون»

 (二度吹かれる間は40である。)  誰かがたずねた、「それは四十日ですか、アブ フライラよ。」 しかし、彼 (アブ フライラ) は 「そのことについては述べない」 と言って、返答するのを拒んだ。 それから人々は、「それは四十ヶ月ですか。」 とたずねたが、彼 (アブ フライラ) は 「そのことについては述べない」 と言って、返答するのを拒んだ。 彼らは再びたずねた、「それは四十年ですか。」  しかし彼 (アブ フライラ) は 「そのことについては述べない」 と言って、返答するのを拒んだ。 (アブ フライラは付け加えた) 「それから預言者は続けて言われた、 

 

«ثُمَّ يُنْزِلُ اللهُ مِنَ السَّمَاءِ مَاءً فَيَنْبُتُونَ كَمَا يَنْبُتُ الْبَقْلُ، لَيْسَ مِنَ الْإنْسَانِ شَيْءٌ إِلَّا يَبْلَى، إِلَّا عَظْمًا وَاحِدًا، وَهُوَ عَجْبُ الذَّنَبِ، وَمِنْهُ يُرَكَّبُ الْخَلْقُ يَوْمَ الْقِيَامَة»

 (そしてアッラーは空から雨を降らされ、死者の体は、ちょうど緑の植物が芽を出すのと同じように、芽を出す。最終の人のあらゆる部位は、一本の骨を除いて劣化する。そして、それは尾骨の骨(尾骨)である。そこから、審判の日被造物は集められる。) 」と。

 

[وَفُتِحَتِ السَّمَآءُ فَكَانَتْ أَبْوَباً ]

 ( 天は開かれて数々の門となり,)   天使が降下する道、道筋のことである。

 

[وَسُيِّرَتِ الْجِبَالُ فَكَانَتْ سَرَاباً ]

 (山々は移されて蜃気楼のようになる。)  これは次に挙げるアッラーの御言葉と同様のことである、

[وَتَرَى الْجِبَالَ تَحْسَبُهَا جَامِدَةً وَهِىَ تَمُرُّ مَرَّ السَّحَابِ]

 (あなたは山々を見て堅固であると思うだろう。だがそれは雲が散るように通り過ぎていくのである。) (27:88)

 かれはまた仰せられている、

[وَتَكُونُ الْجِبَالُ كَالْعِهْنِ الْمَنفُوشِ ]

 (また山々が,梳かれた羊毛のようになる(日である)。) (101:5)

 そして、アッラーはここで仰せられている、

[فَكَانَتْ سَرَاباً]

 (蜃気楼のようになる。)   山々は、見ると何らかであるように見えるが、実際は何でもないということである。この後、山々は完全に取り除かれる。何も見ることができない。そして、跡形もない。  これはアッラーが次のように仰せられたことと同様である、

[وَيَسْـَلُونَكَ عَنِ الْجِبَالِ فَقُلْ يَنسِفُهَا رَبِّى نَسْفاً - فَيَذَرُهَا قَاعاً صَفْصَفاً - لاَّ تَرَى فِيهَا عِوَجاً وَلا أَمْتاً ]

 (かれらは山に就いて,あなたに問うであろう。そこで言ってやるがいい。「わたしの主は,それを粉々にして捲き散らされる。かれは,それを平らな平地になされ,そこには,曲りも凹凸も見ないでしょう。」) (20:105-107)

 そして、かれは仰せられる、

[" وَيَوْمَ نُسَيِّرُ الْجِبَالَ وَتَرَى الاٌّرْضَ بَارِزَةً]

 (われが山々を移させるその日,あなたがたは大地が平らになるのを見るであろう。) (18:47)

 それからアッラーは仰せられる、

[إِنَّ جَهَنَّمَ كَانَتْ مِرْصَاداً ]

 (本当に地獄は,待ち伏せの場であり,)  地獄は準備して待っている、という意味である。

[لِلطَّـغِينَ]

 (背信者のため)  これは使徒に反抗し拒否した者のことである。

[مَـَاباً]

 (落ち着く所)  帰り着くところ、最終的な行き先、最終結果、住まい、である。

 アッラーは仰せられた、 

[لَّـبِثِينَ فِيهَآ أَحْقَاباً ]

 (かれらはアフカーブの間その中に住むであろう。 )  彼らはその中にアフカーブの間留まるであろう、ということである。アフカーブは、フクブの複数形で、フクブはある期間のことである。 

 イブン ジャリールの記録によると、カーリド ビン マダンは言った、「この節と、この節

[إِلاَّ مَا شَآءَ رَبُّكَ]

 (あなたの主の御好みにならない以上, ) (11:107) は両方とも、the people of Tawhل0d.について触れている。 」

 イブン ジャリールはまた、サーリムがアル・ハサンが次のアッラーの御言葉についてたずねられているのを聞いたときのことを記録している。

 

[لَّـبِثِينَ فِيهَآ أَحْقَاباً ]

 ( かれらはアフカーブその中に住むであろう。)  アル・ハサンはこう言ったという、 「アフカーブ については、業火の中に永遠にという一般的な意味以外には、時間の特定の長さはわからない。しかしながら、フクブが七十年であること、その一日一日が私たちの数える(現世の)千年のようであることは記されている。」 

 

 サイード が報告するには、カターダは言った、「アッラーが仰せられたこのこと、

[لَّـبِثِينَ فِيهَآ أَحْقَاباً ]

 (かれらはアフカーブその中に住むであろう。) (78:23)  それには終わりはないということである。一つの区切りの期間が終わりに来ても、新しい期間が続く。フクブは八十年であると言われている。」

 

 アッラービゥ ビン アナス は言った、

[لَّـبِثِينَ فِيهَآ أَحْقَاباً ]

 「(かれらはアフカーブその中に住むであろう。)  は、このアフカーブがどれだけ長い時であるのか、強大で崇高なアッラー以外は誰も知らない。フクブの一単位は八十年であると言われており、一年は360日、一日は私たちの数える(現世の)千年に等しい。」 イブン ジャリールは今挙げた二つとも記録している。

 

  アッラーの御言葉、

[لاَّ يَذُوقُونَ فِيهَا بَرْداً وَلاَ شَرَاباً ]

 ( そこで涼しさも味わえず,(どんな)飲物もない,)  は、彼らは地獄でいささかの冷たさも、飲むためのよい飲み物も見出さない。

 そして、アッラーは仰せられた、

[إِلاَّ حَمِيماً وَغَسَّاقاً ]

  (ハミーム と カッサーク の外には。) アブ アル・アーリヤは言った、「ハミームは冷たさについての例外とされている。そして、ガッサークは飲物についての例外である。」 アッラビーゥ ビン アナスも同じことを述べた。 ハミームについて、それは最大温度と沸点に達した熱である。ガッサークは、業火の人々の膿、汗、涙、傷から集められている。 またそれは耐えられないほど冷たい上、ひどい悪臭がある。アッラーが慈悲と恵み深さにより私たちをそこから救ってくださいますよう。

 そして、かれは続けられている、

[جَزَآءً وِفَـقاً ]

  (相応しい報奨である。)  彼らに起こるこの懲罰は、彼ら自身が現世で行っている不正な行いによるものである、という意味であると ムジャーヒド、カターダ、その他の何人かが述べている。

 

 それから、アッラーは仰せられた、

[إِنَّهُمْ كَانُواْ لاَ يَرْجُونَ حِسَاباً ]

 (本当にかれらは,(その行いに対する)清算を希望しないでいた。) (78:27)  は、彼らは彼らが勘定される住まいがある事を信じなかったということである。

[وَكَذَّبُواْ بِـَايَـتِنَا كِذَّاباً ]

 ( またかれらはわが印を嘘であると言って,キッザーバ)  は、彼らはアッラーが使徒たちに啓示した、被造物への印や証拠を否定したものであった、という意味である。そして、彼らはこれらの証拠に、反抗心と頑固さを持って向き合った。

  かれの御言葉、

[كِذَّاباً]

 (キッザーバ)  は、拒否を意味し、 動詞に由来しない動名詞であると考えられている。

 アッラーは仰せられた、

[وَكُلَّ شَىْءٍ أَحْصَيْنَـهُ كِتَـباً ]

 ( われは一切のことを,天の書に留めている。)   は、「まことに、われは全被造物の行いを知っていて、その行いについて記録している。われはこの記録に基づいて報奨を授ける。」 ということである。 行いがよければ報奨も善く、行いが悪ければ報奨も悪いものとなる。

 アッラーは仰せられている、

[فَذُوقُواْ فَلَن نَّزِيدَكُمْ إِلاَّ عَذَاباً ]

 ( だからあなたがたは(自分の行いの結果を)味わえ。われは懲罰を増加するばかりである。)  これは、業火の人々は 「あなたが入っているところのものを味わえ。われはあなたに何も増すことはない。その(罪の)種類に応じた苦しみやそれと同じような物のほかは。」 と言われるということである。 アブ アイユーブ アル・アズディ から カターダ が報告していることによると、アブドッラー ビン アムル は言った、「アッラーが啓示された節の中で、この節

[فَذُوقُواْ فَلَن نَّزِيدَكُمْ إِلاَّ عَذَاباً ]

 ( だからあなたがたは(自分の行いの結果を)味わえ。われは懲罰を増加するばかりである。) ほど業火の住人にとって激しいものはない。」 それから彼は言った、「彼らは永遠に増え続ける懲罰の中にいるのだ。」

 

 

[إِنَّ لِلْمُتَّقِينَ مَفَازاً - حَدَآئِقَ وَأَعْنَـباً - وَكَوَاعِبَ أَتْرَاباً - وَكَأْساً دِهَاقاً - لاَّ يَسْمَعُونَ فِيهَا لَغْواً وَلاَ كِذَباً - جَزَآءً مِّن رَّبِّكَ عَطَآءً حِسَاباً ]

 (31. 本当に主を畏れる者には,安全な場所(楽園)がある。) (32. 緑の園や,ブドウ園,) (33. 胸の脹れた同じ年頃の乙女たち,) (34. またなみなみと溢れる杯。) (35. そこではつまらぬ話や偽り言を聞かない。) (36. これらはあなたの主からの報奨,賜物の決算である。)

 

 偉大な成功はタクワを持つ人々のためのものとなる

 アッラーは幸福な人々と彼らを尊重してアッラーが用意されているものと永久に続く満足について知らせている。

 アッラーは仰せられている、

[إِنَّ لِلْمُتَّقِينَ مَفَازاً ]

 ( 本当にタクワを持つ者には,安全な場所(楽園)a successがある。)  イブン アッバース と アッダッハーク は言った、「楽しみ寛ぐ場所」  ムジャーヒド と カターダ は言った、「彼らは成功したので、業火から救われる。」 ここでもっとも的を射ているのは、イブン アッバース が言った意味のほうである。なぜなら、アッラーはこの後に次のように仰せられたからである、

[حَدَآئِقَ]

 (ハダーイク)  そして、ハダーイク はナツメヤシ や その他の園である。

[حَدَآئِقَ وَأَعْنَـباً - وَكَوَاعِبَ أَتْرَاباً ]

 (や、ブドウ園,- カワーイブ アトゥラーブ)   は、大きな目をして胸が完全に大きくなった処女のことである。 イブン アッバース、ムジャーヒド、ほかにも何人かが言った、

[كَواعِبَ]

 (カワーイブ)  「これは丸い胸という意味である。これにより、その少女たちは同じ年頃の処女なので、胸は十分に丸く、垂れ下がっていないということが表現されている。つまり、かれらの年は均一であるということである。」 これについての説明はアル・ワーキア章のところですでになされている。」

 次のアッラーの御言葉について、

[وَكَأْساً دِهَاقاً ]

 ( またディハーク杯。)  イブン アッバース は 「ひっきりなしに満たされる」 と言い、イクリマ は 「純粋な」 と言い、ムジャーヒド、アル・ハサン、カターダ、イブン ザイド らは、

[دِهَاقاً]

 (ディハーク) 「これは完全に満たされた、という意味である。」 と言った。

 それからアッラーは仰せられている、

[لاَّ يَسْمَعُونَ فِيهَا لَغْواً وَلاَ كِذَباً ]

 (そこではラグウや偽り言を聞かない。)  これは次に挙げるアッラーの御言葉と同様のことを言っている。

[لاَّ لَغْوٌ فِيهَا وَلاَ تَأْثِيمٌ]

 

أي: ليس فيها كلام لاغٍ عَارٍ عن الفائدة، ولا إثم كذب، بل هي دار السلام، وكل كلام فيها سالم من النقص.

 (その時にもラグウにふけることなく,罪を犯すこともない(日本ムスリム協会の訳:乱暴も犯さない) 。) (because it will be legal for them to drink) (52:23)  は、そこではつまらぬ、価値のない話も、一つの罪のある嘘もないという意味である。それどころか、それは平安の住まいでそこにあるすべてには欠陥は何もない。

 

 アッラーはそれから仰せられる。

[جَزَآءً مِّن رَّبِّكَ عَطَآءً حِسَاباً ]

 ( これらはあなたの主からの報奨,賜物の決算である。)  つまり、「これが、われがあなたがたに伝えていたもの、アッラーが彼らに報奨として何を与えるかと伝えていたものである。かれのご厚意でかれからそれを受け取ることが出来るのである。それはかれからの親切、慈悲、贈り物、報酬である。十分で、適切で、幅広く、あり余るほどであろう。」  アラブ人は 「彼は私に与えてくれ、彼は私を満足させた。」 と言う。 それは、「彼が十分に私に供給してくれた」 という意味である。 ここから、「アッラーは私にとって十分である」 という言い方をするのである。

   

 

[رَّبِّ السَّمَـوَتِ وَالاٌّرْضِ وَمَا بَيْنَهُمَا الرَّحْمَـنِ لاَ يَمْلِكُونَ مِنْهُ خِطَاباً - يَوْمَ يَقُومُ الرُّوحُ وَالْمَلَـئِكَةُ صَفّاً لاَّ يَتَكَلَّمُونَ إِلاَّ مَنْ أَذِنَ لَهُ الرَّحْمَـنُ وَقَالَ صَوَاباً - ذَلِكَ الْيَوْمُ الْحَقُّ فَمَن شَآءَ اتَّخَذَ إِلَى رَبِّهِ مَـَاباً - إِنَّآ أَنذَرْنَـكُمْ عَذَاباً قَرِيباً يَوْمَ يَنظُرُ الْمَرْءُ مَا قَدَّمَتْ يَدَاهُ وَيَقُولُ الْكَافِرُ يَـلَيْتَنِى كُنتُ تُرَباً ]

 (37. 天と地,そしてその間の凡てのものの主,慈悲深き御方(からの賜物であり),誰もかれに語りかけることは出来ない。) (38. 聖霊と天使たちが,整列して立つ日,慈悲深き御方から御許しを得て正しいことを言う者以外には,誰も口をきくことが出来ない。 ) (39. それは真実の日である。だから誰でも望む者は,主の御許に戻るがいい。) (40. 本当にわれは,懲罰が近いと,あなたがたに警告した。その日,人は,自分の両方の手が前もって行ったもの(所業)を見るであろう。不信者は,「ああ,情けない,わたしが塵であったならば。」と言うであろう。)

 

 アッラーの御前で誰も話す勇気はない -- 天使さえも - まずお許しを受けなければ

 アッラーは、ご自分の壮大さと威厳について、そして、かれが天と地の主、そして天と地にある物とその間にある物の主であることをお知らせになる。かれがもっとも恵深いお方で、その慈悲は凡てのものを覆い尽くすと述べられている。 そして、仰せられる、

[لاَ يَمْلِكُونَ مِنْهُ خِطَاباً]

 (誰もかれに語りかけることは出来ない。) は、かれの御許しがなければ誰もかれに話しかけることが出来ないという意味である。

 これは次のようにアッラーが仰せられたことと同様である、

[مَن ذَا الَّذِى يَشْفَعُ عِندَهُ إِلاَّ بِإِذْنِهِ]

 (かれの許しなくして,誰がかれの御許で執り成すことが出来ようか。) (2:255)

 また、次の御言葉とも同様である、

[يَوْمَ يَأْتِ لاَ تَكَلَّمُ نَفْسٌ إِلاَّ بِإِذْنِهِ]

 (その日が来れば,誰もかれの許しがなければ発言することは出来ない。) (11:105)

[يَوْمَ يَقُومُ الرُّوحُ وَالْمَلَـئِكَةُ صَفّاً لاَّ يَتَكَلَّمُونَ]

 (聖霊と天使たちが,整列して立つ日,誰も口をきくことが出来ない。) (78:38)  聖霊(ルーフ) という語はここでは天使ジブリールのことを指している、とアッシャビ、サイード ビン ジュバイル、アッダッハーク が述べている。 これはアッラーが次のように仰せられたことと同様のことである、  

[نَزَلَ بِهِ الرُّوحُ الاٌّمِينُ - عَلَى قَلْبِكَ لِتَكُونَ مِنَ الْمُنْذِرِينَ ]

 (誠実な聖霊がそれをたずさえ、 あなたの心に(下した)。それであなたは警告者の1人となるために、) (26:193-194)  ムカティル ビン ハイヤン は言った、「アッルーフは、天使の中でももっとも崇高なもの、主にもっとも近いもので、啓示を伝えたものである。」

 

 アッラーは仰せられた、

[إِلاَّ مَنْ أَذِنَ لَهُ الرَّحْمَـنُ]

 (アッラフマーンから御許しを得た者以外には)  これは、アッラーの次のような御言葉と同様のことである、

[يَوْمَ يَأْتِ لاَ تَكَلَّمُ نَفْسٌ إِلاَّ بِإِذْنِهِ]

 (その日が来れば,誰もかれの許しがなければ発言することは出来ない。) (11:105)

 これはサヒーフで立証されていることと同様である。預言者 {saw} は言った、

«وَلَا يَتَكَلَّمُ يَوْمَئِذٍ إِلَّا الرُّسُل»

 (そしてその日使徒たちのほかは誰も話さない。) 

 アッラーは仰せられた、

[وَقَالَ صَوَاباً]

 (そして正しいことを言う)  つまり、真実である。 そして、その真実には、アッラー以外に崇拝に値する神は何もないという事実がある、と アブ サーリフ と イクリマ が述べている。 

[ذَلِكَ الْيَوْمُ الْحَقُّ]

 (それは真実の日である。) このアッラーの御言葉は、その日はめぐって来ることになっていて、避けることはできない、という意味である。

[فَمَن شَآءَ اتَّخَذَ إِلَى رَبِّهِ مَـَاباً]

 (だから誰でも望む者は,主の御許に戻るがいい。) 主の御許の場所を求めさせるがよい。  は、帰り着くところ、かれが導かれる道、かれの御許へ行くために通る道、のことである。

 

 審判の日は近い

 アッラーは仰せられた、

[إِنَّآ أَنذَرْنَـكُمْ عَذَاباً قَرِيباً]

 (本当にわれは,懲罰が近いと,あなたがたに警告した。)  は、審判の日のことである。 その出来事は近づいたという事を強調するためにここで言及されている。こちらへ来ていることすべては確かに起こるのである。

[يَوْمَ يَنظُرُ الْمَرْءُ مَا قَدَّمَتْ يَدَاهُ]

 (その日,人は,自分の両方の手が前もって行ったもの(所業)を見るであろう。)  は、行いの凡てはその人に提示されるだろう、ということである。善い事も悪いことも、古いことも新しいことも。 これは、アッラーの次のような御言葉と同様のことである、

 

[وَوَجَدُواْ مَا عَمِلُواْ حَاضِرًا]

 (かれらはその行った(凡ての)ことが,かれらの前にあるのを見る。) (18:49)

 また次の御言葉とも同様である、

[يُنَبَّأُ الإِنسَـنُ يَوْمَئِذِ بِمَا قَدَّمَ وَأَخَّرَ ]

 (その日(凡ての)人間は,既に行ったことと,後に残したことに就いて告げられるであろう。) (75:13)  

 

 それからアッラーは仰せられる、

[وَيَقُولُ الْكَافِرُ يَـلَيْتَنِى كُنتُ تُرَباً]

 (不信者は,「ああ,情けない,わたしが塵であったならば。」と言うであろう。)  は、不信者はその日、「死ぬ前の世でただの塵であったならよかったのに」 と願うだろう、という意味である。彼は、創造されていなければよかった、存在していなかったならよかった、と願うのである。それは、アッラーの懲罰を見、天使たちのなか気高く正しい書記によって記された彼の行った悪事の記録を見る時のことである。 アッラーが現世の動物たち全部に関して裁きを言い渡すとき、彼は只そのことだけを願う、と言われている。かれは公正な英知を持って彼らの間の事柄を正しく処理され、誰も不当な扱いを受けることはない。角のない羊さえ、角のある羊に対してあだを討つことを許される。

 そして、彼らの裁きを終えると、かれ(アッラー)は彼ら(動物)に向かって、「塵となれ」 と仰せられる。したがって彼らは塵となる。これを見て不信者は言うのである、

[يَـلَيْتَنِى كُنتُ تُرَباً]

 (わたしが塵であったならば。)  「私も動物であればよかった。そうすれば塵に帰されるのに。」 ということである。これの同じ類のことがアッスールのよく知られたハディースで報告されている。アブ フライラ、アブドッラー ビン アムル、とその他の者もこれについて伝えている記録がある。

 これで アン・ナバア章のタフスィールを終える。アッラーにすべての称賛と感謝あれ。かれは成功を授けてくださるお方、間違いから守ってくださるお方であられる。