マッカで啓示された
[بِسْمِ اللَّهِ الرَّحْمَـنِ الرَّحِيمِ ]
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
[الْقَارِعَةُ - مَا الْقَارِعَةُ - وَمَآ أَدْرَاكَ مَا الْقَارِعَةُ - يَوْمَ يَكُونُ النَّاسُ كَالْفَرَاشِ الْمَبْثُوثِ - وَتَكُونُ الْجِبَالُ كَالْعِهْنِ الْمَنفُوشِ - فَأَمَّا مَن ثَقُلَتْ مَوَزِينُهُ فَهُوَ فِى عِيشَةٍ رَّاضِيَةٍ وَأَمَّا مَنْ خَفَّتْ مَوَزِينُهُ فَأُمُّهُ هَاوِيَةٌ وَمَآ أَدْرَاكَ مَا هِيَهْ نَارٌ حَامِيَةٌ ]
(1. アル・カーリア(恐れ戦く日)) (2. 恐れ戦く日とは何か。) (3. 恐れ戦く日が、何であるかをあなたに理解させるものは何か。) (4. (それは)人間が飛散する蛾のようになる日。) (5. また山々が、梳かれた羊毛のようになる(日である)。) (6. それで、かれの秤が(善行で)重い者は、) (7. 幸福で満ち足りて暮らすであろう。) (8. だが秤の軽い者は、) (9. 奈落が、かれの里であろう。.) (10. それが何であるかを、あなたに理解させるものは何か。) (11. (それは)焦熱(地獄)の火。)
アル・カーリア は、アル・ハーッカ、アッ・ターンマ、アッ・サーッハ、アル・ガーシヤ 等のように審判の日の名の一つ
アッラーは次のように述べて、それに対する懸念と恐怖を強めておられる、
[وَمَآ أَدْرَاكَ مَا الْقَارِعَةُ ]
( アル・カーリアが、何であるかをあなたに理解させるものは何か。) それから次のように仰せられて説明される。
[يَوْمَ يَكُونُ النَّاسُ كَالْفَرَاشِ الْمَبْثُوثِ ]
( 人間が飛散する蛾のようになる日。) 起こっている事にうろたえて、人間が四散し、分離し、行き来する様子である。 人間は飛散する蛾のようになる。 これはアッラーが次のように仰せられているのと同様のことである、
[كَأَنَّهُمْ جَرَادٌ مُّنتَشِرٌ]
(丁度イナゴが散らばるように) (54:7)
アッラーは仰せられた、
[وَتَكُونُ الْجِبَالُ كَالْعِهْنِ الْمَنفُوشِ ]
( また山々が、梳かれた羊毛のようになる。) 山々は、すり減って(消えそうで)ばらばらになり始めている梳かれた羊毛のようになる、という意味である。
ムジャーヒド、イクリマ、サイード ビン ジュバイル、アル・ハサン、カターダ、アター アル・フラサニ、アッ・ダッハーク、アッ・スッディ らは、
[كَالْعِهْنِ]
( イフヌのように ) 「羊毛の」 と言った。
それからアッラーは行いをした人々が受ける結果と、人々が行いによって受ける栄誉と不名誉について述べられている。
彼は仰せられる、
[فَأَمَّا مَن ثَقُلَتْ مَوَزِينُهُ ]
( それで、秤が重い者は、) 善行が悪行よりも多い、という意味である。
[فَهُوَ فِى عِيشَةٍ رَّاضِيَةٍ ]
( 幸福で満ち足りて暮らすであろう。) 楽園で、ということである。
[وَأَمَّا مَنْ خَفَّتْ مَوَزِينُهُ ]
( だが秤の軽い者は、) 悪行が善行よりも多い 、という意味である。
アッラーは仰せられる、
[فَأُمُّهُ هَاوِيَةٌ ]
( かれの母はハーウィヤであろう。 ) これは、その人は業火の中へ真っ逆さまに転げ落ちるという意味で、『彼の母』 という表現は彼の脳 (脳は頭の源(母)であるため) を指すのに用いられている、と言われている。 これと同様の文言が イブン アッバース、イクリマ、アブ サーリフ、カターダ によって報告されている。 カターダは、「彼は頭から業火に落ちるだろう」 と言った。アブ サーリフも同じように、「彼らは頭から業火に落ちるだろう」 と言った。またそれは、彼が来世で戻り挙句の結果となる母はハーウィヤであるという意味で、ハーウィヤは業火の名の一つである、とも言われている。 イブン ジャリールは言った、「アル・ハーウィヤはただ、そこ以外に彼には住処がないために、彼の母と呼ばれている。」 イブン ザイドは、「アル・ハーウィヤは火で、それが彼の母となり、彼が戻る住処、落ち着くところとなる」 と言ってから、次の節を読んだ、
[وَمَأْوَاهُمُ النَّارُ]
(かれらの住み家は業火である。) (3:151) イブン アビ ハーティムが述べるには、カターダは「それは火で、それが彼らの住処である」と言った。
そして、アッラーはアル・ハーウィヤの意味を説明される。
[وَمَآ أَدْرَاكَ مَا هِيَهْ ]
( それが何であるかを、あなたに理解させるものは何か。)
アッラーの御言葉
[نَارٌ حَامِيَةٌ ]
( ハーミヤの火。) 極限の熱を意味する。 強い火炎を伴う熱である。
預言者 {saw} が次のように言ったことをアブ フライラが伝えている。
«نَارُ بَنِي آدَمَ الَّتِي تُوقِدُونَ، جُزْءٌ مِنْ سَبْعِينَ جُزْءًا مِنْ نَارِ جَهَنَّم»
( あなた方皆が燃やすアーダムの子の火は、地獄の火の70の部分のうちの1つである。) 彼ら(教友たち)は言った、「アッラーの使徒よ、それは十分ではないのですか。」 彼は答えた、
«إِنَّهَا فُضِّلَتْ عَلَيْهَا بِتِسْعَةٍ وَسِتِّينَ جُزْءًا»
(それよりも69多い。) これはアル・ブハーリーとムスリムによって記録されている。
いくつかの文言では次のように述べている、
«إِنَّهَا فُضِّلَتْ عَلَيْهَا بِتِسْعَةٍ وَسِتِّينَ جُزْءًا، كُلُّهُنَّ مِثْلُ حَرِّهَا»
(それよりも69多く、その一つ一つがそれと同じような熱である。)
イマーム アフマドがアブ フライラが伝えたこととして記録したハディースでは、預言者 {saw} は次のように述べている、
«إِنَّ أَهْوَنَ أَهْلِ النَّارِ عَذَابًا مَنْ لَهُ نَعْلَانِ، يَغْلِي مِنْهُمَا دِمَاغُه»
( まことに、業火の人々の中でもっとも軽い責苦を受ける者は、2足のサンダルを持つ者で、それは彼の脳を沸騰させる )
二つのサヒーフに収録されている、アッラーの使徒が言ったこと
«اشْتَكَتِ النَّارُ إِلَى رَبِّهَا فَقَالَتْ: يَا رَبِّ أَكَلَ بَعْضِي بَعْضًا، فَأَذِنَ لَهَا بِنَفَسَيْنِ: نَفَسٍ فِي الشِّتَاءِ، وَنَفَسٍ فِي الصَّيْفِ، فَأَشَدُّ مَا تَجِدُونَ فِي الشِّتَاءِ مِنْ بَرْدِهَا، وَأَشَدُّ مَا تَجِدُونَ فِي الصَّيْفِ مِنْ حَرِّهَا»
(業火は主に不平を言う、「主よ、私のうちのいくつかの部分が、他の部分をむさぼっています。」 それでかれ(アッラー)は業火に呼吸を二つするのを許された。冬に1つ、夏に1つ。従って、あなたが冬に経験する最も厳しい寒さはその寒さから来る。そして、あなたが夏に経験する最も厳しい熱はその熱から来る。)
二つのサヒーフには、彼が次のように言ったことが記録されている、
«إِذَا اشْتَدَّ الْحَرُّ فَأَبْرِدُوا عَنِ الصَّلَاةِ، فَإِنَّ شِدَّةَ الْحَرِّ مِنْ فَيْحِ جَهَنَّم»
(熱が厳しくなった時には、それがおさまったら礼拝をしなさい。なぜなら、本当に、激しい熱は地獄の呼吸から来ているから。)
これでスーラト アル・カーリアのタフスィールを終える。すべての称賛と感謝はアッラーにあれ。