マッカで啓示された

[بِسْمِ اللَّهِ الرَّحْمَـنِ الرَّحِيمِ ]

 慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。

 

[أَلَمْ تَرَ كَيْفَ فَعَلَ رَبُّكَ بِأَصْحَـبِ الْفِيلِ - أَلَمْ يَجْعَلْ كَيْدَهُمْ فِى تَضْلِيلٍ - وَأَرْسَلَ عَلَيْهِمْ طَيْراً أَبَابِيلَ - تَرْمِيهِم بِحِجَارَةٍ مِّن سِجِّيلٍ - فَجَعَلَهُمْ كَعَصْفٍ مَّأْكُولِ ]

 (1. あなたの主が,象の仲間に,どう対処なされたか,知らなかったのか。) (2. かれは,かれらの計略を壊滅させられたではないか。) (3. かれらの上に群れなす数多の鳥を遣わされ,) (4. 焼き土の礫を投げ付けさせて,) (5. 食い荒らされた藁屑のようになされた。)

 

 これはアッラーがクライシュ族に施された恩恵の一つである。かれは、カアバを破壊し、それが存在したという痕跡すべてを一掃しようとしていた象の民から、クライシュ族を救われた。アッラーは彼らを打ち砕いて負かされた。計画を妨害して彼らの努力を無駄にし、壊滅させて送り返した。彼らはキリスト教徒であったので、彼らの宗教はクライシュ族の偶像崇拝よりも真の宗教(イスラーム)に近かった。しかしその出来事は、印を与え、次に来るべきアッラーの使徒への道を開くためのものであった。もっともよく知られている見解では、アッラーの使徒はまさにそれと同じ年の間に生まれたのである。運命の舌はこう語っていたのだ、「クライシュ族の人々よ、われはあなた方がエチオピア人(アビシニア人)の上にいるためにあなた方を助けているのではない。われがあなた方を助けているのは、ただ古代からの家(カアバ)を守るためである。われは読み書きのできない預言者ムハンマドを遣わしてその家に栄誉を与え、大きくし、尊いものにするであろう。彼は預言者の封印となる。」

 

 象の民についての物語の要約

 これは象の民について短く要約した物語である。坑の住人の物語のところで述べたが、彼ら(坑の住人)を殺すように命じたのはヒムヤルの最後の王で多神教徒のズー ヌワースであった。彼らはキリスト教徒でおよそ二万人いたが、ダウス ズー サアルバーンという名の男性を除いては誰も逃れられなかった。彼はアッ・シャームへ逃げ、そこの皇帝でキリスト教徒であったカエサルに保護を求めた。カエサルは、ダウス ズー サアルバーンの故郷の近くにいるエチオピア(アビシニア)の王アン・ナジャーシーに書簡を送った。アン・ナジャーシーは、自分と共に二人の総督 アルヤート と アブラハ ビン アッ・サバーフ アブ ヤクスームを大きな軍といっしょに送った。軍はイエメンに入り、ヒムヤルの王 (ズー ヌワース) を探して家々を回り始め、略奪した。ズー ヌワースはついに海に溺れて殺害された。このようにして、エチオピア人は、アルヤート と アブラハを総監として、イエメンを自由に支配できるようになった。しかしながら彼らは絶えず物事について意見が合わず、互いに攻撃し、争い、戦っていた。そしてしまいには、一方が他方に言った、「我々の二つの軍が戦う必要はない。代わりに、我々が(決闘の)戦いをしよう。相手を殺した者がイエメンの統治者になる。」  言われた側はその挑戦を受け、彼らは決闘をした。それぞれの背後には(どちらも逃げられないようにするため)水路があった。アルヤートが上手を取り、アブラハを剣で刺し、鼻と口を裂き、顔に切り込んだ。しかしアブラハの守衛アタウダがアルヤートに襲い掛かり、殺した。従って、アブラハは怪我を負ってイエメンに戻り、怪我の治療を受けて回復した。彼は、このようにしてイエメンにおけるアビシニア軍の指揮官となった。

 アビシニア王アン・ナジャーシーは彼に手紙を書き、(彼とアルヤートの間で)起きたことについて彼を責め、「イエメンの土を踏み、あなたの前髪を切ることを誓う」と言って彼を脅した。そこでアブラハは、使いと一緒にアン・ナジャーシーを喜ばせて懐柔するための贈り物や貴重な品々を送った。それに、イエメンの土を入れた袋と自分の前髪を切ったものも持たせた。王への手紙には、このようにしたためた、「王はこの土の上をお歩きになり、誓いをお果たし下さい。そして、こちらは私の前髪で、あなたにお送りします。」 アン・ナジャーシーはこれを受け取るとアブラハに満足したので、承認を与えた。するとアブラハはアン・ナジャーシーに手紙を書き、これまで建てられたことがないような教会を彼のためにイエメンに建てると言った。そうして、サナアに巨大な教会を建て始めた。それは高く、美しく巧みに作られていて、至る所に装飾が施されていた。アラブ人はそれをアル・クッライスと呼んだ。 たいへん高さがあるために、それを見ると頭を後ろに傾いで頭に被っている物が落ちてしまうからである。アブラハ アル・アシュラムは、アラブ人たちに強制的にこの巨大な教会へ巡礼させることを決意した。彼らがマッカのカアバへ巡礼に行くように。アブラハはこのことをその王国(イエメン)で宣言したが、アドナーンとカフターンのアラブ部族は拒んだ。  クライシュ族はそれを聞いてあまりの激怒に、そのうちの一人がある夜教会へ行って中に入り、用を足して逃げた。そこを管理していた者たちは彼がしたことを見、 王アブラハにこう言って報告した、「クライシュ族の一人の者が、あなたが彼らの家の代わりにこの教会を指定したことで怒って、これをしました。」 アブラハはこれを聞いて、マッカの家 (アル・カアバ) に行軍し、一石一石破壊することを誓った。

 ムカーティル ビン スライマーンは、クライシュ族の青年の一団が教会に入り、とても風の強い日にその中で火を起こしたと述べている。そして教会は火に包まれ、地面に崩れ落ちた。

 これにより、アブラハは準備をし、彼が任務を果たすのを誰も阻むことができないように、巨大で強力な軍とともに出発した。 彼は一頭の大きくて力強い象を連れていたが、それは見たこともないような巨体であった。この象はマハムードと呼ばれ、アビシニア王アン・ナジャーシーから、この遠征のために特別にアブラハに送られていた。彼は別に八頭の象も連れていたと言われている。その数は12頭に大きいマハムードが一頭とも言われているが、アッラーがもっともよくご存知であられる。彼らはこの大きな象をアル・カアバの破壊に使おうとしていた。アル・カアバの柱に鎖を巻きつけ、鎖の反対の端を象の首につける計画で、象に引かせてアル・カアバの壁を全部一度に倒壊させる。アラブ人はアブラハの遠征について耳にした時、非常にたいへんな事態であると思った。彼らは、聖なる家を守ることは自分たちに課せられた義務であると考え、それに対して陰謀をたくらむ者を撃退しなければならないと感じていた。そして、イエメンの人々のうちもっとも気高く長のうちでもっとも偉い者が彼(アブラハ)に立ち向かおうと乗り出した。彼の名はズー ナフルである。彼はアラブ人に、アブラハと戦闘し、聖なる家を守るために戦うことに応じるようにと呼びかけた。彼は、アル・カアバを壊し倒壊させようというアブラハの計画を止めさせようと、人々に呼びかけた。人々は彼に応え、アブラハとの戦いに取り掛かったが、彼は彼らを負かした。それはアッラーが望まれたことで、アル・カアバを尊いものにするというかれの御意思のためである。

 

 ズー ナフルは捕らえられ、アブラハの軍といっしょに連れて行かれた

 軍は行軍を続け、ハスアムの地へたどり着き、そこで ヌファイル ビン ハビーブ アル・ハシュアミー と その民シャフラーン族とナーヒス族に立ち向かった。彼らはアブラハと戦ったが、アブラハは彼らを打ち破り、ヌファイル ビン ハビーブを捕虜にした。始め、アブラハは彼を殺害したいと思ったが、彼を許してアル・ヒジャーズへの案内として連れて行った。

 彼らがアッ・ターイフの地域に近づくと、その民 -- タキーフの民 -- がアブラハのところへ出てきた。彼らはアブラハをなだめたいと思っていた。彼らはアッ・ラートと呼ぶ自分たちの崇拝の場のことを心配していたためである。アブラハは彼らに親切にし、彼らはアブ リガールという名の男性を案内として彼といっしょに遣わした。 マッカ近くのアル・ムガムスとして知られる場所に着くと、そこに落ち着いた。それから、彼はマッカの人々のラクダと他の草食動物を捕らえるために軍を略奪に行かせ、それを実行した。アブドル-ムッタリブに属するおよそ200頭のラクダも含まれていた。この特別隊の指揮官はアル・アスワド ビン マフスードという名の者であった。イブン イスハークが述べたことによると、アラブ人の一部には、(この歴史的事件で彼が行った役割のために) 彼を諷刺する習慣があったという。それから、アブラハはマッカに入るためにハナータ アル・ヒムヤリーという名の特使を行かせたが、クライシュ族の長を連れてくるように命じていた。また、アル・カアバを破壊するのをマッカの人々が妨害しない限り、王はマッカの人々と戦うつもりはないことを長に伝えるように命じた。ハナータは町へ行くと、アブドル-ムッタリブ ビン ハーシムのところへ行くように言われた。ハナータは彼にアブラハの伝言を知らせた。アブドル-ムッタリブは答えた、「アッラーに誓って、私たちは彼と戦うことを望んでいないし、そうする立場にいるのでもない。これはアッラーの聖なる家で、かれの友イブラーヒームの家である。もしかれが彼(アブラハ)に(破壊するのを)やめさせようと望まれれば、それはかれ家で(それを行うのに)かれの聖なる場所である。そしてもし、かれがアブラハをそれに近づかせるなら、アッラーに誓って、私たちにはそれを彼から守る手段は何もない。」 ハナータは彼に言った、「私と一緒に(アブラハのところへ)来なさい。」 それでアブドル-ムッタリブは彼と一緒に行った。アブドル-ムッタリブは大きくて顔立ちの美しい人だったので、アブラハは彼を見て印象づけられた。アブラハは自分の席から降りて地面の上に敷かれた絨毯に彼と一緒に座った。そして、アブドル-ムッタリブに 「何が必要か」 と聞くように、自分の通訳に言った。アブドル-ムッタリブは通訳に答えた、「私から奪った合計200頭のらくだを王に返してもらいたい。」 アブラハは通訳に、アブドル-ムッタリブにこう伝えるように言った、「初めて見た時は感銘を受けたが、今、あなたが私に話したあと、私はあなたから引き揚げる。あなたは私に私があなたから取ったおよそ200頭のラクダのことを頼んでおり、あなたの祖先の宗教(の基盤)である家の問題のことを無視している。私はそれを破壊しに来たのに、あなたはそれについて私と話さない。」 アブドル-ムッタリブは彼に言った、「まことに、私はらくだの主である。聖なる家には、それを守る主がいる。」 アブラハは言った、「私が(それを破壊するのを)妨げられることは有り得ない。」 アブドル-ムッタリブは、「それならば、そうしなさい」 と返事した。

 アラブの長のかなりがアブドル-ムッタリブに同行し、アブラハにアル・カアバからの撤退を条件にティハーマ族の富の1/3を出すことを申し出たと言われている。しかしアブラハは拒否し、アブドル-ムッタリブにらくだを返した。 アブドル-ムッタリブは自分の人々のところへ戻り、マッカを離れて山の上に避難所を探すようにと言った。軍隊が人々に度を越した行為を犯すことを恐れたためである。それから彼はアル・カアバの扉についた金属製のリングをつかみ、クライシュ族の大勢の者と一緒に、アブラハとその軍に対する勝利を授けてくださるようにとアッラーに求めた。アル・カアバの扉のリングにしがみつきながら、アブドル-ムッタリブは言った、「今、誰にとっても、家畜や資産を守ること以上に重要な事は何もありません。したがって、わが主よ、あなたの財をお守りください。朝が来る頃までには、彼らの十字と彼らの狡猾さはあなたの狡猾さに勝利していません。」 

 イブン イスハークによると、アブドル-ムッタリブはそれからアル・カアバの扉について金属製のリングから手を離して、彼らはマッカを後にして山の上へ上った。

 ムカティル ビン スライマーン によると、彼らは100頭の動物(らくだ)をアル・カアバの近くに繋いでおいた。軍の誰かがそうする権利もないのにそのらくだを取ることで、アッラーの復讐が彼らに下されることを望みながら。

 朝が来たとき、アブラハは聖なる町マッカに入る準備をした。彼は象のマハムードを用意した。彼の軍を動員して、象をアル・カアバに向けた。その時、ヌファイル ビン ハビーブが近づいて象の横に立ち、耳を取って言った、「ひざまづけ、マハムードよ。それから向きを変えておまえがいたところへ真っ直ぐ引き返すのだ。本当に、おまえはアッラーの聖なる町にいるのだから。」 そして耳を離すと、マハムードはひざまづいた。その後、ヌファイル ビン ハビーブは離れて山へ急いだ。アブラハの兵たちはマハムードを叩いて起そうとしたが、マハムードは拒んだ。 彼らは頭を斧で打ち、かぎ形の道具で引っ張り、抵抗を解いて立たせようとした。それでもマハムードは拒んだ。それで彼らはマハムードをイエメンに向けると、彼は立ち上がって素早く歩いた。アッ・シャームに向けても同様にした。東に向けても同じようにした。そしてマッカに向けると、マハムードは再びひざまづいた。それからアッラーは彼らに対して海から燕や鷺のような鳥を送られた。鳥はそれぞれヒヨコマメとレンズ豆の大きさの石を三つ、足に一つずつ掴み、くちばしに一つくわえていた。それに打たれた者はみな砕かれた。彼ら全員が打たれたわけではなかったが。彼らは、恐慌状態で逃げ、道中、帰り道を示してくれるヌファイルの所在についてたずねていた。しかしながら、ヌファイルはクライシュ族やヒジャーズのアラブ人たちと山の上にいて、アッラーが象の民に落とされたお怒りを注意して見ていた。ヌファイルはそれで言い出した、

 「どこへ逃げるのか。ただ一つの真の神が追跡者であられる時に。アル・アシュラムは勝利者ではなく敗者である。」 イブン イスハークは、その時ヌファイルがこの三行の詩を口にしたと報告している。

  「あなたは私があなた方みなに授けた継続的な援助で生きなかったか。朝には回転する目で(すなわち道中を導く)。もし見たら、でもあなたは岩の片側で覆われた山それを見なかった。われは見た。それからあなたは私に言い訳をして私の物事を称えるだろう。そして、私たちの間で失われた物について嘆き悲しまない。私は鳥を見たとき、アッラーを賛美した。そして、石は我々の上に投げ落とされるかもしれないと思って恐れた。みんながヌファイルの所在について尋ねている。まるで私にはアビシニア人に借りている債務があるかのように。」

 アター ビン ヤサール と他の人々が述べたことによると、 彼ら全員がこの懲罰の時に責苦に襲われたわけではなかった。むしろ、ある者たちが直ちに破滅した一方で、ほかの者たちは逃げようとしている間に手足一本一本徐々に砕かれた。アブラハは手足を徐々に砕かれたほうで、ついにハスアムの地で死んだ。

 イブン イスハークによると、彼らは道々打ち倒されながら、水場ごとに滅びながら、(マッカを) 去った。 アブラハの体は石の害に苦しめられていたので、軍が運んだ。サナアに帰り着くまで彼はどんどんばらばらになっていった。彼らがそこに着いた時には、彼は雛鳥のようになっていたが、心臓が胸から落ちるまでは死ななかったと言われている。

 イブン イスハークによると、アッラーがムハンマド {saw} を預言者として遣わした時、ムハンマド {saw} がクライシュ族にアッラーが彼らに寛大に施した恩恵として物語ったものには、かれが彼らをアビシニア人の攻撃から守られたことがあった。このため、彼ら(クライシュ族)はある期間(マッカに安全に)留まることを許された。

 このようなわけでアッラーは仰せられた、

 

[أَلَمْ تَرَ كَيْفَ فَعَلَ رَبُّكَ بِأَصْحَـبِ الْفِيلِ - أَلَمْ يَجْعَلْ كَيْدَهُمْ فِى تَضْلِيلٍ - وَأَرْسَلَ عَلَيْهِمْ طَيْراً أَبَابِيلَ - تَرْمِيهِم بِحِجَارَةٍ مِّن سِجِّيلٍ - فَجَعَلَهُمْ كَعَصْفٍ مَّأْكُولِ ]

 ( あなたの主が,象を連れた者たち(日本ムスリム協会訳:仲間)に,どう対処なされたか,知らなかったのか。 -  かれは,かれらの計略を壊滅させられたではないか。 -  かれらの上にアバービールの鳥を遣わされ, -  スィッジールの石(焼き土の礫)を投げ付けさせて, - アスフ マァクール (食い荒らされた藁屑) のようになされた。)     

 

[لإِيلَـفِ قُرَيْشٍ - إِيلَـفِهِمْ رِحْلَةَ الشِّتَآءِ وَالصَّيْفِ - فَلْيَعْبُدُواْ رَبَّ هَـذَا الْبَيْتِ - الَّذِى أَطْعَمَهُم مِّن جُوعٍ وَءَامَنَهُم مِّنْ خوْفٍ ]

 ( クライシュ族の保護のため, -  冬と夏のかれらの隊商の保護のため,(そのアッラーの御恵みのために) -  かれらに,この聖殿の主に仕えさせよ。 -  飢えに際しては,かれらに食物を与え,また恐れに際しては,それを除き心を安らかにして下さる御方に。 ) (106:1-4)  は、アッラーは、彼らがかれを受け入れるなら彼らによいことを望まれていたので、彼らの状況を変えるつもりはなかったということである。

 イブン ヒシャーム は言った、「アラブ人は一羽(の鳥)について話さないので、アル・アバービール は複数のグループである。」 彼はまた言った、「アッ・スィッジールについては、ユーヌス アン・ナフウィ と アブ ウバイダは、それはアラブ人によると硬い固形物のことであると私に言った。」 そしてまた言った、「ある解説者たちは、それは実は二つのペルシャの言葉で、アラブ人が一つの言葉にしたと述べている。二つの言葉はサンジュ と ジル で、サンジュ は石、ジル は粘土という意味である。岩は石と粘土のこの二種類から成る。」 そして続けた、「アル・アスフは、収穫されてい作物の葉である。そのうちの一つはアスファと呼ばれている。」 ここまでが彼の述べたことである。

 アブドッラー と アブ サラマ ビン アブドッラフマーン はズィッルに、

[طَيْراً أَبَابِيلَ]

 (アバービール の鳥) について、 「複数のグループで」 と言った。それはズィッルからアースィムへ、そしてハンマド ビン サラマ へ伝えられた。

 イブン アッバースと アッダッハークは、「アバービールは何羽かが何羽かの後に続いているという意味である」 と言った。アル・ハサン アル・バスリ とカターダは、「アバービールはたくさんという意味である」 と言った。ムジャーヒドは、「アバービールは多数の次々に続くグループでという意味である」 と言った。イブン ザイド は、 「アバービールはあちらこちらから来る異なった、という意味である。その鳥は至る所から彼らの上に来る」 と言った。 アル・カサイは、「文法学者の何人かが『アバービールの単数はイビルである』というのを聞いた。」

 イブン ジャリールは、イスハーク ビン アブドッラー ビン アル・ハーリス ビン ナウファルが次のアッラーの御言葉について言ったことを記録している。 

[وَأَرْسَلَ عَلَيْهِمْ طَيْراً أَبَابِيلَ ]

 (かれらの上にアバービールの鳥を遣わされ,)  「これは集団ごとにという意味である。ちょうどラクダが(群れごとに)集団に分かれて進むのと同じように。」

 イブン アッバースは次のように言ったことが報告されている。

 

[وَأَرْسَلَ عَلَيْهِمْ طَيْراً أَبَابِيلَ ]

 (かれらの上にアバービールの鳥を遣わされ,)  「それらには鳥のくちばしのような鼻と、犬の足のような足があった。」

 

 イクリマは次のアッラーの御言葉について注釈したことが報告されている。 

[طَيْراً أَبَابِيلَ]

 (アバービールの鳥)  「それは海から来た緑の鳥で、肉食動物のような頭をしていた。」

 ウバイド ビン ウマイルは次のように注釈したことが報告されている。

[طَيْراً أَبَابِيلَ]

 (アバービールの鳥)  「石をくちばしや足に運んでいたのは海の黒い鳥であった。」 

 (ここに挙げた文言の)伝承経路はすべて確実である。

 ウバイド ビン ウマイル は、「アッラーが象の民を滅ぼすことを望まれたとき、彼らの上に海燕を送られた。鳥はそれぞれ3つの小石を運んでいた -- 足に二つの石、くちばしに一つを。鳥はやがて彼らの頭上に列になって集まった。そして大きな鳴き声をあげて、足とくちばしにあった物を投げた。そのようにして人の頭に落ちた石は一つ残らず尻から出てきた(すなわち、貫通した)。体のどこかの部分に落ちた石は一つ残らず反対側から出てきた。  その時アッラーは激しい風を送られて石を打ち、その威力を増した。このようにして、彼らはみな滅ぼされた。」

 

 アッラーの御言葉

[فَجَعَلَهُمْ كَعَصْفٍ مَّأْكُولِ ]

 ( アスフ マァクール (食い荒らされた藁屑) のようになされた。)     について、サイード ビン ジュバイルは言った、「これは、一般の人々がハッブールと呼ぶ、藁のことである。」  サイードの話では、「 小麦の葉。」 彼はまた言った、「アル・アスフは藁で、アル・マァクールは動物のために切った馬草のことである。」 アル・ハサン アル・バスリ も同じ事を言った。イブン アッバースは言った、「アル・アスフは穀物の殻で、ちょうど小麦の外被のようなものである。」 イブン ザイド は言った、「アル・アスフは植物と青果物の葉である。家畜がそれを食べると、それは外へ排出され、それはこやしになる。」  

 これが意味するのは、アッラーが彼らを打ち砕き、全滅させ、彼らの計画と怒りをはねつけたということである。彼らは何も良いものを得なかった。かれは彼らを大規模に破壊されたので、怪我を負ったもの以外には、(彼らの土地に)戻って、起こったことを話す者はなかった。これが正に彼らの王アブラハに起きたことである。なぜなら、実際彼は裂けて開かれ、自分の土地サナアに着いた時には心臓はあらわになっていた。彼は人々に彼らに起きたことを知らせて、その後死んだ。彼の息子ヤクスームがアブラハの後に王になった。それからヤクスームの兄弟のマスルーク ビン アブラハが後を継いだ。その後、サイフ ビン ズィ ヤザン アル・ヒムヤリ は キスラ(ペルシャ王)のところへ行ってアビシニア人に対する助けを求めた。そこでキスラは、サイフ アル・ヒムヤリと一緒にアビシニア人と戦わせるために、自分の軍を急いで派遣した。このようにしてアッラーは、彼らの祖先が持っていた全統治権と共に、王国を彼ら (すなわち、イエメンのアラブ人) に戻した。アラブ人の大きな代表使節団が複数、勝利の祝辞を述べに彼(サイフ アル・ヒムヤリ)のところに来た。

 スーラト ル・ファトフ の タフスィールですでに述べたが、アル・フダイビーヤの日、アッラーの使徒 {saw} がクライシュ族のところへつながる山の峠に近づいた時、彼の雌駱駝がひざまずいた。それで人々はその雌駱駝を起そうとしたが彼女は拒んだ。そのため人々は、 「アル・カスワは頑固になった」 言った。預言者 {saw} は返事した、

 

«مَا خَلَأَتِ الْقَصْوَاءُ، وَمَا ذَاكَ لَهَا بِخُلُقٍ، وَلَكِنْ حَبَسَهَا حَابِسُ الْفِيل»

 (アル・カスワは頑固になったのではない。それは彼女の性質ではない。むしろ、(アブラハの)象を制止されたお方によって止められたのである。 )  それから言った、

 

«وَالَّذِي نَفْسِي بِيَدِهِ لَا يَسْأَلُونِّي الْيَوْمَ خُطَّةً يُعَظِّمُونَ فِيهَا حُرُمَاتِ اللهِ إِلَّا أَجَبْتُهُمْ إِلَيْهَا»

 (私の魂がその御手にあるお方に誓って、彼ら(クライシュ族)は、アッラーの神聖なものが敬われている(協定の)事柄について私に何もたずねないだろう。私がそれについて彼らに同意すること以外は。)  それから、彼は雌駱駝に立ち上がるように合図をし、駱駝は立ち上がった。このハディースはアル・ブハーリーだけが記録している。

 二つのサヒーフに、マッカ征服の日にアッラーの使徒 {saw} が次のように言ったことが記されている、

 

«إِنَّ اللهَ حَبَسَ عَنْ مَكَّةَ الْفِيلَ، وَسَلَّطَ عَلَيْهَا رَسُولَهُ وَالْمُؤْمِنِينَ، وَإِنَّهُ قَدْ عَادَتْ حُرْمَتُهَا الْيَوْمَ كَحُرْمَتِهَا بِالْأَمْسِ، أَلَا فَلْيُبَلِّغِ الشَّاهِدُ الْغَائِب»

 (まことに、アッラーは象がマッカに (入らないように) 制止された。そして、かれはかれの使徒と信者にマッカの権限を授けられた。そして本当に、昨日神聖であったのと同じように、その神聖さは戻ってきた。だから、いる者はいない者に知らせなさい。)

 

 これでスーラト アル・フィールのタフスィールを終える。すべての称賛と感謝はアッラーにあれ。