マッカで啓示された

 

  任意の礼拝でこれらの章を読むこと

 

   『サヒーフ ムスリム』 にジャービルの伝えることとして、アッラーの使徒 {saw} が本章(アル・カーフィルーン) と

[قُلْ هُوَ اللَّهُ أَحَدٌ ]

 (言え,「かれはアッラー,唯一なる御方であられる。) (112:1) を、タワーフの2ラカートで読んだことが収録されている。 『サヒーフ ムスリム』 にはまた、アブ フライラによるハディースで、アッラーの使徒 {saw} がファジルの任意の礼拝でこの2つの章を読んだことが記録されている。

 イマーム アフマド が記録したイブン ウマルの話では、アッラーの使徒 {saw} がファジルの前に2ラカート、マグリブの後に2ラカートの任意の礼拝を、10回か12回くらい違う機会にしていたのを見たという。

 

ثبت في صحيح مسلم، عن جابر: أن رسول الله صلى الله عليه وسلم قرأ بهذه السورة، وبـ" قُلْ هُوَ اللَّهُ أَحَدٌ "في ركعتي الطواف.

وفي صحيح مسلم، من حديث أبي هريرة: أن رسول الله صلى الله عليه وسلم قرأ بهما في ركعتي الفجر.

 

[قُلْ يأَيُّهَا الْكَـفِرُونَ ]

 (言ってやるがいい。「おおアル・カーフィルーンよ,)  そして、

[قُلْ هُوَ اللَّهُ أَحَدٌ ]

 (言え,「かれはアッラー,唯一なる御方であられる。)  (112:1)

 

 アフマド はまた、イブン ウマルがこう言ったことを記録している、「私は、預言者がファジルの前の2Rak`ahs とマグリブの後の2Rak`ahs で、

[قُلْ يأَيُّهَا الْكَـفِرُونَ ]

 (言ってやるがいい。「おおアル・カーフィルーンよ,)  

[قُلْ هُوَ اللَّهُ أَحَدٌ ]

 (言え,「かれはアッラー,唯一なる御方であられる。) (112:1) を読むのを24-25回見た。」 

 

 アフマド は、イブン ウマルがこのように言ったと記録している、「私は、預言者を一ヶ月の間見ていたが、彼はファジル前の2Rak`ahs で 、

[قُلْ يأَيُّهَا الْكَـفِرُونَ ]

 (言ってやるがいい。「おおアル・カーフィルーンよ,)  と

[قُلْ هُوَ اللَّهُ أَحَدٌ ]

 (言え,「かれはアッラー,唯一なる御方であられる。) (112:1) を読んでいたものであった。」

 これはアッ・ティルミズィ、イブン マジャ アン・ナサーイ によっても記録されており、アッ・ティルミズィは 「ハサン」としている。

 以前に挙げたハディースですでに述べたが、これ(アル・カーフィルーン)は、クルアーンの1/4に相当し、アッ・ザルザラはクルアーンの1/4に相当する。

 

 

[بِسْمِ اللَّهِ الرَّحْمَـنِ الرَّحِيمِ]

 慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。

 

[قُلْ يأَيُّهَا الْكَـفِرُونَ- لاَ أَعْبُدُ مَا تَعْبُدُونَ- وَلاَ أَنتُمْ عَـبِدُونَ مَآ أَعْبُدُ- وَلا أَنَآ عَابِدٌ مَّا عَبَدتُّمْ- وَلاَ أَنتُمْ عَـبِدُونَ مَآ أَعْبُدُ- لَكُمْ دِينُكُمْ وَلِىَ دِينِ-]

 (1. 言ってやるがいい。「おお不信者たちよ,」) (2. 「わたしは、あなたがたが崇めるものを崇めない。」) (3. 「あなたがたは、わたしが崇めるものを、崇める者たちではない。」) (4. 「わたしは、あなたがたが崇めてきたものの、崇拝者ではない。」) (5.「あなたがたは、わたしが崇めてきたものの、崇拝者ではない。」) (6. 「あなたがたには、あなたがたの宗教があり、わたしには、わたしの宗教があるのである。」)

 

  シルクを行わないという宣言

 

 本章は偶像崇拝者の行為を否定する章である。完全に否定することが命じられている。

 アッラーの御言葉

[قُلْ يأَيُّهَا الْكَـفِرُونَ ]

 ( 言ってやるがいい。「おお不信者たちよ,」)  には地上のあらゆる不信者が含められているが、この宣言は特にクライシュ族の不信者らに向けられている。彼らは無知で、アッラーの使徒に一年間彼らの偶像を崇拝するようにと促したという。そうすれば彼らは(お返しに)彼の神を一年間崇めると言った。それでアッラーはこの章を啓示された。

 

 かれは使徒に、彼らの宗教を完全に否認することを命ぜられた

 

 アッラーは仰せられた、

[لاَ أَعْبُدُ مَا تَعْبُدُونَ ]

 (「わたしは、あなたがたが崇めるものを崇めない。」)  偶像や同格に配されている神々のことである。

 

[وَلاَ أَنتُمْ عَـبِدُونَ مَآ أَعْبُدُ ]

 ( 「あなたがたは、わたしが崇めるものを、崇める者たちではない。」)  そして、かれはアッラー、唯一のお方である。同格のものはなにもない。したがって、ここで マー (物) は マン (者) を意味する。

 それから、アッラーは仰せられる、

[وَلاَ أَنَآ عَابِدٌ مَّا عَبَدتُّمْ وَلاَ أَنتُمْ عَـبِدُونَ مَآ أَعْبُدُ ]

 ( 「わたしは、あなたがたが崇めてきたものの、崇拝者ではない。あなたがたは、わたしが崇めてきたものの、崇拝者ではない。」)   は、「私はあなたの崇拝に従って崇拝しない。つまり、私はそれについて折り合わないし、それに従わない。私はアッラーだけを、かれが愛され満足される方法で、崇拝する。

 それから、アッラーは仰せられる、

[وَلاَ أَنتُمْ عَـبِدُونَ مَآ أَعْبُدُ ]

 (あなたがたは、わたしが崇めてきたものの、崇拝者ではない。」)  は、「あなたがたはアッラーを崇拝することについて、かれのご命令や法に従わない。それどころか、あなたの魂の刺激によって何かを作り上げている。」  これは、アッラーが次のように仰せられていることと同様のことである、 

[إِن يَتَّبِعُونَ إِلاَّ الظَّنَّ وَمَا تَهْوَى الاٌّنفُسُ وَلَقَدْ جَآءَهُم مِّن رَّبِّهِمُ الْهُدَى]

 (かれら(不信心者)は,虚しい臆測や私慾に従っているに過ぎない。既に主からの導きが,かれらに来ているのに。) (53:23)  それゆえ、否定は、彼らが関っている事すべてについてである。 なぜなら、彼らは確かに、崇める神を持っていて、その神にたどり着くために従う崇拝行為を定めているに違いないからである。 それで使徒と彼に従う者たちは、アッラーが制定されたことに従って、アッラーを崇拝する。このため、イスラームの信仰告白は、 「アッラー以外に崇拝に値する神はいない。そして、ムハンマドはアッラーの使徒である。」 である。これは、アッラー以外に崇拝の(真の)対象はなく、使徒 {saw} が齎した以外にかれへの道(かれを崇拝する方法)はない、という意味である。 偶像崇拝者は、崇拝の行為を伴ってアッラー以外のものを崇めている。アッラーはそれを御許しになられなかった。だから、使徒 {saw} は彼らに言った、

[لَكُمْ دِينُكُمْ وَلِىَ دِينِ ]

 (あなたがたには、あなたがたの宗教があり、わたしには、わたしの宗教があるのである。)  これは、アッラーの次のお言葉と同様である、

[وَإِن كَذَّبُوكَ فَقُل لِّى عَمَلِى وَلَكُمْ عَمَلُكُمْ أَنتُمْ بَرِيئُونَ مِمَّآ أَعْمَلُ وَأَنَاْ بَرِىءٌ مِّمَّا تَعْمَلُونَ ]

 (かれらがもしあなたを虚偽の徒とするならば言ってやるがいい。「わたしの所業はわたしのためであり,あなたがたの所業はあなたがたのためである。あなたがたはわたしの行うことに関係なく,わたしはあなたがたの行うことに関係ない。」) (10:41)

 そして、仰せられた、

[لَنَآ أَعْمَـلُنَا وَلَكُمْ أَعْمَـلُكُمْ]

 (「わたしたちには、わたしたちの行いがあり、あなたがたにはあなたがたの行いがある。」) (28:55)  

 アル・ブハーリーが言うには、

[لَكُمْ دِينَكُمْ]

 (あなたがたには、あなたがたの宗教があり、) は、不信心、

[وَلِىَ دِينِ]

 (わたしには、わたしの宗教があるのである。.)  は、イスラームのことである。 

 これで、クル ヤー アイユハル カーフィリーンの タフスィールを終える。