マディーナで啓示された

خمسة وعشرون ألفًا وخمسمائة حرف، وستة آلاف ومائة وعشرون كلمة، ومائتان وستة وثمانون آية في عدد الكوفي وعدد علي بن أبي طالب رضي الله عنه.

 

ذكر ما ورد في فضلها

雌牛章の徳

 

 『ムスナド アフマド』、『サヒーフ ムスリム』、 『サヒーフ アッ・ティルミズィ』、『スナン アン・ナサーイ』 に、アブ フライラの伝えることとしてアッラーの使徒 {saw} が次のように言ったことが記録されている。

«لَا تَجْعَلُوا بُيُوتَكُمْ قُبُورًا فَإِنَّ الْبَيْتَ الَّذِي تُقْرَأُ فِيهِ سُورَةُ الْبَقَرَةِ لَا يَدْخُلُهُ الشَّيْطَان»

 (家を墓にしてはならない。雌牛章が読まれている家にはシェイターンは入らない。)  アッ・ティルミズィ は 「ハサン サヒーフ」 と注釈している。

 また、アブドッラ ビン マスウード は 「雌牛章が聞こえる家からはシェイターンが逃げていく」 と言った。このハディースはアン・ナサーイ が 『アル・ヤウム ワル・ライラ』 に、そして アル・ハーキム が 『ムスタドゥラク』 に記録し、二つのサヒーフはこれを収録していないが、この継承経路は確かであると述べている。

 アッダリミ はムスナドに、イブン マスウードがこう言ったと記録している、「雌牛章が読誦されている家からはシェイターンが去り、出て行く際におならをしていく」。 

 アッダリミはまた、アッシャアビィが伝えることとして、アブドッラ ビン マスウード がこのように言ったと記録している、「夜に雌牛章から十節を読むと、シェイターンはその夜、その人の家に入らない。十の節というのは、はじめの四つ、アーヤトゥ・ル・クルスィー (第255節) と続きの二つの節 (第256-257節)、そして、最後の三つの節である。」  別の文言では、イブン マスウードはこう言った、「それで、シェイターンは彼にも彼の家族にも近寄らない。彼が好まないものに触れられることもない。また、それらの節が高齢者へ読まれると、年老いた人は活気を取り戻すだろう。」 

 さらに、サフル ビン サアド はアッラーの使徒 {saw} がこう言ったと伝えている、

«إِنَّ لِكُلِّ شَيْءٍ سَنَامًا، وَإِنَّ سَنَامَ الْقُرْآنِ الْبَقَرَةُ، وَإِنَّ مَنْ قَرَأَهَا فِي بَيْتِهِ لَيْلَةً لَمْ يَدْخُلْهُ الشَّيْطَانُ ثَلَاثَ لَيَالٍ، وَمَنْ قَرَأَهَا فِي بَيْتِهِ نَهَارًا لَمْ يَدْخُلْهُ الشَّيْطَانُ ثَلَاثَةَ أَيَّام»

 ( あらゆる物事には山場があるが、雌牛章はクルアーンの山場である。夜に家の中で雌牛章を読むと、シェイターンは三夜の間、その家に入らない。昼に家の中で読むと、シェイターンは三日間の日中その家に入らない。)

 このハディースはアブ アル・カースィム アッタバラニ、アブ ハーティム イブン ヒッバン が彼のサヒーフに、イブン マルドゥウヤによって収録されている。

 アッ・ティルミズィ、アン・ナサーイ、イブン マジャ はアブ フライラがこう述べたと記録している、「アッラーの使徒は大人数の探検隊を送ったが、使徒はその一人ひとりに、クルアーンから何を暗唱しているかたずねた。 預言者は中でも一番若い男のうちの1人のところに来て聞いた、『若者よ、何を覚えているか。』 その若者は答えた、『この章と、この章と、それから雌牛章も覚えました。』  預言者は言った、『雌牛章を覚えているのか。』 彼は 『はい』 と答えた。  預言者は言った、『それでは、あなたがこの隊の指揮官である』。
長の1人が言った、『アッラーに誓って! 私は、その内容を実行に移せないことを恐れて、雌牛章を覚えませんでした』。 アッラーの使徒は言った、 

«تَعَلَّمُوا القُرْآنَ وَاقْرَءُوهُ، فَإِنَّ مَثَلَ الْقُرْآنِ لِمَنْ تَعَلَّمَهُ فَقَرَأَ وَقَامَ بِهِ كَمَثَلِ جِرَابٍ مَحْشُوَ مِسْكًا يَفُوحُ رِيحُهُ فِي كُلِّ مَكَانٍ، وَمَثَلُ مَنْ تَعَلَّمَهُ فَيَرْقُدُ وَهُوَ فِي جَوْفِهِ كَمَثَلِ جِرَابٍ أُوكِيَ عَلى مِسْك»

 (クルアーンを学び、読みなさい。クルアーンを学び、読み、離れない人は、空気をよい香りで満たすムスクのつまった袋のようだから。クルアーンを学んでから、クルアーンが記憶にあるうちに床に就く人は、口がしっかり閉じられたムスクの袋のようだから)  と。」

 これはアッテイルミズィ によって収録された文言であり、このハディースは彼によるとハサンである。別の文言では、アッ・ティルミズィはこれと同じハディースをムルサルとして記録した。アッラーがもっともよくご存知であられる。

 هذا لفظ رواية الترمذي، ثم قال: هذا حديث حسن. ثم رواه من حديث الليث، عن سعيد، عن عطاء مولى أبي أحمد مرسلا فالله أعلم

 また、アル・ブハーリーは、ウサイド ビン フダイルが話したことを記録している。あるとき彼は馬を横につないで雌牛章を読誦していた。すると馬は音を発し始めた。ウサイドが読誦を止めると、馬も動くのを止めた。彼が再び読み始めると、馬も再び動き始めた。彼が読むのを止めると馬も動くのを止め、彼が読み始めると馬も動き始めた。彼の息子ヤフヤーが馬の近くにいたので、彼は馬が息子を踏まないかと心配した。それで彼が息子を後ろへやり、空を見上げると、雲が灯火のような光を発しているのが見えた。朝、彼は預言者のところへ行き、起きたことを話して言った、「アッラーの使徒よ、私の息子ヤフヤーは馬の近くにいたのでその雌馬が息子を踏んでしまわないかと心配でした。彼に注意を払い、頭を上げた時、灯火のような光のある雲を見たのです。それで私は行きましたが、見る事が出来ませんでした。」 預言者は言った、「それが何であったか知っているか。」 彼は言った、「いいえ。」 そこで預言者はこう言った、

«تِلْكَ الْمَلَائِكَةُ دَنَتْ لِصَوْتِكَ وَلَو قَرَأْتَ لَأَصْبَحْتَ يَنْظُرُ النَّاسُ إِلَيْهَا، لَا تَتَوارَى مِنْهُم»

 (それは天使たちである。天使たちがあなたの (雌牛章を読む) 声を近くで聞こうとして来たのだ。もし読み続けていたら、人々は朝が来たとき、天使を見ることが出来たであろう。そして天使は人々の目から隠されなかったであろう。)

 これはイマーム アブ ウバイド アル・カースィム ビン サラーム の著 『ファダーイル アル・クルアーン』 に記されている文言である。

 

 

 ما ورد في فضلها مع آل عمران

雌牛章とイムラーン家章の徳

 

 次に挙げる話は、イマーム アフマドによると、アブドッラ ビン ブヤイダビシュル から ビン ムハージル へ、そして アブ ヌアイム へと伝えられたと言う。 アブドッラ ビン ブヤイダが父親がこう話していたと述べた、「私は預言者と一緒にすわっていた時、彼がこういうのを聞いた、

 

«تَعَلَّمُوا سُورَةَ الْبَقَرَةِ فَإِنَّ أَخْذَهَا بَرَكَةٌ، وَتَرْكَهَا حَسْرَةٌ، وَلَا تَسْتَطِيعُهَا الْبَطَلَة»

 (雌牛章を学びなさい。雌牛章を学ぶことには祝福があるから。雌牛章を無視することは悲しみである。魔法使いたちには雌牛章を覚えることができない。)

 預言者はこう言うと、しばらくだまっていたが、また続けた、

«تَعَلَّمُوا سُورَةَ الْبَقَرَةِ وَآلَ عِمْرَانَ فَإِنَّهُمَا الزَّهْرَاوَانِ، يُظِلَّانِ صَاحِبَهُمَا يَوْمَ الْقِيَامَةِ كَأَنَّهُمَا غَمَامَتَانِ أَوْ غَيَايَتَانِ أَوْ فِرْقَانِ مِنْ طَيْرٍ صَوَافَّ، وَإِنَّ الْقُرآنَ يَلْقى صَاحِبَهُ يَوْمَ الْقِيَامَةِ حِينَ يَنْشَقُّ عَنْهُ قَبْرُهُ كَالرَّجُلِ الشَّاحِبِ فَيَقُولُ لَهُ: هَلْ تَعْرِفُنِي؟ فَيَقُولُ: مَا أَعْرِفُكَ. فَيَقُولُ: أَنَا صَاحِبُكَ الْقُرْآنُ الَّذِي أَظْمَأْتُكَ فِي الْهَوَاجِرِ وَأَسْهَرْتُ لَيْلَكَ وَإِنَّ كُلَّ تَاجِرٍ مِنْ وَرَاءِ تِجَارَتِهِ، وَإِنَّكَ الْيَوْمَ مِنْ وَرَاءِ كُلِّ تِجَارَةٍ فَيُعْطَى الْمُلْكَ بِيَمِينِهِ وَالْخُلْدَ بِشِمَالِهِ وَيُوضَعُ عَلَى رَأْسِهِ تَاجُ الْوَقَارِ، وَيُكْسَى وَالِدَاهُ حُلَّتَانِ لَا يَقُومُ لَهُمَا أَهْلُ الدُّنْيَا، فَيَقُولَانِ: بِمَا كُسِينَا هَذَا؟ فَيُقَالُ: بِأَخْذِ وَلَدِكُمَا الْقُرْآنَ ثُمَّ يُقَالُ: اقْرَأْ وَاصْعَدْ فِي دَرَجِ الْجَنَّةِ وَغُرَفِهَا، فَهُوَ فِي صُعُودٍ مَا دَامَ يَقْرأُ هَذًّا كَانَ أَوْ تَرْتِيلًا»

 (雌牛章とイムラーン家章を学びなさい。それは二つの光で、復活の日に、二つの雲のように、二つの影の空間のように、二列になって (飛んで) いる鳥のように、人々に陰を作ってくれるから。墓が開かれる復活の日、青白い顔をした男性の姿で、クルアーンはコンパニオンに会う。クルアーンはたずねる、「私を知っているか。」 聞かれた人は言うだろう、「いいえ、知りません。」 クルアーンは言う、「私はあなたの友、クルアーンである。暑いときには喉を乾かせ、夜の間はあなたを起こしていたクルアーンである。商人はそれぞれ、ある特定の取引をしている。しかし、この日、いかなる取引もあなたに背を向ける。」  それから王位が彼の右手に、永遠の命が彼の左手に与えられ、恩寵の王冠が彼の頭に置かれる。彼の両親も、この世の人々には決して持つことの出来ないような2着の衣が与えられる。そこで彼らは言う、「なぜ、私たちにこの衣類が与えられたのでしょうか」。 するとこのように言われる、「あなたの息子がクルアーンを身につけていたためである。」  (クルアーンを読んでいた者は) こう言われる、「読み、楽園の段階をずっと上がって行きなさい。」 ゆっくり読んでも速く読んでも関係なく、読んでいる限り彼は上がり続けるだろう。)

 イブン マジャ も、ビシュル ビン アル・ムハージルからこのハディースの一部を記録している。その継承経路は、イマーム ムスリムの規準によればハサンである。

 

 このハディースの一部はほかのいくつかのハディースによって裏付けられてもいる。たとえば、イマーム アフマド の記録によると、アブ ウマーマ アル・バヒリがアッラーの使徒が次のように言うのを聞いたという、

«اقْرَأُوا الْقُرْآنَ فَإِنَّهُ شَافِعٌ لِأَهْلِهِ يَوْمَ الْقِيَامَةِ اقْرَأُوا الزَّهْرَاوَيْنِ، الْبَقَرَةَ وَآلَ عِمْرَانَ، فَإِنَّهُمَا يَأْتِيَانِ يَوْمَ الْقِيَامَةِ كَأَنَّهُمَا غَمَامَتَانِ، أَوْ كَأَنَّهُمَا غَيَايَتَانِ أَوْ كَأَنَّهُمَا فِرْقَانِ مِنْ طَيْرٍ صَوَافَّ، يُحَاجَّانِ عَنْ أَهْلِهِمَا يَوْمَ الْقِيَامَة»

 (クルアーンを読みなさい。なぜなら、それは復活の日その人々のために執り成してくれるから。二つの光、つまり雌牛章とイムラーン家章を読みなさい。なぜなら、その二つは復活の日二つの雲、二つの影、または二列の鳥の形でやって来て、その日その人々のために主張してくれるから。)

 それから預言者は言った、

« اقْرَأُوا الْبَقَرَةَ فَإِنَّ أَخْذَهَا بَرَكَةٌ وَتَرْكَهَا حَسْرَةٌ وَلَا تَسْتَطِيعُهَا الْبَطَلَة»

 (アル・バカラを読みなさい。なぜならそれを持つことには祝福があるから。それを無視することには悲しみがある。魔法使いたちにはそれを覚えることができない。)

 イマーム ムスリム はこのハディースを 『礼拝の書』 で伝えた。

 

 イマーム アフマド はアン・ナウワス ビン サマン が伝えることとして預言者がこう言ったと記している、 

«يُؤْتَى بِالقُرْآنِ يَوْمَ الْقِيَامَةِ وَأَهْلِهِ الَّذِينَ كَانُوا يَعْمَلُونَ بِهِ تَقْدَمُهُم سُورَةُ الْبَقَرَةِ وَآلُ عِمْرَان»

 (復活の日、クルアーンとそれを実行していた人々は、雌牛章とイムラーン家章により前に進められる。)

 アン・ナウアスは言った、「預言者はこの二つの章に三つの例を挙げたが、私はそれ以来、その例を忘れていない。彼はこう言ったのだ、 

«كَأَنَّهُمَا غَمَامَتَانِ، أَوْ ظُلَّتَانِ سَودَاوَانِ بَيْنَهُمَا شَرْقٌ، أَوْ كَأَنَّهُمَا فِرْقَانِ مِنْ طَيْرٍ صَوَافَّ، يُحَاجَّانِ عَنْ صَاحِبِهِمَا»

 (それは、二つの雲、二つの暗い影、二列の鳥のようになってやって来て、その人々に代わって証拠を示してくれる。)

 これはサヒーフ ムスリムにも記録されており、アッ・ティルミズィもこのハディースを伝え、ハサン ガリブであると言っている。 

 

 

 
 アル・バカラ章はマディーナで啓示された

 雌牛章全体がアル・マディーナで啓示されたという見方に意見の相違はない。さらに、アル・バカラは、アル・マディーナ初期に啓示された章のうちの一つである。 

[وَاتَّقُواْ يَوْمًا تُرْجَعُونَ فِيهِ إِلَى اللَّهِ]

 (あなたがたは,アッラーに帰される日のために(かれを)畏れなさい。) (2:281)  がクルアーンで啓示された最後の節であった。また、高利貸しについての節は、最後に啓示された節の一つであった。 カーリド ビン マダン は アル・バカラ を クルアーン の フスタート (テント) と呼んだものである。

 

فصل

 

 それには一千の知らせ、一千の命令、一千の禁止があるという学者もいる。数えた者によると、アル・バカラの節は287、語数は6,221であるという。さらに文字数は25,500 である。アッラーがもっともよくご存知であられる。

 イブン ジュライジュ はアターがイブン アッバースが 「雌牛章はアル・マディーナで啓示された」 と言っていたと述べたことを伝えている。

 また、ハースィフがムジャーヒドから聞いたことには、アブドッラ ビン アッズバイルも 「雌牛章はアル・マディーナで啓示された」 と言った。イマームやタフスィール学者にも同様の発言をしている者がおり、すでに述べたように、これについて意見の相違はない。

 二つのサヒーフは、イブン マスウードがカアバを左手に、ミナを右手にして、7個の小石を(ジャムラに)投げ、 「アル・バカラ章が啓示された方(すなわち預言者)は、同様にラミ(小石を放り投げるハッジの儀式)を行っていた。」 と言ったことを記録している。 

 

 また、イブン マルドゥウヤ は、ウトバ ビン マルサドからアキール ビン タルハ、それからシュバへと伝わったハディースを記録した、「預言者は教友たちが最前列にいないのを見て言った、 

«يَا أَصْحَابَ سُورَةِ الْبَقَرَة»

 (アル・バカラ章の友たちよ)  この出来事は、フナインの戦いの間に起こったと思う。その時教友たちは退いたのだ。そして預言者はアル・アッバース(彼のおじ)にこう大声で叫ぶように命じた、

 

«يَا أَصْحَابَ الشَّجَرَة»

 (木の友らよ!) (木の下での)アッリドゥワンの誓いに立ち会った教友たちのことを意味している。

 別の文言では、アル・アッバースは 「アル・バカラ章の友らよ!」 と、彼らに戻ってくるように激励して叫んだ。それで彼らはあちらこちらから戻ってきた。また、虚言者ムサイリマの軍と戦っていた ヤマーマの戦いの間、 教友たちは最初退いた。ムサイリマ軍の兵がたいへんな数であったためである。ムハージルーンとアンサールは、「アル・バカラ章の人々よ!」 と互いに叫び合った。そしてアッラーは彼らに敵に対して勝利を授けられた。アッラーが、かれのすべての使徒たちのすべての教友たちにご満悦されますよう。

 

 

[بِسْمِ اللَّهِ الرَّحْمَانِ الرَّحِيمِ ]

 (慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。)

[الم ]

 (1.  アリフ・ラーム・ミーム。)

 

 個々の文字についての論考

 いくつかの章の始めに見られる個々の文字は、アッラーがそれについての知識をかれのみにとどめられている事の中に入るものである。これはアブ バクル、ウマル、ウスマーン、アリ、イブン マスウードによって報告されている。これらの文字は章の名前であると言われている。アッラーがその文字を選ばれてクルアーンの章を始める冒頭にされたのであるとも言われる。ハースィフは、ムジャーヒドが 「カーフ、サード、ター、スィーン、ミーム、アリフ、ラーム、ラー等の章の始まりは、単にアルファベットの文字である」 と言ったと述べている。いくらかの言語学者も、それはアルファベットの文字で、アッラーが単に28字全てのアルファベットを引用されなかったにすぎないと述べている。彼らが言うには、たとえば、「息子がアリフ、バー、ター、サーを朗誦している」 と言う人がいたら、残りの全部を言わないで止まったにしても、それは全部のアルファベットのことを意味しているということである。この意見はイブン ジャリールにより言及されている。

 

 章の冒頭の文字

 反復されている文字を除けば、章の始めに挙げられている文字の数は14で、それは、アリフ、ラーム、ミーム、サード、ラー、カーフ、ハー、ヤー、アイン、ター、スィーン、ハー、カーフ、ヌーンである。