マッカで啓示された
[بِسْمِ اللَّهِ الرَّحْمَـنِ الرَّحِيمِ ]
(慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。)
[عَبَسَ وَتَوَلَّى - أَن جَآءَهُ الاٌّعْمَى - وَمَا يُدْرِيكَ لَعَلَّهُ يَزَّكَّى - أَوْ يَذَّكَّرُ فَتَنفَعَهُ الذِّكْرَى - أَمَّا مَنِ اسْتَغْنَى - فَأَنتَ لَهُ تَصَدَّى - وَمَا عَلَيْكَ أَلاَّ يَزَّكَّى - وَأَمَّا مَن جَآءَكَ يَسْعَى - وَهُوَ يَخْشَى - فَأَنتَ عَنْهُ تَلَهَّى - كَلاَّ إِنَّهَا تَذْكِرَةٌ فَمَن شَآءَ ذَكَرَهُ فَى صُحُفٍ مُّكَرَّمَةٍ مَّرْفُوعَةٍ مُّطَهَّرَةٍ بِأَيْدِى سَفَرَةٍ كِرَامٍ بَرَرَةٍ ]
(1. (ムハンマドは)眉をひそめ,顔を背けた。) (2. 一人の盲人がやって来(て話が中断され)たためである。) (3. あなたにどうして分ろうか,かれは清められるかも知れないことが。) (4. または訓戒を受け入れて,その教えはかれを益するかもしれないことが。) (5. だが何の助けもいらない者(財産家)には,) (6. (関心をもって)応待する。) (7. しかもかれが自ら清めなくても,あなたに責任はない。) (8. だが熱心に(信仰を)求めてあなたの許に来た者で,) (9. 畏敬の念を抱いている者には,) (10. あなたは軽視した。) (11. 断じてそうであるべきではない。本当にこれ(クルアーン)は訓戒である。) (12. だから誰でも望む者には,訓戒を念じさせなさい。) (13. それは(アッラーの御許にある)帳簿に記されているもの。) (14. 至高にして清純なもの。) (15. 書記たち(天使)の手で(記録されたもの)。) (16. 気高く敬虔な(書記たち)。)
弱者に眉をひそめたために非難されている預言者
二人以上のタフスィール学者が述べるには、或る日アッラーの使徒 {saw} がクライシュ族の重要な長のうちの一人に、話をしていた。彼にイスラームを受け入れてほしいと望みながら彼と直接会話をしていた。その時イブン ウムム マクトゥーム が使徒 {saw} のところへ来たが、彼は最も早い時期にイスラームを受け入れた人々の一人である。彼 (イブン ウムム マクトゥーム) はアッラーの使徒 {saw} に差し迫った様子で嘆願してたずね始めた。預言者は、(話していた)男性が導かれてほしいと思っていたので、イブン ウムム マクトゥーム に話が終わるまで少し待つように言った。使徒 {saw} はイブン ウムム マクトゥームに向かって眉をひそめ、顔を背けて、もう一人の方と向き合った。
そのため、アッラーが啓示された、
[عَبَسَ وَتَوَلَّى - أَن جَآءَهُ الاٌّعْمَى - وَمَا يُدْرِيكَ لَعَلَّهُ يَزَّكَّى ]
(彼は眉をひそめ,顔を背けた。 - 一人の盲人がやって来たためである。 - あなたにどうして分ろうか,かれは清められるかも知れないことが。) 彼の魂は浄化されるかもしれない、ということである。
[أَوْ يَذَّكَّرُ فَتَنفَعَهُ الذِّكْرَى ]
( または訓戒を受け入れて,その教えはかれを益するかもしれないことが。) 彼は訓戒を受け、禁じられたことを控えるかもしれない、ということ。
[أَمَّا مَنِ اسْتَغْنَى - فَأَنتَ لَهُ تَصَدَّى ]
( 助けもいらない富んだ者には,- 応待する。) 「あなたは導かれるかもしれないと思って金持ちと向かい合う。」 ということである。
[وَمَا عَلَيْكَ أَلاَّ يَزَّكَّى ]
( しかもかれが自ら清めなくても,あなたに責任はない。) 「彼が浄化されなくても、あなたは彼に対して責任がない。」 ということである。
[وَأَمَّا مَن جَآءَكَ يَسْعَى - وَهُوَ يَخْشَى ]
( だが熱心に求めてあなたの許に来た者で,畏敬の念を抱いている者には,) 「彼はあなたを求めてあなたのところへ来る。それというのもあなたに言われる事によって導かれるためである。」 という意味である。
[فَأَنتَ عَنْهُ تَلَهَّى ]
( あなたは軽視した。) 「あなたは手一杯すぎる。」 という意味である。ここで、アッラーはかれの使徒 {saw} に警告することについて人を選り抜いてはいけないと命ぜられている。そうではなく、彼は身分の高い人にも弱者にも等しく警告しなければならない。貧者、富裕者、主人、奴隷、男性、女性、若者、高齢者のみなにである。そして、アッラーが選ばれた者が真っ直ぐな道に導かれるのである。かれには深い知恵と決定的な証明がある。
وقال أبو يعلى وابن جرير: حدثنا سعيد بن يحيى الأموي، حدثني أبي، عن هشام بن عروة مما عرضه عليه عن عُرْوَة، عن عائشة قالت: أنـزلت: (عَبَسَ وَتَوَلَّى ) في ابن أم مكتوم الأعمى، أتى إلى رسول الله صلى الله عليه وسلم فجعل يقول: أرشدني. قالت: وعند رسول الله صلى الله عليه وسلم من عظماء المشركين. قالت: فجعل النبي صلى الله عليه وسلم يُعرض عنه ويقبل على الآخر، ويقول: "أترى بما أقول
بأسا؟". فيقول: لا. ففي هذا أنـزلت: (عَبَسَ وَتَوَلَّى )
وقد روى الترمذي هذا الحديث، عن سعيد بن يحيى الأموي، بإسناده، مثله، ثم قال: وقد رواه بعضهم عن هشام بن عروة، عن أبيه قال: أنـزلَت (عَبَسَ وَتَوَلَّى ) في ابن أم مكتوم، ولم يذكر فيه عن عائشة
قلت: كذلك هو في الموطأ
アブ ヤアラ と イブン ジャリール はアーイシャが言ったことを記録している。
[عَبَسَ وَتَوَلَّى ]
(彼は眉をひそめ,顔を背けた。) が啓示された。」
アッティルミズィ はこのハディースを記録しているが、アーイシャが語ったこととは言っていない。私はこのように報告されていると言う。アル・ムワッタで。
クルアーンの特徴
アッラーは仰せられている、
[كَلاَّ إِنَّهَا تَذْكِرَةٌ ]
( 断じてそうであるべきではない。本当にこれは訓戒である。) この章、あるいは、身分の高い低いに拘らず万人に等しく知識を伝えることについてのこの忠告のことである。
カターダ と アッスッディ は述べている、
[كَلاَّ إِنَّهَا تَذْكِرَةٌ ]
( 断じてそうであるべきではない。本当にこれは訓戒である。) 「これはクルアーンのことである。」
[فَمَن شَآءَ ذَكَرَهُ ]
( だから誰でも望む者には,それを念じさせなさい。 ) だから誰でも望む者は物事のすべてにおいてアッラーを念じる。会話が仄めかしているので、代名詞は啓示に言及していると理解され得る。
アッラーは仰せられた、
[فَى صُحُفٍ مُّكَرَّمَةٍ - مَّرْفُوعَةٍ مُّطَهَّرَةٍ ]
( それは栄光なる帳簿に - 至高にして清純な) この章、あるいはこの訓戒のこと。その両方の意味が互いに関連している。実際、クルアーンの全ページが栄光で、貴い。
[مَّرْفُوعَةٍ]
( 至高にして) 位の高められた、という意味
[مُّطَهَّرَةٍ]
( 清純な) 不純物、追加と欠落と違って、という意味。
次のアッラーの御言葉について
[بِأَيْدِى سَفَرَةٍ ]
( 使節たち(サファラ)の手で) イブン アッバース、ムジャーヒド、アッダッハーク、イブン ザイド らは言った、「それは天使たちである。」 アル・ブハーリーは言った、「サファラ(使節)は天使のことを述べている。天使たちの間で物事を調整してあちらこちらへ移動する。天使たちがアッラーの啓示を携えて降りてくるとき、人々の間で問題を調整する使節のようにそれを持ってくる。」
アッラーは仰せられた、
[كِرَامٍ بَرَرَةٍ ]
( 気高く敬虔な) ) 彼らは創造において気高く、美しく、高潔である。彼らの気質や行いは正しく、純粋、完全である。クルアーンを運ぶ者(すなわち天使)は公正さと導きに従っている必要があることを述べておかなければならない。
イマーム アフマド はアーイシャによることを記録している。アッラーの使徒 {saw} は言った、
«الَّذِي يَقْرَأُ الْقُرْآنَ وَهُوَ مَاهِرٌ بِهِ، مَعَ السَّفَرَةِ الْكِرَامِ الْبَرَرَةِ، وَالَّذِي يَقْرَؤُهُ وَهُوَ عَلَيْهِ شَاقٌّ، لَهُ أَجْرَان»
(クルアーンを上手に読誦する者は、気高く、正しい使節の天使たちと共にいるだろう。そして、苦労してそれを読誦する人は2つの報奨を受ける。) このハディースは一団によって報告されている。
[قُتِلَ الإِنسَـنُ مَآ أَكْفَرَهُ - مِنْ أَىِّ شَىْءٍ خَلَقَهُ - مِن نُّطْفَةٍ خَلَقَهُ فَقَدَّرَهُ - ثُمَّ السَّبِيلَ يَسَّرَهُ - ثُمَّ أَمَاتَهُ فَأَقْبَرَهُ - ثُمَّ إِذَا شَآءَ أَنشَرَهُ - كَلاَّ لَمَّا يَقْضِ مَآ أَمَرَهُ - فَلْيَنظُرِ الإِنسَـنُ إِلَى طَعَامِهِ - أَنَّا صَبَبْنَا الْمَآءَ صَبّاً - ثُمَّ شَقَقْنَا الاٌّرْضَ شَقّاً - فَأَنبَتْنَا فِيهَا حَبّاً - وَعِنَباً وَقَضْباً - وَزَيْتُوناً وَنَخْلاً - وَحَدَآئِقَ غُلْباً - وَفَـكِهَةً وَأَبّاً مَتَـعاً لَّكُمْ وَلاًّنْعَـمِكُمْ ]
(17. 人間(不信心者)に災いあれ。何とかれは忘恩なことよ。) (18. かれはどんなものから,かれを創られるのか。) (19. 一滴の精液からである。かれは,かれを創り,それから五体を整えられ,) (20. (母の胎内からの)かれの道を容易になされ,) (21. やがてかれを死なせて墓場に埋め,) (22. それから御望みの時に,かれを甦らせる。) (23. いや,かれが命じられたことを,(不信仰者は)果さなかった。) (24. かれに,自分の食物に就いて考えさせてみるがよい。) (25. 本当にわれは,水(雨)を豊かに注ぎ,) (26. 次いで大地を裂いて切れ切れにし,) (27. そこに生長させるものには,穀物,) (28. またブドーや青草,) (29. オリーブやナツメヤシ,) (30. 繁茂した庭園,) (31. 果物や牧草(がある)。) (32. あなたがたとあなたがたの家畜のための用益である。)
死後の生を否定する者に対する反証
アッラーは復活と決定的な召集を否定する者たちを非難される。
[قُتِلَ الإِنسَـنُ مَآ أَكْفَرَهُ ]
( クティラ 人間!) アッダッハーク は イブン アッバースが
[قُتِلَ الإِنسَـنُ]
( クティラ 人間!) 「人間に災いあれ。」 と言ったと報告している。 アブ マーリク も同様に、「何の立証もない議論をしてこれ以上ないほどに否定するような人間を拒否することについて言及されている。そのような人は、ただ自分にはそれが有り得ないことのように思えるというだけで、そして、それについての知識が不足しているために、否定している。」 と言った。
イブン ジュライジュ は、
[مَآ أَكْفَرَهُ]
( 何とかれは忘恩なことよ。) 「これは、その不信心さにおいて彼ほど悪い者はいない、という意味である。」 と言った。
カターダは、
[مَآ أَكْفَرَهُ]
( 何とかれは忘恩なことよ。) 「これは、彼ほど災いを望まれる者はいない、という意味である。」 と言った。
それからアッラーは、かれがどのように卑しい物から人間を創造されたか、そして、かれが最初に創造した時と同じように人を甦らせることができるということを説明されている。アッラーは仰せられる、
[مِنْ أَىِّ شَىْءٍ خَلَقَهُ - مِن نُّطْفَةٍ خَلَقَهُ فَقَدَّرَهُ ]
( かれはどんなものから,かれを創られるのか。- 一滴のヌトゥファから、かれは,かれを創り,かれに定められる。 (日本ムスリム協会訳:それから五体を整えられ,) )
寿命、生計、行為、また彼が惨めとなるか幸せとなるか、などを定められる、ということ。
[ثُمَّ السَّبِيلَ يَسَّرَهُ ]
( かれの道を容易になされ,) アル・アウフィ はイブン アッバースから伝えられたことを報告している、「それからかれは彼に母の胎内から出やすくされた。」 イクリマ、アッダッハーク、アブ サーリフ、カターダ、アッスッディ らによっても同様に述べられ、イブン ジャリールによっても支持されている説明である。
ムジャーヒドは、「これはアッラーの次の御言葉と同様のことで
[إِنَّا هَدَيْنَـهُ السَّبِيلَ إِمَّا شَاكِراً وَإِمَّا كَفُوراً ]
(われは,人間に(正しい)道を示した。感謝する者(信じる者)になるか,信じない者になるか,と。 ) (76:3) つまりこれは、われはそれを彼に説明し、はっきりさせ、彼がそれに基づいて行動し易いようにした、という意味である」 と言った。 アル・ハサン と イブン ザイド も同様に述べた。これがもっともふさわしい見解である。アッラーがもっともよくご存知であられる。
次のアッラーの御言葉について、
[ثُمَّ أَمَاتَهُ فَأَقْبَرَهُ ]
(やがてかれはかれを死なせて墓場に埋め,) 人間を創造した後、アッラーは彼を死なせ、墓場の住人にされる。
アッラーは仰せられた、
[ثُمَّ إِذَا شَآءَ أَنشَرَهُ ]
(それから御望みの時に,かれを甦らせる。) かれは彼が死んだ後に甦らせるということである。これはアル・バァス(復活)、アン・ヌシュル(蘇生) と呼ばれる。
[وَمِنْ ءَايَـتِهِ أَنْ خَلَقَكُمْ مِّن تُرَابٍ ثُمَّ إِذَآ أَنتُمْ بَشَرٌ تَنتَشِرُونَ ]
(かれが,泥からあなたを創られたのは,かれの印の一つである。見るがいい。やがてあなたがた人間は(繁殖して地上に)散らばった。) (30:20)
[وَانظُرْ إِلَى العِظَامِ كَيْفَ نُنشِزُهَا ثُمَّ نَكْسُوهَا لَحْمًا]
(「なおその骨を見なさい。われがどうそれらを起こし,それから肉を着せるかを。」) (2:259)
二つのサヒーフには、次の預言者の言葉がアブ フライラから、そしてアブ サーリフ、そしてアル・アマシュへという道筋により伝えられている。
«كُلُّ ابْنِ آدَمَ يَبْلَى إِلَّا عَجْبَ الذَّنَبِ، مِنْهُ خُلِقَ، وَفِيهِ يُرَكَّب»
(アーダムの子孫全員は、尾骨の骨(尾骨)を除いて腐敗する。その尾骨から、彼(人)は創られ、それによって、彼は再び創られる。)
次のアッラーの御言葉について
[كَلاَّ لَمَّا يَقْضِ مَآ أَمَرَهُ ]
(いや,かれが命じられたことを,彼は果さなかった。) イブン ジャリール は言った、「アッラーは、『いや、事は不信仰者が言うようではない。』 と仰せられている。彼は、自分はアッラーが彼に対して持つ権利を果たしたと言う。 彼自身のことや彼の富について。 (しかし、実際は果たさなかったので、アッラーが仰せられている、)
[لَمَّا يَقْضِ مَآ أَمَرَهُ]
(かれが命じられたことを,彼は果さなかった。) 人間が課せられた義務を主のために完遂していないことを、アッラーは仰せられている。」
私にとって、この本当の意味について明らかに思えるのは -- アッラーがもっともよくご存知なことであるが -- 、この節
[ثُمَّ إِذَا شَآءَ أَنشَرَهُ ]
(それから御望みの時に,かれを甦らせる。) は、かれが人間を復活させるという意味であることである。
[كَلاَّ لَمَّا يَقْضِ مَآ أَمَرَهُ ]
(いや,かれが命じられたことを,彼は果さなかった。)
かれはまだそれ(彼らを復活させること)を行われない。この世に初めて齎された存在から延々と続く、アッラーが存在を決められ記された凡ての生命にしたがって、期間が過ぎ、人の地上での生活の期限が終了するまでは、ということである。 まことにアッラーは、人の存在と期間を定められた。それでアッラーの御許でそれが終わったとき、かれは被造物を復活させ、最初に創造された時と同じように創造を繰り返される。
種子やその他の生育は死後の生の証拠である
[فَلْيَنظُرِ الإِنسَـنُ إِلَى طَعَامِهِ ]
( かれに,自分の食物に就いて考えさせてみるがよい。) これはアッラーの恩恵について熟考するようにとの呼びかけである。そこには、生気のない大地から植物が生き返っている証拠も含まれている。朽ちた骨になってから塵となって撒き散らされた後で、その体に生命を齎すことも同じことであるということが分かるように。
[أَنَّا صَبَبْنَا الْمَآءَ صَبّاً ]
( 本当にわれは,水を豊かに注ぎ,) 「われはそれを空から地に降らせた」 ということである。
[ثُمَّ شَقَقْنَا الاٌّرْضَ شَقّاً ]
( 次いで大地を裂いて切れ切れにし,) 「われはそれ(水)をそこ(大地)にとどまるようにし、境目に入って地中に留められた種に混ざる。 これから種は生長し、伸びて (植物の形で) 地表に現れる。」 ということである。
[فَأَنبَتْنَا فِيهَا حَبّاً - وَعِنَباً وَقَضْباً ]
( そこに生長させるものには,ハッブ,- また葡萄やカドブ,) アル・ハッブ はあらゆる種や実 (または穀類) のこと。葡萄はよく知られたとおりである。アル・カドブは湿った(緑の)草植物で、動物が食む。アル・カトとも呼ばれる。イブン アッバース、カターダ、アッダッハーク、アッスッディ らみながそう述べている。アル・ハサン アル・バスリ は、「アル・カドブ は家畜の飼料である」 と言った。
[وَزَيْتُوناً]
( オリーブ) これはよく知られている。 それは食すことができ、その果汁も同様に食すことが出来る。 私たちはそれを朝食に食べ、油としても使う。
[وَنَخْلاً]
( やナツメヤシ,) 私たちはそれ(その実)の多種のものを食している。バラ、ブスル、ルターブ、タムル、ニヤ、マトゥブフなどがあり、生のもの、熟したもの、乾燥したものがある。 また抽出された果汁から、果肉入りの果実飲料や酢が作られる。
[وَحَدَآئِقَ غُلْباً ]
( グルブ ハダーイク,) は庭のことである。 アル・ハサン と カターダ は言った、「グルブは茂って美しいナツメヤシの園である。」 イブン アッバース と ムジャーヒド は言った、「集まっているものみんなである。」
アッラーは仰せられた、
[وَفَـكِهَةً وَأَبّاً ]
(果物 (ファーキハ) や牧草 (アッブ)) ファーキハはあらゆる種類の果物を含む。 イブン アッバースは、「アル・ファーキハは熟した食物全部である。アル・アッブは大地に生育しているもので、人ではなく、草を食む動物によって食される。」 と言った。イブン アッバースから聞いたという一つの話では、彼は、「それは家畜動物のための草である」 と言った。
アブ ウバイド アル・カースィム ビン サラーム は、イブラーヒーム アッタイミが次のように言ったことを報告している、「アブ バクル アッスィッディク はアッラーの御言葉
[وَفَـكِهَةً وَأَبّاً ]
(果物 (ファーキハ) や牧草 (アッブ)) についてたずねられ、言った、『どんな空が私に影を作ってくれるだろうか。どんな地が私を運んでくれるだろうか。もし私がアッラーの啓典について自分に知識のないことを話したら』 と。」
イブン ジャリールがアナスから伝えられたこととして記録したことによると、アナスは言った、「ウマル ビン アル・ハッターブ は読んだ
[عَبَسَ وَتَوَلَّى ]
(彼は眉をひそめ,顔を背けた。) それから、彼が次の節にきたとき、
[وَفَـكِهَةً وَأَبّاً ]
(果物 (ファーキハ) や牧草 (アッブ)) 彼は言った、『私たちはアル・ファーキハが何であるかすでに知っているが、アル・アッブについてはどうか。』 そして、『あなたの命にかけて、イブン アル・ハッターブよ、これは重荷以上のものである (すなわち、それについて尋ねるのは不必要である)。』 と言った。」 これには確かな継承経路があり、複数の人がアナスから聞き伝えている。この話の意味は、ウマルはそれがどのようなものか、その種類や詳細を知りたかったということである。 なぜなら彼(ウマル)とこの節を読むみなには、それが大地から育つ植物の一つであることが分かっている。 これはアッラーが言われたことからはっきりしている。
[فَأَنبَتْنَا فِيهَا حَبّاً - وَعِنَباً وَقَضْباً - وَزَيْتُوناً وَنَخْلاً - وَحَدَآئِقَ غُلْباً - وَفَـكِهَةً وَأَبّاً ]
(そこに生長させるものには,ハッブ, - また葡萄やカドブ, - オリーブやナツメヤシ, - グルブ ハダーイク, - 果物 (ファーキハ) や牧草 (アッブ) (がある)。 )
そしてそれからかれは仰せられる、
[مَتَـعاً لَّكُمْ وَلاًّنْعَـمِكُمْ ]
(あなたがたとあなたがたの家畜のための用益である。) 審判の日(が訪れる)までの現世でのあなたがた全員とあなたがたの家畜のための生計の手段ということである。
[فَإِذَا جَآءَتِ الصَّآخَّةُ - يَوْمَ يَفِرُّ الْمَرْءُ مِنْ أَخِيهِ - وَأُمِّهِ وَأَبِيهِ - وَصَـحِبَتِهُ وَبَنِيهِ - لِكُلِّ امْرِىءٍ مِّنْهُمْ يَوْمَئِذٍ شَأْنٌ يُغْنِيهِ - وُجُوهٌ يَوْمَئِذٍ مُّسْفِرَةٌ - ضَـحِكَةٌ مُّسْتَبْشِرَةٌ - وَوُجُوهٌ يَوْمَئِذٍ عَلَيْهَا غَبَرَةٌ - تَرْهَقُهَا قَتَرَةٌ - أُوْلَـئِكَ هُمُ الْكَفَرَةُ الْفَجَرَةُ ]
(33. やがて,(終末の)一声が高鳴り,) (34. 人が自分の兄弟から逃れる日,) (35. 自分の母や父や,) (36. また自分の妻や子女から(逃れる日)。) (37. その日誰もかれも自分のことで手いっぱい。) (38. (或る者たちの)顔は,その日輝き,) (39. 笑い,且つ喜ぶ。) (40. だが(或る者たちの)顔は,その日埃に塗れ,) (41. 暗黒が顔を覆う。) (42. これらの者こそ,不信心な者,放蕩者である。)
審判の日とその時に人々が近親から逃げること
[فَإِذَا جَآءَتِ الصَّآخَّةُ]
(やがて,アッサーッハが訪れ) イブン アッバースは、「アッサーッハ は、アッラーがしもべらに注意を促している審判の日の名前の一つである」 と言った。 イブン ジャリールは、「おそらくらっぱが吹かれる名前である。」 と言った。 アル・バガウィ は、「アッサーッハ は審判の日の雷のような叫びを意味している。耳をつんざくのでそのように呼ばれている。これは、耳を聞こえなくしてしまうほどに聴覚を刺してくるということを表している」 と言った。
قال ابن جرير: لعله اسم للنفخة في الصور.
[يَوْمَ يَفِرُّ الْمَرْءُ مِنْ أَخِيهِ - وَأُمِّهِ وَأَبِيهِ - وَصَـحِبَتِهُ وَبَنِيهِ ]
( 人が自分の兄弟から逃れる日,- 自分の母や父や,- また自分の妻や子女から。) 彼は彼らを見るであろうが、彼らから逃げ、彼らから離れて遠くへ行こうとする。恐怖がそれほどに大きく、事は重大なためである。執成しに関連することで真正なハディースがある。それによると、強い意志を持つ偉大な使徒たちのそれぞれが、その被造物のためにアッラーとの執成しを懇願される。だが、各使徒は、「おお、私だ! 私だ! 今日は私自身のこと以外には誰の事もアッラーにお願いしない。」 と言うだろう。マルヤムの子イーサーまでも、「今日は私自身のこと以外には誰の事も彼(アッラー)にお願いしない。私を産んでくれたマルヤムのことさえもお願いしない。」
そのようなわけで、アッラーは仰せられた
[يَوْمَ يَفِرُّ الْمَرْءُ مِنْ أَخِيهِ - وَأُمِّهِ وَأَبِيهِ - وَصَـحِبَتِهُ وَبَنِيهِ ]
( 人が自分の兄弟から逃れる日,- 自分の母や父や,- また自分の妻や子女から。) カターダは、「最愛の人、そしてその次に愛する人、そして最近親、その次に近い親類 -- その日のあまりの恐怖のためである。」 と言った。
アッラーは仰せられた、
[لِكُلِّ امْرِىءٍ مِّنْهُمْ يَوْمَئِذٍ شَأْنٌ يُغْنِيهِ ]
( その日誰もかれも自分のことで手いっぱい。) は、自分のことで心を奪われていて、他の人の事には気が回らない、ということである。
イブン アビ ハーティムはイブン アッバースが伝えたこととして、アッラーの使徒 {saw} がこう言ったと記録している。
«تُحْشَرُونَ حُفَاةً عُرَاةً مُشَاةً غُرْلًا»
(あなた方は裸足、裸で、歩いて、割礼を施されていない姿で集められる。)
それで、彼の妻が言った、「アッラーの使徒よ、私たちは互いの裸の姿を見るのでしょうか。」
預言者 {saw} は答えた、
«لِكُلِّ امْرِىءٍ مِنْهُمْ يَوْمَئِذٍ شَأْنٌ يُغْنِيهِ أو قال: مَا أَشْغَلَهُ عَنِ النَّظَر»
(彼らの各人はその日、あまりに(心配が)あって、ほかの人のことに注意を払っていられないだろう。) -- あるいは、彼 {saw} はこう言った、 (彼はあまりに手一杯で見ていられない。)
イブン アッバースは、預言者 {saw} がこう言ったと伝えている。
«تُحْشَرُونَ حُفَاةً عُرَاةً غُرْلًا»
(あなた方は裸足、裸で、割礼を施されていない姿で集められる。)
それである女性が言った、「私たちは互いの裸の姿を見るのでしょうか。」
彼 {saw} は答えた、
«يَا فُلَانَةُ، لِكُلِّ امْرِىءٍ مِنْهُمْ يَوْمَئِذٍ شَأْنٌ يُغْنِيه»
(おお、これこれの女性よ、その日誰もかれも自分のことで手いっぱい。) アッティルミズィ は、「このハディースは ハサン サヒーフ である」 と述べている。
審判の日の楽園の人々の顔 と 業火の人々の顔
アッラーは仰せられている、
[وُجُوهٌ يَوْمَئِذٍ مُّسْفِرَةٌ - ضَـحِكَةٌ مُّسْتَبْشِرَةٌ ]
( (或る者たちの)顔は,その日輝き(ムスフィラ),- 笑い,よい知らせに喜ぶ。) 人々は二つに分かれる、ということである。ムスフィラの顔、つまり明るく輝く顔がある。
[ضَـحِكَةٌ مُّسْتَبْشِرَةٌ ]
( 笑い,よい知らせに喜ぶ。) うれしさで、幸福と満足を感じるということである。 そのよい知らせは彼らの顔に明らかであろう。これらは楽園の人々となる。
[وَوُجُوهٌ يَوْمَئِذٍ عَلَيْهَا غَبَرَةٌ - تَرْهَقُهَا قَتَرَةٌ ]
( だが(或る者たちの)顔は,その日埃に塗れ - 暗黒(カタラ)が顔を覆う。) 彼らは打ちのめされてカタラ、暗黒に覆われるだろう、ということである。
イブン アッバースは言った、
[تَرْهَقُهَا قَتَرَةٌ ]
( 暗黒(カタラ)が顔を覆う。) 「これは、彼ら(顔)は暗黒で打ちのめされるという意味である。」
アッラーは仰せられた、
[أُوْلَـئِكَ هُمُ الْكَفَرَةُ الْفَجَرَةُ ]
( これらの者こそ,不信心な者,放蕩者である。) 彼らは心の中で信じなかった者、行動では悪事を働いた者である。
これはアッラーが次のように仰せられていることと同様のことである、
[وَلاَ يَلِدُواْ إِلاَّ فَاجِراً كَفَّاراً]
(また罪を犯す不信心な者の外,生まないでしょう。And they ) (71:27)
アバサ章のタフスィールをこれで終える。アッラーに、すべての称賛と感謝あれ。