マディーナで啓示された
[بِسْمِ اللَّهِ الرَّحْمَـنِ الرَّحِيمِ ]
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
[وَيْلٌ لِّلْمُطَفِّفِينَ - الَّذِينَ إِذَا اكْتَالُواْ عَلَى النَّاسِ يَسْتَوْفُونَ - وَإِذَا كَالُوهُمْ أَوْ وَّزَنُوهُمْ يُخْسِرُونَ - أَلا يَظُنُّ أُوْلَـئِكَ أَنَّهُمْ مَّبْعُوثُونَ - لِيَوْمٍ عَظِيمٍ - يَوْمَ يَقُومُ النَّاسُ لِرَبِّ الْعَـلَمِينَ ]
(1. 災いなるかな、量を減らす者こそは。) (2. かれらは人から計って受け取る時は、十分に取り、) (3. (相手にわたす)量や重さを計るときは、少なく計量する者たちである。) (4. これらの者は、甦ることを考えないのか、) (5. 偉大なる日に。) (6. その日、(凡ての)人間は、万有の主の御前に立つのではないか。)
計量を増減することは後悔と敗北の一因となる
アン・ナサーイ と イブン マジャ は、イブン アッバースがこう言ったと記録している、「預言者がアル・マディーナに来たとき、アル・マディーナの人々は量を量ることではもっともひどい人たちだった(彼らはごまかしていた)。それで、アッラーが啓示されたのだ、
[وَيْلٌ لِّلْمُطَفِّفِينَ ]
( アル・ムタッフィフィーンに災いあれ。) と。それ以後、彼らは正当に量り始めた。」 ここでタトゥフィフ という語の意味は、計量する時にけちであるということで、他人から支払われるものは増やし、他人に返すものは減らすということである。
そして、アッラーは、ムタッフィフィーンはかれが敗北と破滅を約束されている者であること、「災いあれ」 と言われるのがどのような人であるかを説明されている。
[الَّذِينَ إِذَا اكْتَالُواْ عَلَى النَّاسِ]
( かれらは人から計って受け取る時は、) 人々の中から、という意味である。
[يَسْتَوْفُونَ]
( 十分に取り、) 彼らは自分の権利を主張し、目いっぱいに、またその上余計に要求するということ。
[وَإِذَا كَالُوهُمْ أَوْ وَّزَنُوهُمْ يُخْسِرُونَ ]
( (相手にわたす)量や重さを計るときは、少なく計量する者たちである。) 彼らは減らすということである。まことに、アッラーは、計量は完全な量を与えられなければならないと命ぜられた。
かれは別の節でも仰せられている、
[وَأَوْفُوا الْكَيْلَ إِذا كِلْتُمْ وَزِنُواْ بِالقِسْطَاسِ الْمُسْتَقِيمِ ذَلِكَ خَيْرٌ وَأَحْسَنُ تَأْوِيلاً ]
(それからあなたがたが計量する時は,(買い手のために)その量を十分にしなさい。また正しい秤で計りなさい。それは立派であり,その方が結果として最良になる。) (17:35)
アッラーはまたこう仰せられている、
[وَأَوْفُواْ الْكَيْلَ وَالْمِيزَانَ بِالْقِسْطِ لاَ نُكَلِّفُ نَفْسًا إِلاَّ وُسْعَهَا]
(また十分に計上し正しく量れ。 われは誰にもその能力以上のことを負わせない。) (6:152)
そしてこう仰せられる、
[وَأَقِيمُواْ الْوَزْنَ بِالْقِسْطِ وَلاَ تُخْسِرُواْ الْمِيزَانَ ]
(厳正に平衡を旨とし量目を少なくしてはならない。) (55:9) アッラーはシュアイブの民を破滅させ一掃されたが、それは、彼らが計量をごまかしていたためである。