マッカで啓示された
スーラト アッ・ライルをイシャの礼拝で読むこと
預言者 {saw} がムアーズに言ったことについて先に触れたが、
«فَهَلَّا صَلَّيْتَ ب
[سَبِّحِ اسْمَ رَبِّكَ الاّعْلَى ]
[وَالشَّمْسِ وَضُحَـهَا ]
[وَالَّيْلِ إِذَا يَغْشَى]»
( (至高の御方,あなたの主の御名を讃えなさい。) (87) や (太陽とその輝きにおいて,) (91) や (覆われる夜において,) (92) (を読んで) 礼拝したらどうか。) と、彼 {saw} は言っていた。
[بِسْمِ اللَّهِ الرَّحْمَـنِ الرَّحِيمِ ]
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。
[وَالَّيْلِ إِذَا يَغْشَى - وَالنَّهَارِ إِذَا تَجَلَّى - وَمَا خَلَقَ الذَّكَرَ وَالاٍّنثَى - إِنَّ سَعْيَكُمْ لَشَتَّى - فَأَمَّا مَنْ أَعْطَى وَاتَّقَى - وَصَدَّقَ بِالْحُسْنَى - فَسَنُيَسِّرُهُ لِلْيُسْرَى - وَأَمَّا مَن بَخِلَ وَاسْتَغْنَى - وَكَذَّبَ بِالْحُسْنَى - فَسَنُيَسِّرُهُ لِلْعُسْرَى - وَمَا يُغْنِى عَنْهُ مَالُهُ إِذَا تَرَدَّى ]
(1. 覆われる夜において,) (2. 輝く昼において,) (3. 男女を創造された御方において(誓う)。) (4. あなたがたの努力は,本当に多様(な結末)である。) (5. それで施しをなし,主を畏れる者,) (6. また至善を実証する者には,) (7. われは(至福への道を)容易にしよう。) (8. だが強欲で,自惚れている者,) (9. 至善を拒否する者には,) (10. われは(苦難への道を)容易にするであろう。) (11. かれが滅び去ろうとする時,その富はかれに役立たないであろう。)
努力における人類の多様性によって誓うこと、そしてそれによる異なる結果について知らせること
アッラーは誓われている、
[الْلَّيْلَإِذَا يَغْشَى]
( 覆う時の夜において,) 夜が闇で被造物を覆う時を意味する。
[وَالنَّهَارِ إِذَا تَجَلَّى ]
( 現れる時の昼において,) 光と輝きと共に。
[وَمَا خَلَقَ الذَّكَرَ وَالاٍّنثَى ]
( 男女を創造された御方において(誓う)。) これはアッラーの次の御言葉と同様である
[وَخَلَقْنَـكُمْ أَزْوَجاً ]
(われはあなたがたを両性に創り,) (78:8)
これはまた次の御言葉と同様である、
[وَمِن كُلِّ شَىْءٍ خَلَقْنَا زَوْجَيْنِ]
(またわれは,凡てのものを両性に創った。) (51:49)
誓いを立てられているこれらのものが正反対であるのと同様に、誓うことも反対のものである。そのためアッラーは仰せられている、
[إِنَّ سَعْيَكُمْ لَشَتَّى ]
( あなたがたの努力は,本当に多様である。) しもべらがなした行動も、正反対で多様である。したがって、よいことをする人々と悪を行う人々がいる。
それからアッラーは仰せられる、
[فَأَمَّا مَنْ أَعْطَى وَاتَّقَى ]
( それで施しをなし,タクワを持つ者,) 与えるように命ぜられているものを与え、諸事においてアッラーを畏れる。
[وَصَدَّقَ بِالْحُسْنَى ]
( またアル・フスナを信じる者には,) そのための補償を、という意味である。これはカターダによって述べられたことである。フサイフは、「報酬を」 と言った。
それからアッラーは仰せられる、
[فَسَنُيَسِّرُهُ لِلْيُسْرَى ]
( われは安楽の道を容易にしよう。) イブン アッバースは、「よいことのため、の意味である」 と言った。
それからアッラーは仰せられる、
[وَأَمَّا مَن بَخِلَ]
( だがけちで,) 彼が持っているものについて、の意味である。
[وَاسْتَغْنَى]
( 自惚れている者,) イクリマは、イブン アッバースがこう言ったと記録している、「これは、その人が自分の富にけちで、自分には神は必要ないと思っている、という意味である。」 これはイブン アビ ハーティムにより記録されている。
[وَكَذَّبَ بِالْحُسْنَى ]
( アル・フスナを拒否する者には,) 来世の住まいでの報いのことである。
[فَسَنُيَسِّرُهُ لِلْعُسْرَى ]
( われは悪への道を容易にするであろう。) 悪の道のことであるが、これはアッラーが次のように仰せられているのと同様のことである、
[وَنُقَلِّبُ أَفْئِدَتَهُمْ وَأَبْصَـرَهُمْ كَمَا لَمْ يُؤْمِنُواْ بِهِ أَوَّلَ مَرَّةٍ وَنَذَرُهُمْ فِى طُغْيَانِهِمْ يَعْمَهُونَ ]
( かれらが最初これを信じなかった時のように,われはかれらの心と目を混乱させて,かれらの反逆を放任し,当てもなくさ迷わせるであろう。) (6:110)
そして、このことを意味する節はたくさんあり、悪を意図する者はみな見捨てられる一方で、善を意図する者にアッラーは報いられるということが述べられている。そして、これら全ては定められた神命に従って起こるのである。これを証明するハディースもたくさんある。
アブ バクル アッ・スィッディークの話
イマーム アフマドは アブ バクルから、彼がアッラーの使徒 {saw} に言ったことを記録している、「アッラーの使徒よ、私たちはすでに決定されていることによって行動しているのですか。それとも、その問題は始まりだけですか (すなわち、まだ未決定である)。」 彼は答えた、
«بَلْ عَلَى أَمْرٍ قَدْ فُرِغَ مِنْه»
( 実のところ、すでに決定されていることによってである。) それでアブ バクルは言った、「それでは、アッラーの使徒よ、行いは何のためですか。」 彼は答えた、
«كُلٌّ مُيَسَّرٌ لِمَا خُلِقَ لَه»
( みな、行うのが易しいと感じられる行いがあるが、それが、その人が何のために創られたかに繋がっている)
アリーの話
アル・ブハーリーは、アリ ビン アビ ターリブから、彼ら (教友ら) がアッラーの使徒 {saw} とバキーウ アル・ガルカドの葬儀で墓地にいた時にアッラーの使徒 {saw} が言ったことを記録している。
«مَا مِنْكُمْ مِنْ أَحَدٍ إِلَّا وَقَدْ كُتِبَ مَقْعَدُهُ مِنَ الْجَنَّةِ وَمَقْعَدُهُ مِنَ النَّار»
(あなた方のうち、楽園の席か業火の席か、その場所がまだ書かれていない者はいない。) 彼らは言った、「アッラーの使徒よ、私たちはそれに任せなければなりませんか。」 彼は答えた、
«اعْمَلُوا ، فَكُلٌّ مُيَسَّرٌ لِمَا خُلِقَ لَه»
( 行いをしなさい。なぜなら、みな、(楽園か地獄か) のために創られていて、そのための行為をすることが容易にされているから。)
そして次の節を読んだ。
[فَأَمَّا مَنْ أَعْطَى وَاتَّقَى - وَصَدَّقَ بِالْحُسْنَى - فَسَنُيَسِّرُهُ لِلْيُسْرَى ]
( それで施しをなし,タクワを持つ者, - またアル・フスナを信じる者には, - われは安楽の道を容易にしよう。) から
[لِلْعُسْرَى]
( われは悪への道を容易にするであろう。) まで。
彼 (イマーム アル・ブハーリー) はまた、別の似た話をアリ ビン アビ ターリブから記録している。そちらでは彼はこう言っている、「私たちがバキーウ アル・ガルカドの葬儀で墓地にいた時、アッラーの使徒 {saw} が来てすわった。それで私たちは彼の周りにすわった。彼は棒を持っていた。それから、彼は頭を下げて地面を棒でひっかき始めた。そして言った、
«مَا مِنْكُمْ مِنْ أَحَدٍ أَوْ مَا مِنْ نَفْسٍ مَنْفُوسَةٍ إِلَّا كُتِبَ مَكَانُهَا مِنَ الْجَنَّةِ وَالنَّارِ،وَإِلَّا قَدْ كُتِبَتْ شَقِيَّةً أَوْ سَعِيدَة»
( あなた方のうち誰も、一つの魂も、楽園か業火の場所を書かれていない者はない。惨めになるか幸せになるかどうかも書かれていない者はない。) ある人が言った、「アッラーの使徒よ、私たちはただ自分たちに書かれていることに委ねて行いをするのを止めるべきですか。なぜなら、私たちのうち、その幸せな人々の中にいる者は幸せな人となり、私たちの間でその惨めな人々の中にいる者は惨めな人となるのですから。」 預言者 {saw} は答えた、
«أَمَّا أَهْلُ السَّعَادَةِ فَيُيَسَّرُونَ لِعَمَلِ أَهْلِ السَّعَادَةِ، وَأَمَّا أَهْلُ الشَّقَاءِ فَيُيَسَّرُونَ إِلَى عَمَلِ أَهْلِ الشَّقَاءِ، ثُمَّ قَرَأَ:
( 幸せな人々の間にいる者は、幸せな人々のする行いをすることが容易にされている。そして、惨めな人々のうちにいる者は、惨めな人々のする行いをすることが容易にされているのである。) そして次の節を読んだ。
[فَأَمَّا مَنْ أَعْطَى وَاتَّقَى - وَصَدَّقَ بِالْحُسْنَى - فَسَنُيَسِّرُهُ لِلْيُسْرَى - وَأَمَّا مَن بَخِلَ وَاسْتَغْنَى ]
وَكَذَّبَ بِالْحُسْنَى- فَسَنُيَسّرُهُ لِلْعُسْرَى-]»
( それで施しをなし,タクワを持つ者, - またアル・フスナを信じる者には, - われは安楽の道を容易にしよう。 - だがけちで,自惚れている者, - アル・フスナを拒否する者には, - われは悪への道を容易にするであろう。) グループの他の編纂者たちも、このハディースを記録している。
アブドッラー ビン ウマルの話
イマーム アフマドは、イブン ウマル から、ウマルがこう言ったことを記録している、「アッラーの使徒よ、私たちがする行為が予めすでに決まっている事であると思いますか、それとも、それらは始まったばかりのこと、または新しいことなのですか。」 預言者 {saw} は答えた、
«فِيمَا قَدْ فُرِغَ مِنْهُ، فَاعْمَلْ يَا ابْنَ الْخَطَّابِ، فَإِنَّ كُلًّا مُيَسَّرٌ، أَمَّا مَنْ كَانَ مِنْ أَهْلِ السَّعَادَةِ فَإِنَّهُ يَعْمَلُ لِلسَّعَادَةِ، وَأَمَّا مَنْ كَانَ مِنْ أَهْلِ الشَّقَاءِ فَإِنَّهُ يَعْمَلُ لِلشَّقَاء»
( 予めすでに決まっている事である。従って、アル・ハッターブの息子よ、行いをしなさい。なぜなら、まことに各人にはその人に容易にされている事があるから。それで、幸せの人々のうちにいる者は幸せのための行いをし、惨めな人々のうちにいる者は惨めさのための行いをするのである。) このハディース はアッ・ティルミズィがアル・カダルの書に記録し、「ハサン サヒーフ」 としている。
ジャービル イブン ジャリールが ジャービル ビン アブドッラーから記録し伝えている別のハディースでは、ジャービル ビン アブドッラーがこう言っている、「アッラーの使徒よ、私たちは予めすでに決まっている事のために行いをしているのですか。それとも、事態は (今) 私たちがしていることに基づいているのですか。」 預言者 {saw} は答えた、
«لِأَمْرٍ قَدْ فُرِغَ مِنْه»
( 予めすでに決まっている事である。) すると、スラカが言った、「それでは、行いの目的は何ですか。」 アッラーの使徒は言った、
«كُلُّ عَامِلٍ مُيَسَّرٌ لِعَمَلِه»
( 行いをする者はみな、その行いは各人にとって容易にされている。 ) ムスリムもこのハディースを記録している。
イブン ジャリールはアーミル ビン アブドッラ ビン アッ・ズバイル から、彼がこう言ったことを記録している、「アブ バクルは、マッカで、奴隷がイスラームを受け入れると解放していた。彼は、年老いた人や女性がイスラームを受け入れると解放していた。それで彼の父親は言った、『息子よ、あなたは弱い人々を解放しているようだが、もし強い人々を解放したら、彼らはあなたを支持し、擁護し、守ることができるだろう。』 アブ バクルは答えた、『お父さん、私はアッラーの御許にあることをしたいだけです。』 と。 私の家族の何人かは、この節は彼について啓示されたものであると言った-
[فَأَمَّا مَنْ أَعْطَى وَاتَّقَى - وَصَدَّقَ بِالْحُسْنَى - فَسَنُيَسِّرُهُ لِلْيُسْرَى ]
( それで施しをなし,タクワを持つ者, - またアル・フスナを信じる者には, - われは安楽の道を容易にしよう。) 」
それから、アッラーは仰せられる、
[وَمَا يُغْنِى عَنْهُ مَالُهُ إِذَا تَرَدَّى ]
( かれが沈む時,その富はかれに役立たないであろう。) ムジャーヒドは、「これは彼が死ぬ時、という意味である」 と言った。 アブ サーリフ と マーリク は、ザイド ビン アスラムの話から、「業火に沈む時」 と言った。
[إِنَّ عَلَيْنَا لَلْهُدَى - وَإِنَّ لَنَا لَلاٌّخِرَةَ وَالاٍّولَى - فَأَنذَرْتُكُمْ نَاراً تَلَظَّى - لاَ يَصْلَـهَآ إِلاَّ الاٌّشْقَى - الَّذِى كَذَّبَ وَتَوَلَّى - وَسَيُجَنَّبُهَا الاٌّتْقَى - الَّذِى يُؤْتِى مَالَهُ يَتَزَكَّى - وَمَا لاًّحَدٍ عِندَهُ مِن نِّعْمَةٍ تُجْزَى - إِلاَّ ابْتِغَآءَ وَجْهِ رَبِّهِ الاٌّعْلَى - وَلَسَوْفَ يَرْضَى ]
(12. 本当に導きはわれにあり,) (13. 来世も現世もわれに属する。) (14. それでわれは燃え盛る業火に就いてあなたがたに警告した。) (15. 最も不幸な者でない限り,誰もそれで焼かれない。) (16. それは(真理を)嘘であると言い背き去った者。) (17. だが(主のために)忠誠の限りを尽した者は,それから救われ,) (18. その富を施し,自分を清める。) (19. また誰からも,慈悲の報酬を求めない。) (20. 一生懸命に至高者,主の御顔を請うだけである。) (21. やがて,かれは(十分に)満足出来るであろう。)
導きとその他の事はアッラーの御手にあること、地獄の火についてのアッラーの警告
カターダは言った、
[إِنَّ عَلَيْنَا لَلْهُدَى ]
( 本当に導きはわれにあり,) 「これは、われが何が合法的で何が禁じられているかを説明する、ということである」 と。
他の人々はそれは、「導きの道を渡る者は誰でも、アッラーに到達するだろう (すなわち、来世で)」 ということであると述べている。彼らはこの節はアッラーが仰せられている次の御言葉と同様であるとみなしている。
[وَعَلَى اللَّهِ قَصْدُ السَّبِيلِ]
((正しい)道に方向付けるのは、アッラーの仕事である。) (16:9) これはイブン ジャリールによって述べられている。
アッラーは仰せられた、
[وَإِنَّ لَنَا لَلاٌّخِرَةَ وَالاٍّولَى ]
( 来世も現世もわれに属する。) これは、『それは両方ともわれに属し、われはそれを完全に支配している』 という意味である。
それからアッラーは仰せられている、
[فَأَنذَرْتُكُمْ نَاراً تَلَظَّى ]
( それでわれはタラッザ業火に就いてあなたがたに警告した。) ムジャーヒドは、 「燃え立つ」 と言った。
イマーム アフマドは、スィマク ビン ハルブ から、彼が アン・ヌゥマン ビン バシルが説教するのを聞いたことを記録している。説教で、アン・ヌゥマンは言った、「私はアッラーの使徒が説教をするのを聞いたが、そこで彼はこう言った、
«أَنْذَرْتُكُمُ النَّار»
( 私はあなた方に業火について警告した。)