マッカで啓示された

 

 旅行中の礼拝時にアッ・ティーン章を読むこと

 マーリク と シュアバ は、アディ ビン サービト から、アル・バラーウ ビン アーズィブ がこう言ったことを伝えている、「預言者 {saw} は旅行中、 1ラカートは 『アッ・ティーン ワッ・ザイトゥーン』 (アッ・ティーン章) を読んだものであったが、彼よりよい声でよい読誦をするのを聞いたことがない。」 

 

أخرجه الجماعة في كتبهم

 

' The Group has recorded this Hadith in their books.

 

[بِسْمِ اللَّهِ الرَّحْمَـنِ الرَّحِيمِ ]

 慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において。

 

[وَالتِّينِ وَالزَّيْتُونِ - وَطُورِ سِينِينَ - وَهَـذَا الْبَلَدِ الاٌّمِينِ - لَقَدْ خَلَقْنَا الإِنسَـنَ فِى أَحْسَنِ تَقْوِيمٍ - ثُمَّ

رَدَدْنَـهُ أَسْفَلَ سَـفِلِينَ - إِلاَّ الَّذِينَ ءَامَنُواْ وَعَمِلُواْ الصَّـلِحَـتِ فَلَهُمْ أَجْرٌ غَيْرُ مَمْنُونٍ - فَمَا يُكَذِّبُكَ بَعْدُ

بِالدِّينِ - أَلَيْسَ اللَّهُ بِأَحْكَمِ الْحَـكِمِينَ ]

 

 (1. 無花果とオリーブにおいて,) (2. シナイ山において,) (3. また平安なこの町において(誓う)。) (4. 本当にわれは,人間を最も美しい姿に創った。) (5. それからわれは,かれを最も低く下げた。) (6. 信仰して善行に勤しむ者は別である。かれらに対しては果てしない報奨があろう。) (7. なぜそれでも,おまえは宗教(真実)を否定するのか。) (8. アッラーは,最も優れた審判者ではないか。)

 

 アッ・ティーンとその後に来るものの説明

 アル・アウフィ は イブン アッバース から、アッ・ティーン が意味しているのは アル・ジューディ山に建てられたヌーフモスクであると報告している。 ムジャーヒドは、「あなたが持っているのはこの無花果である」 と言った。

 

[وَالزَّيْتُونِ]

 ( アッ・ザイトゥーンにおいて )  カアブ アル・アフバール、カターダ、イブン ザイド、その他の人々は、「それはエルサレムのモスク (バイト アル・マクディス) である」 と言っている。 ムジャーヒド と イクリマ は、「あなたが (油を抽出するために) 搾るのは、このオリーブである」 と言った。

 

[وَطُورِ سِينِينَ ]

 ( トゥール スィーニーンにおいて )  カアブ アル・アフバール と 何人かの人々は、「アッラーがムーサーに語りかけた山である」 と言っている。

 

[وَهَـذَا الْبَلَدِ الاٌّمِينِ ]

 

وقال بعض الأئمة: هذه مَحَالٌّ ثلاثة، بعث الله في كل واحد منها نبيًا مرسلا من أولي العزم أصحاب الشرائع الكبار،

 ( また平安なこの町において(誓う)。)  マッカのことである、と イブン アッバース、ムジャーヒド、イクリマ、アル・ハサン、イブラーヒーム アン・ナハイー、イブン ザイド、カアブ アル・アフバールが述べた。これについての意見に相違はない。イマームの中には、それは三つの異なる場所で、アッラーが主要な使徒のうちの一人をそれぞれの場所に送り、偉大な法が伝えられた、と述べる者もいる。第一の場所は無花果とオリーブのそれで、エルサレム、アッラーはそこにマルヤムの子イーサーを遣わされた。第二の場所はスィーニーン山、つまりシナイ山で、アッラーはそこでイムラーンの子ムーサーに語りかけられた。第三の場所はマッカ、そこに入った者はみな安全な、平安の町である。また、ムハンマドが遣わされた町である。この三つの場所はタウラー (律法) の最後に出てくるという。その韻文はこうである、 「アッラーは、シナイ山から来られ - アッラーがイムラーンの子ムーサーに語りかけた山のこと - サーイールから輝きを放たれ - エルサレムの山で、アッラーはそこからイーサーを遣わされた - ファランの山から見えられる マッカの山で、アッラーはそこからムハンマドを遣わされた。」  かれは使徒たちのことを、出現の時間的な順序に基づいて彼らに知らせるためにこのように言及されていた。だからかれは尊い場所において誓われ、次にさらに尊い場所において、その後に前の二つよりもさらに尊い場所において誓われたのである。

 

 たとえ最高の形で創られたとしても卑しくなる人間

 結果、アッラーは仰せられる、

[لَقَدْ خَلَقْنَا الإِنسَـنَ فِى أَحْسَنِ تَقْوِيمٍ ]

 ( 当にわれは,人間を最も美しい姿に創った。)  これが誓いの主題で、アッラーは最もよい姿・形に人間を創られたということである。かれが美しくされたまっすぐな四肢を持ち、まっすぐに立つ。

 

[ثُمَّ رَدَدْنَـهُ أَسْفَلَ سَـفِلِينَ ]

 ( それからわれは,かれを低い中でも最も低く下げた。)  地獄へ、という意味である。これは、ムジャーヒド、アブ アル・アーリヤ、アル・ハサン、イブン ザイド、その他の人々によって述べられていることである。 この魅力と美しさの後、アッラーに従わず、使徒のことを歪めるならば、彼らの行き先は業火となろう。

 そのため、アッラーは仰せられている

[إِلاَّ الَّذِينَ ءَامَنُواْ وَعَمِلُواْ الصَّـلِحَـتِ]

 ( 信仰して善行に勤しむ者は別である。)  

 

[ثُمَّ رَدَدْنَـهُ أَسْفَلَ سَـفِلِينَ ]

 ( それからわれは,かれを低い中でも最も低く下げた。)  「これは、老い入れの老年を意味する」 という人々もいる。これはイブン アッバースとイクリマから報告されている。イクリマはさらに、「クルアーンを集めた (すなわち、全部暗記した) 者は誰でも老い入れの年には戻されない」 と言っている。 イブン ジャリールはこの説明の方を選んでいる。たとえこれがそれが意味していることであったとしても、これから信者を除外することは正しくない。なぜなら信者たちの中には老齢のための老衰で参っている者がいるためである。 

 従って、ここでの意味は、すでに先に述べたこと (すなわち最初の見解) で、アッラーが次のように仰せられているのと同様のことである。

 

[وَالْعَصْرِ - إِنَّ الإِنسَـنَ لَفِى خُسْرٍ إِلاَّ الَّذِينَ ءَامَنُواْ وَعَمِلُواْ الصَّـلِحَـتِ]

 ( アル・アスルにかけて(誓う)。 - 本当に人間は,喪失の中にいる。 -  信仰して善行に勤しみ,互いに真理を勧めあい,また忍耐を勧めあう者たちの外は。) (103:1-3)

 

 次のアッラーの御言葉

[فَلَهُمْ أَجْرٌ غَيْرُ مَمْنُونٍ]

 ( かれらに対しては果てしない報奨があろう。)  は、前に述べたように、それには終わりがないということである。

 それからアッラーは仰せられる、

[فَمَا يُكَذِّبُكَ]

 ( なぜそれでも,おまえは否定するのか。)   『アーダムの子よ!』 

[بَعْدُ بِالدِّينِ]

 ( 宗教after this the Recompense)  『来世で与えられる報いで』 という意味である。『なぜなら、あなたは本当に始まりを知っていて、(創造を) 始めることができるお方はそれを繰り返すことも出来、そちらの方が簡単であることを知っている。それで、これを知った後で、あなたが来世に最後に帰ることを否定するのは何のためか。』

 それからアッラーは仰せられる 

[أَلَيْسَ اللَّهُ بِأَحْكَمِ الْحَـكِمِينَ ]

 ( アッラーは,最も優れた審判者ではないか。) かれは誰も虐げたりなさらず、誰にも不公平なことをなさらない、最も優れた審判者ではないか』 ということである。そしてかれの正義から、かれは審判を確立され、この世で不当な扱いをされた人に、不正を行った人に対して報いられる。 

 これでスーラト ワッ・ティーン ワッ・ザイトゥーンのタフスィールを終える。すべての称賛と感謝はアッラーにあれ。