イムラーン家章はマディーナで啓示された。それは、この章はじめの83節がヒジュラ9年目 (632 CE)にマディーナに到着したナジュランからの代表派遣団に関するものであるという事実によって明白である。アッラーがお望みなら、この章の Mubahalah [3:61] についての節を説明する際、この事柄について詳しく述べる。また、雌牛章のタフスィールのはじめのところで雌牛章の徳と共にイムラーン家章の徳についても述べたことを書き添えておく。
[بِسْمِ اللَّهِ الرَّحْمَانِ الرَّحِيمِ ]
[الم - اللّهُ لا إِلَـٰهَ إِلاَّ هُوَ الْحَيُّ الْقَيُّومُ - نَزَّلَ عَلَيْكَ الْكِتَابَ بِالْحَقِّ مُصَدِّقاً لِّمَا بَيْنَ يَدَيْهِ وَأَنزَلَ التَّوْرَاةَ وَالإِنجِيلَ - مِن قَبْلُ هُدًى لِّلنَّاسِ وَأَنزَلَ الْفُرْقَانَ إِنَّ الَّذِينَ كَفَرُوا بِآيَاتِ اللّهِ لَهُمْ عَذَابٌ شَدِيدٌ وَاللّهُ عَزِيزٌ ذُو انتِقَامٍ ]
(1. アリフ・ラーム・ミーム,)(2. アッラー,かれの外に神はなく,永生し自存される御方であられる。 )(3. かれは真理をもって,あなたに啓典を啓示され,その以前にあったものの確証とし,また(先に)律法と福音を下され,)(4. この前にも人びとを導き,(今)また(正邪の)識別を御下しになる。本当にアッラーの印を偽りであるとする者には,烈しい懲罰があろう。アッラーは偉力ならびなき応報の主であられる。)
アーヤト・ル・クルスィ [2:255] のタフスィールのところで触れたハディースがある。アッラーの偉大なる御名がこの2つの節(二節)に含まれている。
[اللَّهُ لاَ إِلَـٰهَ إِلاَّ هُوَ الْحَىُّ الْقَيُّومُ ]
( アッラー,かれの外に神はなく,永生に自存される御方。 ) と、
[الم - اللّهُ لا إِلَـٰهَ إِلاَّ هُوَ الْحَيُّ الْقَيُّومُ ]
(アリフ・ラーム・ミーム, アッラー,かれの外に神はなく,永生し自存される御方であられる。 ) である。
[الم ]
(アリフ・ラーム・ミーム)のタフスィールも、雌牛章のはじめ(アリフ・ラーム・ミーム)で説明した。
[اللَّهُ لاَ إِلَـٰهَ إِلاَّ هُوَ الْحَىُّ الْقَيُّومُ ]
( アッラー,かれの外に神はなく,永生に自存される御方。 ) も、アーヤト・ル・クルスィ ( アッラー,かれの外に神はなく,永生に自存される御方。 ) のタフスィールで説明した。
[نَزَّلَ عَلَيْكَ الْكِتَابَ بِالْحَقِّ]
アッラーの御言葉 (かれは真理をもって,あなたに啓典を啓示され,) は、「ムハンマドよ、あなたに真理をもってクルアーンを啓示した」、つまり、それがアッラーから啓示されたものであることは疑いの余地がないという意味である。まことに、アッラーは英知をもってクルアーンを啓示され、天使はこの事を証言する。アッラーは証言者としてこのうえないお方であられる。
[مُصَدِّقاً لِّمَا بَيْنَ يَدَيْهِ]
アッラーの御言葉 (その以前にあったものの確証とし,) は、アッラーのしもべや預言者に以前に送られた聖典から。それらの啓典はクルアーンが真正なものであることを証明し、またクルアーンは、ムハンマド {saw} の預言者としての神託の知らせや聖クルアーンの啓示等それらの啓典が述べている真実を証明する。
[وَأَنزَلَ التَّوْرَاةَ]
アッラーは仰せられた、イムラーンの息子ムーサー(モーゼ)に (律法を下され)
[وَالإِنجِيلَ]
マルヤム(マリヤ)の息子イーサーに (福音を下され)
[مِن قَبْلُ]
(この前にも) 「クルアーンが啓示されるより以前に」
[هُدًى لِّلنَّاسِ]
その当時の (人びとのための導きとして)
[وَأَنزَلَ الْفُرْقَانَ]
((今)また(正邪の)識別を御下しになる) 誤った導き、虚偽、逸脱、そしてその対極にある正しい導き、真実、信心との間を区別するものである。そこに指摘されていること、表されている印、はっきりした跡と明白な証明があるため、そこに説明、解明等されているためである。
[إِنَّ الَّذِينَ كَفَرُوا بِأيَاتِ اللَّهِ]
アッラーの御言葉 (本当にアッラーの印を偽りであるとする者には,) その者たちはアッラーの印を否定し、拒否し、不当に拒絶した
[لَهُمْ عَذَابٌ شَدِيدٌ]
復活の日、 (烈しい懲罰があろう)
[وَاللَّهُ عَزِيزٌ]
(アッラーは偉力ならびなき) アッラーの威厳は誰にも打ち勝つことが出来ないもので、その主権は無限である。
[ذُو انتِقَامٍ]
(応報の主であられる) アッラーの印を拒否し、気高い使徒や偉大な預言者たちに反抗する者たちに対して。
[إِنَّ اللَّهَ لاَ يَخْفَى عَلَيْهِ شَيْءٌ فِي الأَرْضِ وَلاَ فِي السَّمَآءِ - هُوَ الَّذِي يُصَوِّرُكُمْ فِي الأَرْحَامِ كَيْفَ يَشَآءُ لاَ إِلَـٰهَ إِلاَّ هُوَ الْعَزِيزُ الْحَكِيمُ ]
(5. 本当に地においても天にあっても,アッラーに隠す何ものもない。) (6. かれこそは,御心のままにあなたがたを胎内に形造られる方である。かれの外に神はなく,偉力ならびなき英明な方であられる。)
アッラーには天と地の完全な知識があり、天地の何もアッラーの目から隠すことはできないと仰せられる。
[هُوَ الَّذِي يُصَوِّرُكُمْ فِي الأَرْحَامِ كَيْفَ يَشَآءُ]
(かれこそは,御心のままにあなたがたを胎内に形造られる方である。) かれはあなたを男児であろうと女児であろうと、美形でもそうでなくとも、幸せにも不幸にも、御心のままに胎内に創られた。
[لاَ إِلَـٰهَ إِلاَّ هُوَ الْعَزِيزُ الْحَكِيمُ]
(かれの外に神はなく,偉力ならびなき英明な方であられる。) は、かれは創造主であり、唯一崇拝に値する唯一の神、同位のものは何もない。そして、完全な力、英知、決定力をお持ちである。この節は、アッラーがほかの人間を創造したのと同じく、マルヤムの息子イーサーも創造されたしもべである事に触れている。 アッラーは(母親の)胎内にイーサーを創られ、御心のままに形作られた。 従って、キリスト教徒(彼らにアッラーのお怒りあれ)が主張するようにイーサーが神であるというのは、どうして起こりえよう。イーサーは胎内に創られた。そして、その創造物はアッラーが次のように述べられている通り、段階を経て変化する。
[يَخْلُقُكُمْ فِي بُطُونِ أُمَّهَاتِكُـمْ خَلْقاً مِّن بَعْدِ خَلْقٍ فِي ظُلُمَاتٍ ثَلاَثٍ]
(かれはあなたがたを母の胎内に創られ,3つの暗黒の中において,創造につぐ創造をなされた。) [39:6].
[هُوَ الَّذِي أَنزَلَ عَلَيْكَ الْكِتَابَ مِنْهُ آيَاتٌ مُّحْكَمَاتٌ هُنَّ أُمُّ الْكِتَابِ وَأُخَرُ مُتَشَابِهَاتٌ فَأَمَّا الَّذِينَ فى قُلُوبِهِمْ زَيْغٌ فَيَتَّبِعُونَ مَا تَشَابَهَ مِنْهُ ابْتِغَآءَ الْفِتْنَةِ وَابْتِغَآءَ تَأْوِيلِهِ وَمَا يَعْلَمُ تَأْوِيلَهُ إِلاَّ اللَّهُ وَالرَّاسِخُونَ فِي الْعِلْمِ يَقُولُونَ آمَنَّا بِهِ كُلٌّ مِّنْ عِندِ رَبِّنَا وَمَا يَذَّكَّرُ إِلاَّ أُوْلُوا الأَلْبَابِ - رَبَّنَا لاَ تُزِغْ قُلُوبَنَا بَعْدَ إِذْ هَدَيْتَنَا وَهَبْ لَنَا مِن لَّدُنكَ رَحْمَةً إِنَّكَ أَنتَ الْوَهَّابُ - رَبَّنَآ إِنَّكَ جَامِعُ النَّاسِ لِيَوْمٍ لاَّ رَيْبَ فِيهِ إِنَّ اللَّهَ لاَ يُخْلِفُ الْمِيعَادَ ]
(7. かれこそは,この啓典をあなたに下される方で,その中の(ある)節は明解で,それらは啓典の根幹であり,他(の節)はあいまいである。そこで心の邪な者は,あいまいな部分にとらわれ,(その隠された意味の)欠陥を求めて,それに勝手な解釈を加えようとする。だがアッラーの外には,その(真の意味)を知るものはない。
それで知識の基礎が堅固な者は言う。「わたしたちはこれ(クルアーン)を信じる。これは凡て主から(賜わったもの)である。」 だが思慮ある者の外は,反省しない。)
(8. (かれらは祈って言う。)「主よ,わたしたちを導かれた後,わたしたちの心をそらさないで下さい。あなたの御許から,わたしたちに御慈悲を与えて下さい。本当にあなたこそ,限りなく与えられる御方であられます。」)
(9. 「主よ,本当にあなたは疑いの余地のない(最後の審判の)日に,人びとを集められる方であられます。アッラーは約束をたがえられることはありません。」)
ムタシャビハート と ムフカマート である節
アッラーは、クルアーンにはムフカマート、つまりまったく明快で簡潔な節があり、それは啓典の根幹で誰の目にも明らかであると仰せられている。 またクルアーンには、ムタシャービハート、多くの人、或いはいくらかの人には完全にはっきりしていない節がある。 そこで、はっきりしない節を理解するのに明らかな節を参照する人は正しい導きを得るのであり、逆もまたその通りである。そういうわけで、アラーは次のように仰せられた、
[هُنَّ أُمُّ الْكِتَابِ]
(それらは啓典の根幹であり) , それらはクルアーンの基礎であるので、解明する事柄の正当性を確認するときには、それらを元にしななければならない。
[وَأُخَرُ مُتَشَابِهَاتٌ]
(他(の節)はあいまいである) いくつかの意味があるので、その明白な事柄に一致するものもあれば、他の字義を持つものがある。そして、その意味はそこで要求されているものではないこともある、ということ。
ムフカマートは、廃止事項、許可・禁止規定、制限、義務、信じるべき事、遂行すべき事などを説明する節である。
ムタシャービハートな節に関しては、廃止された節、寓話、誓い、それに信じなければならないが実行されてはならないことを含む。
[مِنْهُ آيَاتٌ مُّحْكَمَاتٌ]
ムハンマド ビン イシャク ビン ヤサールは (その中の(ある)節は明解で) について、「主の証明、しもべのための免責、敵の反駁、虚偽の反証を含むこと。それらは元々意図されていることから変更してもいけないし、置き換えてもいけない。」 と注釈している。 そして、「曖昧な節というのは、置き換えや変更をしようとすればできる (しかし、してはいけない)、アッラーのしもべに対する試みである。許可する事物と禁止する事物でアッラーがしもべを試みられたのと同じように。 したがって、これらの節を変えて間違った意味を示したり、真実からゆがめてはいけない。」と言っている。
それゆえ、アッラーは次のように仰せられた、
[فَأَمَّا الَّذِينَ فِي قُلُوبِهِمْ زَيْغٌ]
(そこで心の邪な者は,) つまり、誤った導きの中にいて、真実から虚偽へと逸脱している者である。
[فَيَتَّبِعُونَ مَا تَشَابَهَ مِنْهُ]
(あいまいな部分にとらわれ,) そのような人々は曖昧な節を参照元にする。 曖昧な節は意味を変えることができ、彼らの間違った解釈を固めることができるためである。それというのも曖昧な表現が意味の幅広い解釈を可能にするからである。 明快な節ははっきりしているので変えることが出来ないので、誤った導きにある人々にとって不利な明確な証拠となる。 そのためにアッラーは次のように仰せられた、
[ابْتِغَآءَ الْفِتْنَةِ]
((その隠された意味の)欠陥を求めて,) 彼らは自分たちの作り出したものをクルアーン -- その中でも曖昧な部分 -- に基づいて証明するふりをして人々を誤った方向へ導びこうとする。しかし、これは彼らに不利になる証拠であり、彼らにとって有利に働くのではない。 たとえば、キリスト教徒はこう言うかもしれない、「(イーサーは神である。 なぜなら) クルアーンに、イーサーはマルヤムに与えられたアッラーの霊であり、アッラーの御言葉であると書かれてあるではないか。」 しかし彼らがそのように言う時、次のアッラーの御言葉はまったく無視しているのである、
[إِنْ هُوَ إِلاَّ عَبْدٌ أَنْعَمْنَا عَلَيْهِ]
(かれ(イーサー)は,われが恩恵を施したしもべに過ぎない。) [43:59]
また、
[إِنَّ مَثَلَ عِيسَى عِندَ اللَّهِ كَمَثَلِ ءَادَمَ خَلَقَهُ مِن تُرَابٍ ثُمَّ قَالَ لَهُ كُن فَيَكُونُ ]
(イーサーはアッラーの御許では,丁度アーダムと同じである。かれが泥でかれ(アーダム)を創られ,それに「有れ。」と仰せになるとかれは(人間として)存在した。) [3:59].
イーサーはアッラーの被造物の一つにすぎない、他の使徒たちのようにアッラーのしもべであり使徒である、ということを断言している節は他にもある。
[وَابْتِغَآءَ تَأْوِيلِهِ]
アッラーの御言葉 (それに勝手な解釈を加えようとする。) 彼らの好きなように変えるということである。 イマーム アフマドは、アーイシャが次のように言ったと記録している、「アッラーの使徒は読誦しました、
[هُوَ الَّذِي أَنزَلَ عَلَيْكَ الْكِتَابَ مِنْهُ آيَاتٌ مُّحْكَمَاتٌ هُنَّ أُمُّ الْكِتَابِ وَأُخَرُ مُتَشَابِهَاتٌ]
(かれこそは,この啓典をあなたに下される方で,その中の(ある)節は明解で,それらは啓典の根幹であり,他(の節)はあいまいである。) から
[أُوْلُوا الأَلْبَابِ]
(だが思慮ある者の外は,反省しない。) まで。 そして言いました、
«فَإِذَا رَأَيْتُمُ الَّذِين يُجَادِلُونَ فِيهِ، فَهُمُ الَّذِينَ عَنَى اللهُ، فَاحْذَرُوهُم»
(これについて (曖昧な部分を用いて) 議論している者を見たら、それがアッラーの仰せられているところの人たちである。 だから彼らに気をつけなさい) と。」
アル・ブハーリーも、この節 [3:7] のタフスィールで似たようなハディースを記録している。 アル・ブハーリーのサヒーフ集の 『カダルの書』 と、アブ ダウードのスナンのスンナ集には、次のように書かれている。アーイシャが言った、 「アッラーの使徒はこの節を読誦されました、
[هُوَ الَّذِي أَنزَلَ عَلَيْكَ الْكِتَابَ مِنْهُ آيَاتٌ مُّحْكَمَاتٌ]
(かれこそは,この啓典をあなたに下される方で,その中の(ある)節は明解で,) から、
[وَمَا يَذَّكَّرُ إِلاَّ أُوْلُوا الأَلْبَابِ]
(だが思慮ある者の外は,反省しない。) まで。
それから言いました、
«فَإِذَا رَأَيْتِ الَّذِينَ يَتَّبِعُونَ مَا تَشَابَهَ مِنْهُ؛ فَأُولـٰئِكَ الَّذِينَ سَمَّى اللهُ، فَاحْذَرُوهُم»
(クルアーンの曖昧な部分に従う者を見たら、それがアッラーが示された人々である。だからその人たちに気をつけなさい。)」
以上が、アル・ブハーリーによって記録された言い回しである。
アッラー のみが ムタシャビハート の真の タウウィール (解釈) をご存知である
アッラーは仰せられた、
[وَمَا يَعْلَمُ تَأْوِيلَهُ إِلاَّ اللَّهُ]
(だがアッラーの外には,その(真の意味)を知るものはない。)
同様に、イブン アッバースから報告されたことで先行されているように、「タフスィール(注釈)には、4種類ある。アラブ人が彼らの言葉で知っている注釈、知らないことについて誰も言い逃れができない注釈、学者が知っている注釈、そして、アラーだけが知っている注釈、である。」 クルアーン読誦者の学者の間には、この節のアッラーの名で休止することに関して異なる意見がある。この停止は、アーイシャ、ウルワ、アブ アッシャサ、アブ ナーヒクから報告されている。
[وَالرَّاسِخُونَ فِي الْعِلْمِ]
(それで知識の基礎が堅固な者は) これを読んだ後に休止する者は、クルアーンは人々が理解できないことを述べていない、と言う。 イブン アビ ナジフは、イブン アッバースが次のように言うのをムジャヒドが聞いたと言う、「私は、解釈について確かな者の1人である。」 アッラーの使徒はイブン アッバースのためにアッラーに祈った、
«اللَّهُمَّ فَقِّهْهُ فِي الدِّينِ وَعَلِّمْهُ التَّأْوِيل»
(アッラーよ、彼に宗教についての知識をお授けください。そして彼にタゥウィール(解釈) をお教えください。)
タゥウィールにはクルアーンで2つの意味がある。 物事の真実、明らかにされることである。 たとえば、アッラーは次のように仰せられた、
[وَقَالَ يَا أَبَتِ هَـٰذَا تَأْوِيلُ رُؤْيَايَ مِن قَبْلُ]
(するとかれは言った。「わたしの父よ,これが往年のわたしの夢の解釈です。」) [12:100]
[هَلْ يَنظُرُونَ إِلاَّ تَأْوِيلَهُ يَوْمَ يَأْتِي تَأْوِيلُهُ]
(かれら(マッカの人びと)は,その解明を待つ以外にはない。その解明が行われる日になって,) [7:53] これは、彼らが告げられていた復活が真に現実として起こることについて言っている。 これが、先に挙げた節 [3:7] で意図されている意味であれば、アッラーの御名の後に休止するのは正当である。 なぜなら、アッラーだけが物事の真実をご存知であられるからである。 この場合、次のアッラーの御言葉
[وَالرَّاسِخُونَ فِي الْعِلْمِ]
(それで知識の基礎が堅固な者は) は、次の御言葉
[يَقُولُونَ آمَنَّا بِهِ]
(言う。「わたしたちはこれ(クルアーン)を信じる。 ) に繋がる。
وأما إن أريد بالتأويل المعنى الآخر
وهو التفسير والتعبير والبيان عن الشيء كقوله تعالى
:
もし、タゥウィールが、次に挙げるアッラーの御言葉
[نَبِّئْنَا بِتَأْوِيلِهِ]
((外の者は言った) 「わたしたちにその意味を解いて下さい。」)[12:36] このように、説明、叙述という二番目の意味であれば、その説明について言っているので、次の箇所の後に休止する。
[وَالرَّاسِخُونَ فِي الْعِلْمِ]
(それで知識の基礎が堅固な者は) は確かである。学者は、物事の真理についての知識があるわけではないにしろ、概念的な知識を持っており、言われていることを理解することができるからである。それゆえ、アッラーの次の御言葉、
[يَقُولُونَ آمَنَّا بِهِ]
(言う。「わたしたちはこれ(クルアーン)を信じる。) は、学者たちの態度を表している。同様に、アッラーは仰せられた、
[وَجَآءَ رَبُّكَ وَالْمَلَكُ صَفّاً صَفّاً ]
(主は,列また列の天使(を従え),来臨なされる。) [89:22] は、主は来たる、天使も列を作って来たる、ということである。
知識のある人々が宣言するというアッラーの御言葉、
[يَقُولُونَ آمَنَّا بِهِ]
(言う。「わたしたちはこれを信じる。) は、彼らは曖昧な部分を信じる、ということである。
[كُلٌّ مِّنْ عِندِ رَبِّنَا]
(これは凡て主から(賜わったもの)である。」 ) 明快な部分も曖昧な部分も、真実で、確かである。それぞれが互いの真実を証明している。 両方ともアッラーからのもので、アッラーからのもので矛盾すること、不一致なことは何もないためである。 アッラーは仰せられた、
[أَفَلاَ يَتَدَبَّرُونَ الْقُرْءَانَ وَلَوْ كَانَ مِنْ عِندِ غَيْرِ اللَّهِ لَوَجَدُوا فِيهِ اخْتِلاَفاً كَثِيراً ]
(かれらはクルアーンを,よく考えてみないのであろうか。もしそれがアッラー以外のものから出たとすれば,かれらはその中にきっと多くの矛盾を見出すであろう。) [4:82].
アッラーご自身がこの節 [3:7] で仰せられている
[وَمَا يَذَّكَّرُ إِلاَّ أُوْلُوا الأَلْبَابِ]
(だが思慮ある者の外は,反省しない。) は、良い精神と健全な理解力のある人々は、知り、考え、正しく意味を理解する。 さらに、イブン アル・ムンズィルは彼のタフスィールで記している。 ナフィ ビン ヤズィドが 「 しっかりと知識に基づいている人は、アッラーのために慎ましく、謙虚にアッラーのご満悦を求める人である。彼らは、自分たちの上にいる人について過大視せず、下にいる人々を過小評価することもない。」
アッラーは、彼らは主に祈ると仰せられている。
[رَبَّنَا لاَ تُزِغْ قُلُوبَنَا بَعْدَ إِذْ هَدَيْتَنَا]
(「主よ,わたしたちを導かれた後,わたしたちの心をそらさないで下さい。) 「私たちの心に正しい導きを授かることを許された後、そこから逸らさないで下さい。 私たちを、心に不正を抱きクルアーンの曖昧な部分に従う者のようにしないでください。そうではなく、私たちをあなたのまっすぐな道と真の宗教にしっかりと繋ぎとめてください。」 ということである。
[وَهَبْ لَنَا مِن لَّدُنكَ]
(あなたの御許から,わたしたちに与えて下さい) 「あなたから」、という意味である。
[رَحْمَةً]
(御慈悲を。」) それによってあなたは私たちの心を強くなされ、信仰と確信を固くされる。
[إِنَّكَ أَنتَ الْوَهَّابُ]
(本当にあなたこそ,限りなく与えられる御方であられます。」)
イブン アビ ハーティム と イブン ジャリール は、「預言者sawは次のように祈っていた」 とウンム サラマra が述べたことを記録している。
«يَا مُقَلِّبَ الْقُلُوبِ ثَبِّتْ قَلْبِي عَلَىٰ دِينِك»
(アッラーよ、人の心を変えられるお方。私の心をあなたの宗教の上に堅固にしてください)
それから次のように読誦した、
[رَبَّنَا لاَ تُزِغْ قُلُوبَنَا بَعْدَ إِذْ هَدَيْتَنَا وَهَبْ لَنَا مِن لَّدُنكَ رَحْمَةً إِنَّكَ أَنتَ الْوَهَّابُ ]
(「主よ,わたしたちを導かれた後,わたしたちの心をそらさないで下さい。あなたの御許から,わたしたちに御慈悲を与えて下さい。本当にあなたこそ,限りなく与えられる御方であられます。」)
続けて、
[رَبَّنَآ إِنَّكَ جَامِعُ النَّاسِ لِيَوْمٍ لاَّ رَيْبَ فِيهِ]
(「主よ,本当にあなたは疑いの余地のない日に,人びとを集められる方であられます。アッラーは約束をたがえられることはありません。」) つまり、彼らは祈っていうのである、「主よ、あなたは復活の日にあなたが創造された人間を集められ、審判を下され、人々が議論していたことについて決定されます。その後であなたは、この世で行ったことに従って各人に報奨を授けるか罰を与えるかなさいます。 」
[إِنَّ الَّذِينَ كَفَرُوا لَن تُغْنِيَ عَنْهُمْ أَمْوَالُهُمْ وَلاَ أَوْلاَدُهُم مِّنَ اللَّهِ شَيْئًا ۖ وَأُولَـٰئِكَ هُمْ وَقُودُ النَّارِ - كَدَأْبِ آلِ فِرْعَوْنَ وَالَّذِينَ مِن قَبْلِهِمْ ۚ كَذَّبُوا بِآيَاتِنَا فَأَخَذَهُمُ اللَّهُ بِذُنُوبِهِمْ ۗ وَاللَّهُ شَدِيدُ الْعِقَابِ ]
(10. 本当に(その日),不信者たちの財産も,その子女も,アッラーには何の役にも立たないであろう。かれらは業火の薪となろう,) (11. ちょうどフィルアウンの一族や,かれら以前の者がよい例で,かれらはわが印を拒否した。その罪のために,アッラーはかれらを捕えられた。アッラーは懲罰に厳重であられる。)
復活の日、富も子孫も役に立たない
アッラーは、不信者は業火の薪となると仰せられている、
[ يَوْمَ لاَ يَنفَعُ الظَّالِمِينَ مَعْذِرَتُهُمْ ۖ وَلَهُمُ اللَّعْنَةُ وَلَهُمْ سُوءُ الدَّارِ ]
(その日,悪行をした者の弁解は無益で,かれらには責め苦があり,悪い住まいだけがある。) [40:52].
さらに、この世で与えられた富も子孫もアッラーの前に役に立つことはなく、アッラーの罰や責苦から救ってくれることもない。アッラーは同じように仰せられる、
[ فَلاَ تُعْجِبْكَ أَمْوَالُهُمْ وَلاَ أَوْلاَدُهُمْ ۚ إِنَّمَا يُرِيدُ اللَّهُ لِيُعَذِّبَهُم بِهَا فِي الْحَيَاةِ الدُّنْيَا وَتَزْهَقَ أَنفُسُهُمْ وَهُمْ كَافِرُونَ ]
(だからあなたがたは,かれらの財産や子女に心を奪われてはならない。アッラーは,これらによって現世の生活の中に,かれらを懲罰しようとおぼしめし,またかれらの魂が不信心の中に離れ去ることを望まれるためである。) [9:55]
また、
[لاَ يَغُرَّنَّكَ تَقَلُّبُ الَّذِينَ كَفَرُوا فِي الْبِلاَدِ - مَتَاعٌ قَلِيلٌ ثُمَّ مَأْوَاهُمْ جَهَنَّمُ وَبِئْسَ الْمِهَادُ ]
(あなたは,不信者が地上をあちこち歩き回わっているのに惑わされてはならない。これは片時の歓楽である,やがて地獄がかれらの住まいとなろう。それは悪い臥床である。) [3:196, 197].
アッラーはこの節 [3:10] で仰せられている、
[إِنَّ الَّذِينَ كَفَرُوا]
(本当に,不信者たち) アッラーの印を信じず、アッラーの使徒を拒み、アッラーの啓典を受け入れず、アッラーが預言者に授けた啓示を役に立てようとしなかった者たち
[لَن تُغْنِيَ عَنْهُمْ أَمْوَالُهُمْ وَلاَ أَوْلادُهُم مِّنَ اللَّهِ شَيْئًا وَأُولَـٰئِكَ هُمْ وَقُودُ النَّارِ]
(かれらの財産も,その子女も,アッラーには何の役にも立たないであろう。かれらは業火の薪となろう) 彼らは薪となり、それによって火はつけられ、勢いを増す。 同様に、アッラーは仰せられた、
[إِنَّكُمْ وَمَا تَعْبُدُونَ مِن دُونِ اللَّهِ حَصَبُ جَهَنَّمَ]
(本当にあなたがた(不信者)も,アッラーの外にあなたがたの崇拝するものも,地獄の燃料である。) [21:98].
次にアッラーは仰せられる、
[ كَدَأْبِ آلِ فِرْعَوْنَ ]
(ちょうどフィルアウンの一族がよい例で,) アッダッハクは、この節についてイブン アッバースが 「フィルアウンの人々の振る舞いのよう」 と述べたと伝える。 これはイクリマ、ムジャヒド、アブ マーリク、アッダッハク、また他のものとも同じ解釈である。 また、この節は、「フィルアウンの人々の慣習、行い、類似のよう」 であると言う別の学者たちもいる。 ダァブ には慣習、振る舞い、伝統、習慣という意味があるので、これらはすべてもっともらしい。 この節は、富も子孫も不信者の助けにならないことを示している。 それどころか彼らは滅び、罰を受ける。 使徒やアッラーの印、証拠を拒絶したフィルアウンの人々や先の国々の民が蒙ったのと同じ結末である。
[وَاللَّهُ شَدِيدُ الْعِقَابِ]
(アッラーは懲罰に厳重であられる。) アッラーの罰は厳格で、責苦は激しい。アッラーが捕らえるのから逃げられる人はいない。アッラーの知識から逃れられる何もない。アッラーはお望みのことをなされ、万物を覆い尽くす。すべてのものの上にあるのはアッラーである。アッラーのほかに崇拝に値するものはなく、アッラーのほかに神はいない。
[قُلْ لِّلَّذِينَ كَفَرُوا سَتُغْلَبُونَ وَتُحْشَرُونَ إِلَى جَهَنَّمَ وَبِئْسَ الْمِهَادُ - قَدْ كَانَ لَكُمْ آيَةٌ فِي فِئَتَيْنِ الْتَقَتَا فِئَةٌ تُقَاتِلُ فِي سَبِيلِ اللَّهِ وَأُخْرَى كَافِرَةٌ يَرَوْنَهُمْ مِّثْلَيْهِمْ رَأْيَ الْعَيْنِ وَاللَّهُ يُؤَيِّدُ بِنَصْرِهِ مَن يَشَآءُ إِنَّ فِي ذَٰلِكَ لَعِبْرَةً لِّأُولِي الأَبْصَارِ ]
(12. 信仰を拒否する者に言ってやるがいい。「あなたがたは打ち負かされて,地獄に追い集められよう。何と悪い臥床であることよ。」) (13. 両軍が遭遇した時,はっきりとあなたに印があった。一つはアッラーの道のために合戦する軍勢,外は不信心な者であった。かれら(不信者)の眼には,(ムスリム軍勢が)2倍に見えた。アッラーは御心に適う者を,かれの救護で擁護される。誠にその中には,炯眼な者への教訓がある。)
ユダヤ教徒への敗北の脅し と 彼らにバドルの戦いから訓戒を学ぶよう奨励すること
アッラーは、預言者ムハンマドに、不信者に宣言するように命じた。
[سَتُغْلَبُونَ]
(「あなたがたは打ち負かされる) 「この世で」 である。
[وَتُحْشَرُونَ]
(追い集められよう) 「復活の日に」
[إِلَى جَهَنَّمَ وَبِئْسَ الْمِهَادُ]
(地獄に。何と悪い臥床であることよ。」)
ムハンマド ビン イスハーク ビン ヤサール は、アースィム ビン ウマル ビン カターダが、「アッラーの使徒がバドルの戦いで勝利してアル・マディーナに帰還した時、使徒はユダヤ教徒をバニ カイヌーカの市場に集めて次のように言った」 と伝えたことを記録している。
アッラーは仰せられた、
[قَدْ كَانَ لَكُمْ آيَةٌ]
(すでにあなたに印があった。) は、「ユダヤ教徒たちよ。 あなたには印、つまり、アッラーがかれの宗教を広め、使徒に勝利を授ける証拠、御言葉を明らかにし、アッラーの宗教をもっとも高位につける証拠があった」 ということである。
[فِي فِئَتَيْنِ]
(両軍に)
[الْتَقَتَا]
(遭遇した時,) バドルの戦いで
[فِئَةٌ تُقَاتِلُ فِي سَبِيلِ اللَّهِ]
(一つはアッラーの道のために合戦する軍勢,) ムスリム軍
[وَأُخْرَى كَافِرَةٌ]
(外は不信心な者であった。) 偶像崇拝者、バドルでのクライシュ軍である。
[يَرَوْنَهُمْ مِّثْلَيْهِمْ رَأْيَ الْعَيْنِ]
(かれら(不信者)の眼には,(ムスリム軍勢が)2倍に見えた。) 偶像崇拝者はムスリム軍が実際の数の2倍であると思っていた。アッラーは幻覚をイスラームが打ち勝つ要因とされた。
[يَرَوْنَهُمْ مِّثْلَيْهِمْ رَأْيَ الْعَيْنِ]
(かれら(不信者)の眼には,(ムスリム軍勢が)2倍に見えた。) このアッラーの御言葉の意味は、ムスリム軍は偶像崇拝者の軍が自分たちよりも2倍も数が多いのを見た。それでも、アッラーはムスリム軍に不信者たちに対し勝利を与えた。 アブドラ ビン マスウードは言った、「不信者の軍勢を見ると、私たちより2倍も多かった。もう一度不信者の軍勢を見た時には、その数は私たちより一人も多くないように思えた。」
アッラーの御言葉
[وَإِذْ يُرِيكُمُوهُمْ إِذِ الْتَقَيْتُمْ فِي أَعْيُنِكُمْ قَلِيلاً وَيُقَلِّلُكُمْ فِي أَعْيُنِهِمْ]
(あなたがたがかれらと遭遇した時,かれはあなたがたの目に(かれらを)小さい集団に見えるようにする。またかれらの目には,あなたがたを劣弱に(映じ)させられた。) [8:44]''.
二つの軍勢が互いを見たとき、ムスリム軍は偶像崇拝者たちの軍が自分たちよりも2倍多いと思った。それでムスリムはアッラーに信頼を置き、助けを願った。偶像崇拝者たちには信者たちの数が実際より2倍多く感じられた。そして、不安、恐れ、恐怖、絶望を覚えた。二つの軍勢が並んで立ち戦いで向かい合ったとき、アッラーはそれぞれの軍を他方の目に小さく映るようにされた。互いに戦いに鼓舞されるようにするためである。
[لِّيَقْضِيَ اللَّهُ أَمْراً كَانَ مَفْعُولاً]
(それは,アッラーがなさるべきことを,完遂なされたため。) [8:42] それで真実と虚偽がはっきりと見分けられるようにし、正しい信仰の言葉が不信仰と逸脱の上に広がるようにするためである。それによって信者が増大し、不信者は不面目を被る。似たような言葉でアッラーが仰せられている、
[وَلَقَدْ نَصَرَكُمُ اللَّهُ بِبَدْرٍ وَأَنتُمْ أَذِلَّةٌ]
(アッラーは,あなたがたがバドルで微弱であったとき,確かに助けられた。) [3:123].
そして、この節 [3:13] でアッラーは仰せられている、
[وَاللَّهُ يُؤَيِّدُ بِنَصْرِهِ مَن يَشَآءُ إِنَّ فِي ذَٰلِكَ لَعِبْرَةً لِّأُولِي الأَبْصَارِ]
(アッラーは御心に適う者を,かれの救護で擁護される。誠にその中には,炯眼な者への教訓がある。) つまりこれは、知性と健全な理解力のある者にとって手本となるべきことである。 アラーの知恵、決定と命令についてよく考えなければならない。 この世でも、証言するものが証言するために立ち上がる日にも、アッラーを信じるしもべにアッラーが勝利を授けてくださる。
[زُيِّنَ لِلنَّاسِ حُبُّ الشَّهَواتِ مِنَ النِّسَآءِ وَالْبَنِينَ وَالْقَنَاطِيرِ الْمُقَنطَرَةِ مِنَ الذَّهَبِ وَالْفِضَّةِ وَالْخَيْلِ الْمُسَوَّمَةِ وَالأَنْعَامِ وَالْحَرْثِ ذَٰلِكَ مَتَاعُ الْحَيَاةِ الدُّنْيَا وَاللَّهُ عِندَهُ حُسْنُ الْمَآبِ- قُلْ أَؤُنَبِّئُكُمْ بِخَيْرٍ مِّن ذَٰلِكُمْ لِلَّذِينَ اتَّقَوْا عِندَ رَبّهِمْ جَنَّاتٌ تَجْرِي مِن تَحْتِهَا الأَنْهَارُ خَـالِدِينَ فِيهَا وَأَزْوَاجٌ مُّطَهَّرَةٌ وَرِضْوَانٌ مِّنَ اللَّهِ وَاللَّهُ بَصِيرٌ بِالْعِبَادِ
(14. 様々な欲望の追求は,人間の目には美しく見える。婦女,息子,莫大な金銀財宝,(血統の正しい)焼印を押した馬,家畜や田畑。これらは,現世の生活の楽しみである。だがアッラーの御側こそは,最高の安息所である。) (15. 言ってやるがいい。(ムハンマドよ)。「わたしはこれらよりも善いものを,あなたがたに告げようか。アッラーを畏れる者たちには,主の御許に楽園があり,川が下を流れている。かれらはその中に永遠に住み,純潔な配偶を与えられ,アッラーの御満悦を被るのである。アッラーはしもべたちを御存知であられる。」)
現世の真の価値
アッラーは、婦人や子どもなど この世で与えられた人々にとって喜びとなるものについて仰せられる。アッラーはまず婦人について言及される。それは、女性に伴う試み(に遭ったとき) がより誘惑に心を惑わせられやすいからである。例えば、サヒーフには使徒が次のように言ったとある。
مَا تَرَكْتُ بَعْدِي فِتْنَةً أَضَرُّ عَلَى الرِّجَالِ
مِنَ النِّساء
«مَا تَرَكْتُ بَعْدِي فِتْنَةً أَضَرَّ عَلَى الرِّجَالِ مِنَ النِّسَاء»
(私は、男性に、女性の誘惑の試み以上に不穏となるものを私の後に残さなかった。)
子どもを持ちたいと願ったり、貞節を保つために女性を享受するのなら、そうすることが奨励される。下に挙げるように、結婚を促すハディースはたくさんある。
"وإنَّ خَيْرَ هَذه الأمَّةِ كَانَ أكْثرهَا نسَاءً"
«وَإِنَّ خَيْرَ هذِهِ الْأُمَّةِ مَنْ كَانَ أَكْثَرَهَا نِسَاء»
(まことに、このウンマでもっともよいのは、多くの妻を持つ人である。)
また、
«الدُّنْيَا مَتَاعٌ، وَخَيْرُ مَتَاعِهَا الْمَرْأَةُ الصَّالِحَة»
(現世は享楽であるが、一番の喜びは敬虔な妻である。)
預言者は別のハディースで次のようにも言った、
«حُبِّبَ إِلَيَّ النِّسَاءُ وَالطِّيبُ، وَجُعِلَتْ قُرَّةُ عَيْنِي فِي الصَّلاَة»
(私は女性と香水を好むようになっている。そして、私の目に安らぎを与えるのは礼拝である。)
アーイシャ ra は言った、「馬を除いては、女性ほどアッラーの使徒に愛されたものはなかった。」 別の伝え手によると、「女性を除いては、馬ほど・・・」
子どもがほしいという欲求が起こるのは、時に誇りと自慢の目的のためである。だから誘惑の一つなのである。子どもを持つ目的が、同格のないアッラーだけを崇拝する人を増やしてムハンマドのウンマ (共同体) を大きくすることであれば、奨励され褒められる行いとなる。
あるハディースに次のようにある、
«تَزَوَّجُوا الْوَدُودَ الْوَلُودَ، فَإِنِّي مُكَاثِرٌ بِكُمُ الْأُمَمَ يَوْمَ الْقِيَامَة»
(親切で多産な女性と結婚しなさい。復活の日、ほかの共同体と数を比べるから。)
富に対する欲求は時に傲慢から起こる。そして、弱いものを威圧したい、貧しい者を支配したいと望むこと、そのような行動を取ることは禁じられている。 家族や親戚によくしたい、高潔な行いや服従を表すために使いたい、等の崇拝行為に費やす目的でより多くの金が望まれることもある。これは宗教的に奨励され褒められる行いである。
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وقد اختلف المفسرون فِي مقدار القنطار على أقوال، وحاصلها: أنه المال الجزيل، كما قاله < 2-20 >
الضحاك وغيره، وقيل: ألف دينار. وقيل: ألف ومائتا دينار. وقيل: اثنا عشر ألفا. وقيل: أربعون ألفا. وقيل: ستون ألفا
وقيل: سبعون ألفا. وقيل: ثمانون ألفا. وقيل غير ذلك.
タフスィール学者の意見はキンタールの量について一致していない。アッダハークや他の学者も言うように、キンタールは大金であることには一致している。アブ フライラは言った、「キンタールは12,000ウキヤで、1ウキヤは天と地の間にあるものよりもよい。」 [これはイブン ジャリールにより記録されている]
馬を所有したいという欲求は3種類のうちのどれかである。馬を所有する人の中には、アッラーの大義に用いるために馬を備える人がいて、必要とされたら戦闘で馬を使う。そのような所有者はその善い行いに対し報奨を授かるだろう。別のタイプの人は、自慢するため、そしてイスラームの人々への敵意から、馬を収集する。この種の人はそのような振る舞いによって重荷を被る事になる。もう一つのタイプの人はニーズを満たすため、子どもたちを持つために馬を備える。そして、彼らは自分たちが持つ馬にアッラーの権利があることを忘れない。 よってこの場合、これから触れるハディースから明らかであるのだが、アッラーがお望みになられれば、これらの馬はその所有者を守ってくれることになる。次のようなアッラーの御言葉がある、
[وَأَعِدُّوا لَهُمْ مَّا اسْتَطَعْتُم مِّن قُوَّةٍ وَمِن رِّبَاطِ الْخَيْلِ]
(かれらに対して,あなたの出来る限りの(武)力と,多くの繋いだ馬を備えなさい。) [8:60].
「ムサウワマティの馬」 というのは、イブン アッバースが 「焼印を押された美しい馬のことである」 と言っている。 ムジャーヒド、イクリマ、サイード ビン ジュバイル アブドッラフマーン ビン アブドッラー ビン アブザ、アッスーディ、アッラービウ ビン アナス、アブ スィナン、その他の人々の説明も同じである。マフールは、「ムサウワマティは顔に白い模様のある白い足の馬のことである。」 と述べている。イマーム アフマドは、アブ ザッルが伝えたこととしてアッラーの使徒が次のように言ったと記している。
«لَيْسَ مِنْ فَرَسٍ عَرَبِيَ إِلَّا يُؤْذَنُ لَهُ مَعَ كُلِّ فَجْرٍ يَدْعُو بِدَعْوَتَيْنِ يَقُولُ: اللَّهُمَّ إِنَّكَ خَوَّلْتَنِي مِنْ بَنِي آدَمَ، فَاجْعَلْنِي مِنْ أَحَبِّ مَالِهِ وَأَهْلِهِ إِلَيْهِ أَوْ أَحَبَّ أَهْلِهِ وَمَالِهِ إِلَيْه»
(アラブ馬はみな夜明けごとに二つの祈願をすることを許されている。「アッラーよ、 あなたは、私をアーダムの子孫に仕えるようになさいました。したがって、私を彼にとって富と家庭の中でも最愛のものとしてください。--あるいは、私を彼にとって家庭と富の中でも最愛のものとしてください。)
アッラーの御言葉、
[ وَالأَنْعَامِ]
(家畜) は、らくだ、牛、羊のことである。
[وَالْحَرْثِ]
(と田畑) は、農地として使われたり、植物を育てる土地である。
アッラーはそれから仰せられた、
[ذَٰلِكَ مَتَاعُ الْحَيَاةِ الدُّنْيَا]
(これらは,現世の生活の楽しみである。) それらはこの世で喜びを与えるもので、短い人生の束の間の楽しみである。
[وَاللَّهُ عِندَهُ حُسْنُ الْمَآبِ]
(だがアッラーの御側こそは,最高の安息所である。) 最高の行き先、報奨である。
タクワを持つ者への報奨は この世のすべての喜びよりもよい
だからアッラーはこう仰せられるのである、
[قُلْ أَؤُنَبِّئُكُمْ بِخَيْرٍ مِّن ذَٰلِكُمْ]
(言ってやるがいい。「わたしはこれらよりも善いものを,あなたがたに告げようか。) この節は、「ムハンマドよ、人々に言いなさい、『間もなく消えてしまうこの世の享楽や楽しみよりも善いものについて話そうか』 と。」 という意味である。アッラーは次のように言って、より善いものが何であるか人々に知らせた。
[لِلَّذِينَ اتَّقَوْا عِندَ رَبِّهِمْ جَنَّاتٌ تَجْرِي مِن تَحْتِهَا الأَنْهَارُ]
(アッラーを畏れる者たちには,主の御許に楽園があり,川が下を流れている。) 流れる川。その川は様々な種類の飲み物を運んでいる。蜂蜜、ミルク、ワイン、水、しかしそれらは誰も見たことも聞いたこともない、想像したこともないような飲み物である。
[خَالِدِينَ فِيهَا]
(かれらはその中に永遠に住み,) 彼らはそこに永遠に留まり、そこから出されることは望まない。
[وَأَزْوَاجٌ مُّطَهَّرَةٌ]
(純潔な配偶。) みだらなこと、汚いもの、危害、月経、産後出血など、この世の女性に影響を及ぼすものがない、ということである。
[وَرِضْوَانٌ مِّنَ اللَّهِ]
(アッラーの御満悦を被るのである。) は、アッラーのご満悦が彼らに与えられ、その後アッラーが彼らにお怒りになられることがない、ということ。アッラーが次のように仰せられたのはこのためである。
[وَرِضْوَانٌ مِّنَ اللَّهِ أَكْبَرُ]
(だが最も偉大なものは,アッラーの御満悦である。) [9:72] 「アッラーが彼らに与えられる永遠の喜びよりも偉大なのは、」 という意味である。
[وَاللَّهُ بَصِيرٌ بِالْعِبَادِ]
(アッラーはしもべたちを御存知であられる。) そこでアッラーは、値するものに従って、各人にお与えになる。
[الَّذِينَ يَقُولُونَ رَبَّنَآ إِنَّنَآ آمَنَّا فَاغْفِرْ لَنَا ذُنُوبَنَا وَقِنَا عَذَابَ النَّارِ - الصَّابِرِينَ وَالصَّادِقِينَ وَالْقَانِتِينَ وَالْمُنفِقِينَ وَالْمُسْتَغْفِرِينَ بِالأَسْحَارِ ]
(16. 「主よ,わたしたちは本当に信じます。それでわたしたちの罪を赦し,火(の責め苦)の懲罰から救って下さい。」と(祈って)言う。)
アル・ムッタキーンの嘆願と描写
ここでアッラーはムッタキーン、つまり敬虔なしもべのことを描写しており、彼らにはすばらしい報奨が約束されている。
[الَّذِينَ يَقُولُونَ رَبَّنَآ إِنَّنَآ آمَنَّا]
( 「主よ,わたしたちは本当に信じます。」 と言う者) 「あなた(アッラー)、あなたの啓典、あなたの使徒を、信じます。」
[فَاغْفِرْ لَنَا ذُنُوبَنَا]
(「それでわたしたちの罪を赦してください」) 「あなたへの忠誠とあなたが私たちのために定めたことのために、それであなたの寛容と慈悲で私たちの過ちも悪い点もお赦しください。」
[وَقِنَا عَذَابَ النَّارِ]
(「そして火(の責め苦)の懲罰から救って下さい。」)
それからアッラーはこう仰せられる、
[الصَّابِرِينَ]
服従を表す行いをし、禁じられたことをせずに (よく耐え忍ぶ者)
[وَالصَّادِقِينَ]
信仰告白した後、困難なことも全うする (誠実な者)
[وَالْقَانِتِينَ]
アッラーに服従する (敬虔に奉仕する者)
[وَالْمُنـفِقِينَ]
自分の財産から、命じられているあらゆる服従のための行為のために (施し)、 親類縁者に親切にし、貧窮者を助け、困っている人々を慰める者。
[وَالْمُسْتَغْفِرِينَ بِالأَسْحَارِ]
(また暁に(罪の)赦しを祈る者たちである。) これは、夜半過ぎにアッラーのお赦しを求めて祈ることの徳について示している。ヤアコーブが子どもたちに次のように言った時のこと、
[سَوْفَ أَسْتَغْفِرُ لَكُمْ رَبِّي]
(「それではわたしはあなたがたのため,わが主に御赦しを願ってやろう。」) [12:98] ヤアコーブは夜半過ぎまで待ってから祈った。
さらに2つのサヒーフ、ムスナドとスナンに、何人かの教友が伝えたこととしてアッラーの使徒が次のように言ったと記されている、
«يَنْزِلُ اللهُ تَبَارَكَ وَتَعَالى فِي كُلِّ لَيْلَةٍ إِلى سَمَاءِ الدُّنْيَا حِينَ يَبْقَى ثُلُثُ اللَّيْلِ الْآخِرُ، فَيَقُولُ: هَلْ مِنْ سَائِلٍ فَأُعْطِيَهُ؟ هَلْ مِنْ دَاعٍ فَأَسْتَجِيبَ لَهُ؟ هَلْ مِنْ مُسْتَغْفِرٍ فَأَغْفِرَ لَهُ؟»
(毎夜、夜の3分の1を残す頃になると、祝福され崇高なる主は最下の天に下りてきて仰せられる、「われに願いを叶えてくれるよう頼んでいる者はいるか。われに祈願に応えてくれるよう請うている者はいるか。われに赦してくれるよう求めている者はいるか。」)
2つのサヒーフは、アーイシャが次のように言ったと記している、「アッラーの使徒は夜の初め、真ん中、終わりにウィトルの礼拝をした。後に夜半過ぎ(だけ)するようになった。」 アブドラ ビン ウマル は夜に祈ったものであった、そしてたずねた、「ナフィウよ、もう夜中過ぎではないか」。 ナフィウが 「そうです」と言うと イブン ウマルはアッラーへの嘆願を始め、夜明けまでお赦しを請うた。このハディースはイブン アビ ハーティムによって伝えられた。
[شَهِدَ اللَّهُ أَنَّهُ لاَ إِلَـٰهَ إِلاَّ هُوَ وَالْمَلاَئِكَةُ وَأُوْلُوا الْعِلْمِ قَآئِمًا بِالْقِسْطِ لاَ إِلَـٰهَ إِلاَّ هُوَ الْعَزِيزُ الْحَكِيمُ - إِنَّ الدِّينَ عِندَ اللَّهِ الإِسْلاَمُ وَمَا اخْتَلَفَ الَّذِينَ أُوتُوا الْكِتَابَ إِلاَّ مِن بَعْدِ مَا جَآءَهُمُ الْعِلْمُ بَغْيًا بَيْنَهُمْ وَمَن يَكْفُرْ بِآيَاتِ اللَّهِ فَإِنَّ اللَّهَ سَرِيعُ الْحِسَابِ - فَإِنْ حَآجُّوكَ فَقُلْ أَسْلَمْتُ وَجْهِيَ لِلَّهِ وَمَنِ اتَّبَعَنِ وَقُلْ لِّلَّذِينَ أُوتُوا الْكِتَابَ وَالأُمِّيِّينَ ءَأَسْلَمْتُمْ فَإِنْ أَسْلَمُوا فَقَدِ اهْتَدَوا وَّإِن تَوَلَّوْا فَإِنَّمَا عَلَيْكَ الْبَلاَغُ وَاللَّهُ بَصِيرٌ بِالْعِبَادِ ]
(18. アッラーはかれの外に神がないことを立証なされた。天使たちも正義を守る知識を授った者もまた(それを証言する)。偉力ならびなく英明なかれの外に,神はないのである。) (19. 本当にアッラーの御許の教えは,イスラーム(主の意志に服従,帰依すること)である。啓典を授けられた人びとが,知識が下った後に相争うのは,只かれらの間の妬みからである。アッラーの印を拒否する者があれば,アッラーは本当に清算に迅速であられる。) (20. だからもしかれらが,あなたと論争するならば言いなさい。「わたしもわたしに従う者も,真心こめてアッラーに服従,帰依し仕えます。」 また啓典を授っている人びとと無知の者たちに言いなさい。「あなたがたは服従,帰依したのか。」 もし服従,帰依すれば,たしかに正しく導かれ,仮令かれらが背き去るにしても,あなたの務めは,只(啓示を)かれらに伝えるだけである。本当にアッラーはしもべたちを(漏れなく)御存知であられる。)
タウヒードの立証
アッラーは立証される。そしてまことに、アッラーは証言者として十分である。アッラーはもっとも真で、公正な証言者であられる。アッラーの御言葉は絶対の真理である。
[أَنَّهُ لاَ إِلَـٰهَ إِلاَّ هُوَ]
(かれの外に神がないことを) アッラーだけが主であり、万物を創造された神、万人も万物もアッラーのしもべであり、被造物であり、彼のお助けを必要としている。
アッラーはもっとも富まれた方、誰の助けも何の助けも必要とされない方。アッラーは別の節で次のようにも仰せられた、
[لَّاكِنِ اللَّهُ يَشْهَدُ بِمَآ أَنزَلَ إِلَيْكَ]
(だがアッラーは,あなたに下されたもの(啓示)を立証なされる。) [4:166].
アッラーはご自身の立証について言及された後、天使の立証、知識ある者の立証について触れられる。
[شَهِدَ اللَّهُ أَنَّهُ لاَ إِلَـٰهَ إِلاَّ هُوَ وَالْمَلاَئِكَةُ وَأُوْلُوا الْعِلْمِ]
(アッラーはかれの外に神がないことを立証なされた。天使たちも知識を授った者もまた(それを証言する)。) この節で知識を持つ者の大いなる徳が強調されている。
[ قَآئِمًا بِالْقِسْطِ]
(正義を守る ) (アッラーは) 創造したものを公正に保つ アッラーがなす凡てにおいて
[لاَ إِلَـٰهَ إِلاَّ هُوَ]
(神はないのである。) したがって次の事が強調される。
[العَزِيزُ الحَكِيمُ]
(偉力ならびなく英明なかれの外に) その広大さ、偉大さにより、偉力ならびないお方であられる。すべての御言葉、なされる物事、定められる事、命じられる事において英明であられる。
アッラーの御許の宗教はイスラームである
アッラーは仰せられた、
[إِنَّ الدِّينَ عِندَ اللَّهِ الإِسْلاَمُ]
(本当にアッラーの御許の教えは,イスラーム(主の意志に服従,帰依すること)である。) アッラーは、誰からも、イスラーム以外の宗教はアッラーには受け入れられないと仰せられている。イスラームには、ムハンマドまでの全使徒に従うことが含まれている。ムハンマドが歴代の使徒の役割を完成させたのであり、ムハンマドを通じて以外のアッラーへの道はすべて閉ざされた。それゆえ、アッラーがムハンマドを遣わされた後、ムハンマドが示した以外の道に従ってアッラーに会う者は受け入れられない。別の節でもアッラーは仰せられている、
[وَمَن يَبْتَغِ غَيْرَ الإِسْلاَمِ دِينًا فَلَن يُقْبَلَ مِنْهُ]
(イスラーム以外の教えを追求する者は,決して受け入れられない。) [3:85].
この節 [3:19] では、アッラーは, アッラーに受け入れられる唯一の宗教はイスラームであると断言されている。
[إِنَّ الدِّينَ عِندَ اللَّهِ الإِسْلاَمُ]
(本当にアッラーの御許の教えは,イスラームである。)
それからアッラーは、前もって啓示を与えられた人々は、アッラーが使徒たちを遣わし啓典を齎した後に分裂したことに触れている。アッラーは彼らがそうしないように必要な証拠を与えたのに、彼らはそうしてしまった。
[وَمَا اخْتَلَفَ الَّذِينَ أُوتُوا الْكِتَابَ إِلاَّ مِن بَعْدِ مَا جَآءَهُمُ الْعِلْمُ بَغْيًا بَيْنَهُمْ]
(啓典を授けられた人びとが,知識が下った後に相争うのは,只かれらの間の妬みからである。) 彼らのうち自分自身を損ってしまった者がいる。それゆえ彼らは、互いに対する妬み、憎しみ、敵意から、真理について意見を違わせたのである。この憎悪のため、たとえ正しい人のことでも憎い人ならば逆らう者もいた。 それからアッラーは仰せられた、
[وَمَن يَكْفُرْ بِآيَاتِ اللَّهِ]
(アッラーの印を拒否する者があれば,) アッラーが啓典に齎したことを拒否する者があれば、
[فَإِنَّ اللَّهَ سَرِيعُ الْحِسَابِ]
(アッラーは本当に清算に迅速であられる。) アッラーはその者を、拒絶した罪で罰せられ、彼の拒否について精算され、アッラーの啓典を拒んだことに対し責苦を与えられる。 それ後アッラーは仰せられた、
[فَإِنْ حَآجُّوكَ]
(だからもしかれらが,あなたと論争するならば) だからもし彼らがタウヒードについてあなたと論争するならば
[فَقُلْ أَسْلَمْتُ وَجْهِيَ لِلَّهِ وَمَنِ اتَّبَعَنِ]
(言いなさい。「わたしもわたしに従う者も,真心こめてアッラーに服従,帰依し仕えます。」) 言いなさい。「私は誠心誠意アッラーを崇拝している。アッラーは唯一で同格のものはなく、子も伴侶もいないのである。 」
[وَمَنِ اتَّبَعَنِ]
(わたしに従う者も,) 私の宗教に従い、私の教えを受け入れた者。別の節でアッラーは次のようにも仰せられている、
[قُلْ هَـٰذِهِ سَبِيلِي أَدْعُو إِلَى اللَّهِ عَلَىٰ بَصِيرَةٍ أَنَا وَمَنِ اتَّبَعَنِي]
(言ってやるがいい。「これこそわたしの道。わたしも,わたしに従う者たちも明瞭な証拠の上に立って,アッラーに呼びかける。・・・・」) [12:108].
イスラームは人間のための宗教で、預言者 {saw} は全人類に遣わされた
アッラーはしもべであり使徒であるムハンマド {saw} に、二つの啓典の民と知識のない偶像崇拝者をムハンマドの宗教、道、法、その他アッラーがムハンマド {saw} と共に齎したあらゆることに呼びかけるように命ぜられた。アッラーは仰せられた、
[وَقُلْ لِّلَّذِينَ أُوتُوا الْكِتَابَ وَالأُمِّيِّينَ ءَأَسْلَمْتُمْ فَإِنْ أَسْلَمُوا فَقَدِ اهْتَدَوا وَّإِن تَوَلَّوْا فَإِنَّمَا عَلَيْكَ الْبَلاَغُ]
(また啓典を授っている人びとと無知の者たちに言いなさい。「あなたがたは服従,帰依したのか。」 もし服従,帰依すれば,たしかに正しく導かれ,仮令かれらが背き去るにしても,あなたの務めは,只(啓示を)かれらに伝えるだけである。) 彼らの精算はアッラーの御許にあり、彼らの帰り着く先はアッラーの元である。御心に適う者を導かれ、御心の者を迷わせておかれるのはアッラーである。アッラーはこのような事柄すべてについて完全な知恵と明確な証拠をお持であられる。だからアッラーは次のように仰せられた、
[وَاللَّهُ بَصِيرٌ بِالْعِبَادِ]
(本当にアッラーはしもべたちを(漏れなく)御存知であられる。) アッラーには完全な知識があり、誰が導きに値するか、または値しないかをご存知であられる。まことに、
[لاَ يُسْأَلُ عَمَّا يَفْعَلُ وَهُمْ يُسْأَلُونَ ]
(かれは,その行われたことに就いて,尋問を受けることはない。だがかれらこそ尋問されるのである。) [21:23] その完全な知識と慈悲のためである。これと、他の同様な節はムハンマド {saw} のメッセージが全人類に普遍のものであるという明らかな証明である。それはクルアーンとスンナの様々な記録により、この宗教で十分に確立されていることである。 例えばアッラーはこのように仰せられた、
[قُلْ يَا أَيُّهَا النَّاسُ إِنِّي رَسُولُ اللَّهِ إِلَيْكُمْ جَمِيعًا]
(言ってやるがいい。「人びとよ,わたしはアッラーの使徒として,あなたがた凡てに遣わされた者である。) [7:158]
また、
[تَبَارَكَ الَّذِي نَزَّلَ الْفُرْقَانَ عَلَىٰ عَبْدِهِ لِيَكُونَ لِلْعَالَمِينَ نَذِيراً ]
(万民への警告者とするために,かれのしもベに識別を下された方に祝福あれ。) [25:1].
二つのサヒーフやほかの伝承集に、預言者 {saw} は存命中、あらゆる国の王や人々に書簡を送ったと記録されている。アラブ人にも非アラブ人にも、啓典の民にもそうでない民にも、アッラーが命ぜられた通りに。 アブドラッザークは、マアマルがハンマムから、ハンマムはアブ フライラから聞いたこととして、預言者 {saw} が次のように言ったと記している。
«وَالَّذِي نَفْسِي بِيَدِهِ، لاَ يَسْمَعُ بِي أَحَدٌ مِنْ هَذِهِ الْأُمَّةِ: يَهُودِيٌّ وَلاَ نَصْرَانِيٌّ، وَمَاتَ وَلَمْ يُؤْمِنْ بِالَّذِي أُرْسِلْتُ بِهِ، إِلَّا كَانَ مِنْ أَهْلِ النَّار»
(私の魂が委ねられている御方にかけて。 このウンマの誰も、ユダヤ教徒やキリスト教徒の誰も、私について聞いたことがなく、私と共に齎されたものを信じずに死んで業火の住人になる者はいない。) ムスリムがこのハディースを記録している。
預言者 {saw} は言った、
«بُعِثْتُ إِلَى الْأَحْمَرِ وَالْأَسْوَد»
(私は赤い人のところにも黒い人のところにも遣わされた。)
«كَانَ النَّبِيُّ يُبْعَثُ إِلى قَوْمِهِ خَاصَّةً، وَبُعِثْتُ إِلَى النَّاسِ عَامَّة»
((これまでの)預言者は自身の民のところに遣わされてきたが、私は全人類に遣わされた。)
[إِنَّ الَّذِينَ يَكْفُرُونَ بِآيَاتِ اللَّهِ وَيَقْتُلُونَ النَّبِيِّينَ بِغَيْرِ حَقٍّ وَيَقْتُلُونَ الَّذِينَ يَأْمُرُونَ بِالْقِسْطِ مِنَ النَّاسِ فَبَشِّرْهُم بِعَذَابٍ أَلِيمٍ - أُولَـٰئِكَ الَّذِينَ حَبِطَتْ أَعْمَالُهُمْ فِي الدُّنْيَا وَالآخِرَةِ وَمَا لَهُم مِّن نَّاصِرِينَ ]
(21. アッラーの印を信じないで,正義を無視して預言者たちを殺害した者,また公正を勧告する人びとを殺した者には,痛ましい懲罰があることを告げなさい。) (22. このような者たちの行いは,現世でも来世でも虚しく,かれらには援助者もない。)
ユダヤ人を、彼らの不信心のため、そして預言者と敬虔な人々を殺害したことで責めること
この節は、啓典の民に対する懲らしめについてである。彼らは過去でも現在でもアッラーの印や使徒を否定して罪を犯し禁止を侵した。 彼らは挑戦的な態度で使徒を拒否し、真理を否定し、それに従うことを拒絶した。 彼らはまたアッラーが彼らのために定めたことを伝えに現れた預言者の多くを殺害した。その預言者たちは犯罪を犯したわけでもないのに、ただ真理に呼びかけたがために、正当な理由もなく殺されたのである。
[وَيَقْتُلُونَ الَّذِينَ يَأْمُرُونَ بِالْقِسْطِ مِنَ النَّاسِ]
(また公正を勧告する人びとを殺した) このようにもっとも悪い種類の傲慢な者が示されている。実際、預言者 {saw} は次のように言った、
«الْكِبْرُ بَطَرُ الْحَقِّ وَغَمْطُ النَّاس»
(キブル(傲慢) は真理を拒否し、人々を貶める。)
だから、彼らが真理を拒否し、被造物に対し傲慢な行いをすると、アッラーは現世では屈辱を与え貶めて罰する。来世では屈辱的な責苦で罰せられる。アッラーは仰せられた、
[فَبَشِّرْهُمْ بِعَذَابٍ أَلِيمٍ ]
(痛ましい懲罰があることを告げなさい。) 痛ましく屈辱的な懲罰である。
[أُولَـٰئِكَ الَّذِينَ حَبِطَتْ أَعْمَالُهُمْ فِي الدُّنْيَا وَالآخِرَةِ وَمَا لَهُم مِّن نَّاصِرِينَ ]
(このような者たちの行いは,現世でも来世でも虚しく,かれらには援助者もない。)
[أَلَمْ تَرَ إِلَى الَّذِينَ أُوتُوا نَصِيبًا مِّنَ الْكِتَابِ يُدْعَوْنَ إِلَى كِتَابِ اللَّهِ لِيَحْكُمَ بَيْنَهُمْ ثُمَّ يَتَوَلَّى فَرِيقٌ مِّنْهُمْ وَهُم مُّعْرِضُونَ - ذَٰلِكَ بِأَنَّهُمْ قَالُوا لَن تَمَسَّنَا النَّارُ إِلاَّ أَيَّامًا مَّعْدُودَاتٍ وَغَرَّهُمْ فِي دِينِهِم مَّا كَانُوا يَفْتَرُونَ - فَكَيْفَ إِذَا جَمَعْنَاهُمْ لِيَوْمٍ لاَّ رَيْبَ فِيهِ وَوُفِّيَتْ كُلُّ نَفْسٍ مَّا كَسَبَتْ وَهُمْ لاَ يُظْلَمُونَ ]
(23. あなたは啓典の一部を与えられていた者たちが,かれらの間の裁判を,アッラーの啓典(クルアーン)に頼るようにと,呼びかけられるのを見なかったのか。だがかれらの一部は背き去った,かれらは転落者である。) (24. これは,かれらが「わたしたちが業火に触れたとしても何日かの間に過ぎないだろう。」と言うためで,かれらはその教えに就き,自分の捏造したものに欺かれて正しい教えから迷い出ているためである。) (25. 疑いの余地のないその日,われがかれらを集める時には,どのように(かれらはなるだろう)。各人は,自分の稼いだことに対し(十分に)報いられ,不当に扱われないのである。)
啓典の民を、裁決でアッラーの書を参照していないために責めること
アッラーはユダヤ教徒とキリスト教徒を非難されている。 彼らは、タウラーやインジールの啓典に従うと言う。しかし、それらの書ではアッラーが彼らにムハンマドに従うようにと命ぜられており、それを参照するようにと言われると、彼らは嫌悪して背を向ける。 アッラーからのこの非難と批評のすべては、彼らの抵抗と拒否のためである。 アッラーは次に仰せられた、
[ذَٰلِكَ بِأَنَّهُمْ قَالُوا لَن تَمَسَّنَا النَّارُ إِلاَّ أَيَّامًا مَّعْدُودَاتٍ]
( これは,かれらが「わたしたちが業火に触れたとしても何日かの間に過ぎないだろう。」と言うためで, ) 彼らがむこうみずにも真理に反抗し拒否するのは、アッラーは七日間火獄で罰するだけであるという誤った主張のためである、ということ。 一日は現世での千年である。 私たちはこの点についてアル・バカラ章のタフスィールで触れた。
それからアッラーは仰せられた、
[وَغَرَّهُمْ فِي دِينِهِم مَّا كَانُوا يَفْتَرُونَ]
(かれらはその教えに就き、自分の捏造したものに欺かれて正しい教えから迷い出ているためである。) 彼らを誤った信条に引き止めるのは、罪を犯しても業火は何日か触れるだけであると信じて自分自身を欺いたことである。しかしながら、この概念を作り上げたのは彼らで、アッラーは彼らにこの主張を支持する権限を与えてはいない。彼らに脅威を与え、警告しながら、アッラーは仰せられた、
[فَكَيْفَ إِذَا جَمَعْنَاهُمْ لِيَوْمٍ لاَّ رَيْبَ فِيهِ]
(疑いの余地のないその日、われがかれらを集める時には、どのように(かれらはなるだろう)。) アッラーについてこのような嘘をつき、かれの使徒たちを拒否し、かれの預言者や正しいことを命じて悪を禁じた学者たちを殺害した後で、彼らの状態はどのようだろう、ということである。アッラーはこれらすべての事について彼らに質問し、彼らがしたことに対して罰せられるだろう。
そのため、アッラーは仰せられた、
[فَكَيْفَ إِذَا جَمَعْنَاهُمْ لِيَوْمٍ لاَّ رَيْبَ فِيهِ]
(疑いの余地のないその日、われがかれらを集める時には、どのように(かれらはなるだろう)。) この日が来ることに疑いはない、という意味。
[وَوُفِّيَتْ كُلُّ نَفْسٍ مَّا كَسَبَتْ وَهُمْ لاَ يُظْلَمُونَ]
(各人は、自分の稼いだことに対し(十分に)報いられ、不当に扱われないのである。)
[قُلِ اللَّهُمَّ مَالِكَ الْمُلْكِ تُؤْتِي الْمُلْكَ مَن تَشَآءُ وَتَنزِعُ الْمُلْكَ مِمَّن تَشَآءُ وَتُعِزُّ مَن تَشَآءُ وَتُذِلُّ مَن تَشَآءُ بِيَدِكَ الْخَيْرُ إِنَّكَ عَلَىٰ كُلِّ شَىْءٍ قَدِيرٌ - تُولِجُ الَّيْلَ فِي الْنَّهَارِ وَتُولِجُ النَّهَارَ فِي الَّيْلِ وَتُخْرِجُ الْحَيَّ مِنَ الْمَيِّتِ وَتُخْرِجُ الَمَيِّتَ مِنَ الْحَيِّ وَتَرْزُقُ مَن تَشَآءُ بِغَيْرِ حِسَابٍ ]
(26. (祈って)言え。「おおアッラー、王権の主。あなたは御望みの者に王権を授け、御望みの者から王権を取り上げられる。また御望みの者を高貴になされ、御望みの者を低くなされる。(凡ての)善いことは、あなたの御手にある。あなたは凡てのことに全能であられる。) (27. あなたは夜を昼の中に入らせ、昼を夜の中に入らせられる。またあなたは、死から生を齎し、生から死を齎せられる。あなたは御心に適う者に限りなく御恵みを与えられる。」)
感謝を奨励すること
アッラーは仰せられる、
[قُلْ]
(言え。) 「ムハンマドよ、主に祈るとき、感謝するとき、アッラーにすべてをお任せするとき、アッラーに信頼を置くとき、」
[اللَّهُمَّ مَالِكَ الْمُلْكِ]
(「おおアッラー,王権の主。) 「すべての権力はあなたのもの」
[تُؤْتِي الْمُلْكَ مَن تَشَآءُ وَتَنزِعُ الْمُلْكَ مِمَّن تَشَآءُ وَتُعِزُّ مَن تَشَآءُ وَتُذِلُّ مَن تَشَآءُ]
(あなたは御望みの者に王権を授け,御望みの者から王権を取り上げられる。また御望みの者を高貴になされ,御望みの者を低くなされる。) あなたは与えるお方、取り上げるお方、起こる事はあなたの御意思で、あなたの意図されないことは起こりません。」
この節では、使徒とウンマに授けられたご厚意についてアッラーに感謝することが促されている。アッラーは預言者の出現をイスラエルの子からアラブ人へと委譲された。マッカのクライシュ族の文字を知らない預言者で、アッラーが遣わした全使徒の中、全人類とジンに遣わした最後の預言者である。アッラーはムハンマド {saw} に、彼以前の預言者から最高の特性を授けた。またアッラーは、以前の預言者や使徒が与えられなかった特質もムハンマド {saw} に授けた。それは、アッラーについての (より多くの) 知識、アッラーが定められたことについての知識、来世起こることなど過去と未来の事柄についてのより多くの知識、等である。 アッラーはムハンマド {saw} のウンマが世界の東にも西にも広がることを許され、その宗教と法をほかの宗教や法の上に位置づけた。 審判の日まで、そして昼と夜の交替が続く限り、預言者にアッラーの平安と祝福があるように。 アッラーが次のように仰せられたのはそのためである、
[قُلِ اللَّهُمَّ مَالِكَ الْمُلْكِ]
(言え。「おおアッラー,王権の主。) あなたが創造されたものについて、あなたが望まれることを決定される。そして、あなたが望まれることをなされる。 アッラーは、アッラーに代わって決定を下すことができると思っていた人々を論駁する。
[وَقَالُوا لَوْلاَ نُزِّلَ هَـٰذَا الْقُرْءَانُ عَلَىٰ رَجُلٍ مِّنَ الْقَرْيَتَيْنِ عَظِيمٍ ]
(またかれらは,「このクルアーンは,何故2つの町の有力な人物に下されなかったのでしょうか。」と言う。) [43:31]
アッラーは彼らに次のように論駁された、
[أَهُمْ يَقْسِمُونَ رَحْمَةَ رَبِّكَ]
(かれらは主の慈悲を割り当てるのか。) [43:32] 「われは、われが創造したものについて望みどおりに決定を下す。だれの抵抗も妨害も受けることはない。 われの知識は完全でこれら凡てについて明白な証拠がある。また、われはわれが望む者を預言者とする。 同様に、アッラーは次のように仰せられた、
[اللَّهُ أَعْلَمُ حَيْثُ يَجْعَلُ رِسَالَتَهُ]
(アッラーは何処で(また如何に)かれの使命を果たすべきかを,最もよく知っておられる。) [6: 124]
また、
[انظُرْ كَيْفَ فَضَّلْنَا بَعْضَهُمْ عَلَىٰٰ بَعْضٍ]
(見なさい。われはある者に,如何に外よりも優れた恩恵を与えるかを。) [17: 21]
アッラーは仰せられた、
[تُولِجُ الَّيْلَ فِي الْنَّهَارِ وَتُولِجُ النَّهَارَ فِي الَّيْلِ]
(あなたは夜を昼の中に入らせ,昼を夜の中に入らせられる。) あなたは片方の長さから取られると、それをもう一方の短いところへ加えられ、等しくなる。 片方の長さから取られ、もう一方へ加えられると、等しくなくなる。 これは一年の季節、春、夏、秋、冬を通して起こっている。アッラーの御言葉、
[وَتُخْرِجُ الْحَيَّ مِنَ الْمَيِّتِ وَتُخْرِجُ الَمَيِّتَ مِنَ الْحَيِّ]
(またあなたは,死から生を齎し,生から死を齎せられる。) あなたは植物から種を齎し、種から植物を齎される。ナツメヤシの種からナツメヤシを、ナツメヤシから種を。不信者から信者を、信者から不信者を。卵から鶏を、鶏から卵を。
[وَتَرْزُقُ مَن تَشَآءُ بِغَيْرِ حِسَابٍ]
(あなたは御心に適う者に限りなく御恵みを与えられる。) あなたは英知と公正さに従って、御心に適う者に数えきれないほどの富を与え、他方では奪われる。
[لاَّ يَتَّخِذِ الْمُؤْمِنُونَ الْكَافِرِينَ أَوْلِيَآءَ مِن دُونِ الْمُؤْمِنِينَ وَمَن يَفْعَلْ ذَٰلِكَ فَلَيْسَ مِنَ اللَّهِ فِي شَيْءٍ إِلاَّ أَن تَتَّقُوا مِنْهُمْ تُقَاةً وَيُحَذِّرْكُمُ اللَّهُ نَفْسَهُ وَإِلَى اللَّهِ الْمَصِيرُ ]
(28. 信者たちは,信者を差し置いて不信心な者を親密な友としてはならない。これをあえてする者は,アッラーから(の助け)は全くないであろう。だがかれらが(不信者)から(の危害を)恐れて,その身を守る場合は別である。アッラーは御自身を(のみ念じるよう)あなたがたに論される。本当にアッラーの御許に,(最後の)帰り所はある。)
不信者を支えることの禁止
アッラーは、アッラーを信じるしもべに、不信者の支援者となること、信者ではなく不信者を心からの同志として友情を育むことを禁じられた。 アッラーはそのような振る舞いについて警告されている。
[وَمَن يَفْعَلْ ذَٰلِكَ فَلَيْسَ مِنَ اللَّهِ فِي شَيْءٍ]
(これをあえてする者は,アッラーから(の助け)は全くないであろう。) アッラーが禁じたこのような行いを犯す者を、アッラーは見捨てられる。同様に、次のように仰せられた、
[يَا أَيُّهَا الَّذِينَ ءَامَنُوا لاَ تَتَّخِذُوا عَدُوِّي وَعَدُوَّكُمْ أَوْلِيَآءَ تُلْقُونَ إِلَيْهِمْ بِالْمَوَدَّةِ]
(あなたがた信仰する者よ,われの敵であり,またあなたがたの敵である者を,心からの友としてはならない。) から
[وَمَن يَفْعَلْهُ مِنكُمْ فَقَدْ ضَلَّ سَوَآءَ السَّبِيلِ]
(あなたがたの中このようなことをする者は,本当に正しい道から迷い去った者である。) [60:1] まで。
アッラーは仰せられた、
[يَا أَيُّهَا الَّذِينَ ءَامَنُوا لاَ تَتَّخِذُوا الْكَافِرِينَ أَوْلِيَآءَ مِن دُونِ الْمُؤْمِنِينَ أَتُرِيدُونَ أَن تَجْعَلُوا لِلَّهِ عَلَيْكُمْ سُلْطَاناً مُّبِيناً ]
(あなたがた信仰する者よ,信者の外に不信心な者を(親しい)友としてはならない。あなたがた自ら(不利な),はっきりとした証拠を,アッラーに差し出すことを望むのか。) [4:144]
また、
[يَا أَيُّهَا الَّذِينَ ءَامَنُوا لاَ تَتَّخِذُوا الْيَهُودَ وَالنَّصَارَى أَوْلِيَآءَ بَعْضُهُمْ أَوْلِيَآءُ بَعْضٍ وَمَن يَتَوَلَّهُمْ مِّنكُمْ فَإِنَّهُ مِنْهُمْ]
(あなたがた信仰する者よ,ユダヤ人やキリスト教徒を,仲間としてはならない。かれらは互いに友である。あなたがたの中誰でも,かれらを仲間とする者は,かれらの同類である。) [5:51].
ムハージルーン、アンサール、ベドゥウィンの中で、誠実な信者は誠実な信者を支援することについて述べられた後、アッラーは仰せられた。
[وَالَّذينَ كَفَرُوا بَعْضُهُمْ أَوْلِيَآءُ بَعْضٍ إِلاَّ تَفْعَلُوهُ تَكُنْ فِتْنَةٌ فِي الأَرْضِ وَفَسَادٌ كَبِيرٌ ]
(信じない者たちも互いに守護しあっている。あなたがたがそうしないならば,地上の治安は乱れて大変な退廃が起ころう。) [8:73].
次にアッラーは仰せられた、
[إِلاَّ أَن تَتَّقُوا مِنْهُمْ تُقَاةً]
(だがかれらが(不信者)から(の危害を)恐れて,その身を守る場合は別である。) 不信者によって安全が脅かされているある地域や時代の信者を除く。 その場合は、信者は不信者に表向きは友人関係を示すことを許されるが、心から友になることは決していけない。 たとえば、アル・ブハーリーは、アブ アッダルダが次のように言ったと記している。「私たちはある人たちを心で憎んでいても、微笑みの表情を見せた。」 アル・ブハーリーはアル・ハサンが次のように言ったと述べている。「 トゥカーは復活の日まで許される。」
アッラーは仰せられた、
[وَيُحَذِّرُكُمُ اللَّهُ نَفْسَهُ]
(アッラーは御自身を(のみ念じるよう)あなたがたに論される。) アッラーはご自身のお怒りと厳しい責苦についてあなたに警告されている。それはアッラーの敵を援助する者、アッラーの友に敵意を抱く者のために用意されている。
[وَإِلَى اللَّهِ الْمَصِيرُ]
(本当にアッラーの御許に,(最後の)帰り所はある。) 帰るところはアッラーの御許で、アッラーは行いによって各人に報奨を与えるか罰を与える。
[قُلْ إِن تُخْفُوا مَا فِي صُدُورِكُمْ أَوْ تُبْدُوهُ يَعْلَمْهُ اللَّهُ وَيَعْلَمُ مَا فِي السَّمَاوَاتِ وَمَا فِي الأَرْضِ وَاللَّهُ عَلَىٰ كُلِّ شَيْءٍ قَدِيرٌ - يَوْمَ تَجِدُ كُلُّ نَفْسٍ مَّا عَمِلَتْ مِنْ خَيْرٍ مُّحْضَرًا وَمَا عَمِلَتْ مِن سُوءٍ تَوَدُّ لَوْ أَنَّ بَيْنَهَا وَبَيْنَهُ أَمَدًا بَعِيدًا وَيُحَذِّرُكُمُ اللَّهُ نَفْسَهُ وَاللَّهُ رَءُوفُ بِالْعِبَادِ ]
(29. 言ってやるがいい。「あなたがたが胸の中にあることを,隠してもまた現わしても,アッラーはそれを知っておられる。かれは天にありまた地にある一切を知っておられる。アッラーは凡てのことに全能であられる。」) (30. 凡ての人が,それぞれ行った善事と,その行なった悪事とを,まのあたりに見る日。かれらは自分 (日本ムスリム協会の訳 「その日」?) と,その(行った悪事との)間に,遠い隔たりがあることを望むであろう。アッラーは,あなたがたにしたしく戒められる。アッラーはしもべたちに慈悲深くあられる。)
アッラーは心に隠されていることをご存知であられる
アッラーは、しもべの秘密も公にしていることもご存知であられ、何もアッラーの認識を逃れることはない、と仰せられている。 アッラーの知識はいかなる条件下、時間枠、なにもかもを覆う。アッラーの知識は天と地にあるすべてのものを席巻し、地、海、山にある原子の重さほどの物も、原子より小さいものも、アッラーの目を免れない。
[وَاللَّهُ عَلَىٰ كُلِّ شَيْءٍ قَدِيرٌ]
(アッラーは凡てのことに全能であられる。」) そして、アッラーの能力は万物に及ぶ。 この節はアッラーのしもべに、アッラーを畏れ、アッラーが禁じられた事やお好みになられない事を犯さないようにと警戒している。アッラーは人々のすることを完全にご存知で、敏速に罰を与えることが出来るのだから。アッラーはその一部の者には猶予を与えられるが、後で罰せられる。アッラーは精算に迅速で偉大であられる。だから、アッラーはその後でこう仰せられた、
[يَوْمَ تَجِدُ كُلُّ نَفْسٍ مَّا عَمِلَتْ مِنْ خَيْرٍ مُّحْضَرًا]
(凡ての人が,それぞれ行った善事をまのあたりに見る日。) 復活の日、アッラーは善い行い、悪い行いすべてをしもべの前に示す。次に仰せられているように。
[يُنَبَّأُ الإِنسَانُ يَوْمَئِذٍ بِمَا قَدَّمَ وَأَخَّرَ ]
(その日(凡ての)人間は,既に行ったことと,後に残したことに就いて告げられるであろう。) [75:13].
しもべが善い行いを見ると、満足し喜ぶ。 犯した悪い行いを見ると、悲しくなり怒る。 そして彼は、その悪事が自分のものでなく、それから遠く引き離されるならば、と願う。 彼はまたこの世でいつも共にいて彼に悪いことをそそのかした悪魔に言う。
[يَا لَيْتَ بَيْنِي وَبَيْنَكَ بُعْدَ الْمَشْرِقَيْنِ فَبِئْسَ الْقَرِينُ]
(「わたしとあなた(悪魔)の間に,東と西の隔たりがあったならば。」と言う。ああ何と悪い友(をもったこと)よ。) [43:38].
それからアッラーは、忠告、警告しながら仰せられた、
[وَيُحَذِّرُكُمُ اللَّهُ نَفْسَهُ]
(アッラーは,あなたがたにしたしく戒められる。) アッラーは罰についてあなたに警告される。それから、アッラーはしもべに望みをもたらしながら、アッラーのご慈悲に絶望したりアッラーの優しさに望みを失わないように仰せられる。
[وَاللَّهُ رَءُوفٌ بِالْعِبَادِ]
(アッラーはしもべたちに慈悲深くあられる。)
アル・ハサン アル・バスリは言った、「アッラーは彼ご自身について警告なされるほどに、しもべたちに優しい。」 他には、「アッラーは創造物に慈悲深く、彼らのため、アッラーの正道とアッラーがお選びになられた宗教にとどまり、高貴な使徒に従うことを望まれる。」
[قُلْ إِن كُنتُمْ تُحِبُّونَ اللَّهَ فَاتَّبِعُونِي يُحْبِبْكُمُ اللَّهُ وَيَغْفِرْ لَكُمْ ذُنُوبَكُمْ وَاللَّهُ غَفُورٌ رَّحِيمٌ - قُلْ أَطِيعُوا اللَّهَ وَالرَّسُولَ فَإِن تَوَلَّوْا فَإِنَّ اللَّهَ لاَ يُحِبُّ الْكَافِرِينَ ]
(31. 言ってやるがいい。「あなたがたがもしアッラーを敬愛するならば,わたしに従え。そうすればアッラーもあなたがたを愛でられ,あなたがたの罪を赦される。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。」) (32. 言ってやるがいい。「アッラーと使徒に従いなさい。」だがかれらがもし背き去るならば,誠にアッラーは信仰を拒否する者たちを御好みになられない。)
アッラーの愛は使徒に従うことで得られる
この崇高なる節は、アッラーを敬愛していると主張しながら、ムハンマドの道に従わない人々に対し断定している。その人の行う言動や状態のすべてにおいてムハンマドのシャリーア(法)と宗教に従うまでは、そのような人の主張することはほんとうではない。サヒーフには、アッラーの使徒が次のように言ったと記されている。
«مَنْ عَمِلَ عَمَلًا لَيْسَ عَلَيْهِ أَمْرُنَا فَهُوَ رَد»
(誰でも我々の事柄(宗教)にそぐわない行為をする者は、それは彼に戻る(拒絶である)。
そのため、ここでアッラーは仰せられた、
[قُلْ إِن كُنتُمْ تُحِبُّونَ اللَّهَ فَاتَّبِعُونِي يُحْبِبْكُمُ اللَّهُ]
(言ってやるがいい。「あなたがたがもしアッラーを敬愛するならば,わたしに従え。そうすればアッラーもあなたがたを愛でられ,」) は、あなたが得るものは、あなたがアッラーを敬愛することで求めるものよりもはるかに大きい。なぜならアッラーはあなたを愛されるのだから。 アル・ハサン アル・バスリとサラフ学者の何人かは、「アッラーを敬愛するという人がいる。それでアッラーはこの節で彼らを試みているのだ。」 と説明している。
[قُلْ إِن كُنتُمْ تُحِبُّونَ اللَّهَ فَاتَّبِعُونِي يُحْبِبْكُمُ اللَّهُ]
(言ってやるがいい。「あなたがたがもしアッラーを敬愛するならば,わたしに従え。そうすればアッラーもあなたがたを愛でられ,」)
そしてアッラーは仰せられている、
[وَيَغْفِرْ لَكُمْ ذُنُوبَكُمْ وَاللَّهُ غَفُورٌ رَّحِيمٌ]
(「あなたがたの罪を赦される。アッラーは寛容にして慈悲深くあられる。」) あなたは使徒に従うことで、使徒の使命の祝福のためにこれらすべてを得ることができる。次にアッラーはみなに命ぜられる。
[قُلْ أَطِيعُوا اللَّهَ وَالرَّسُولَ فَإِن تَوَلَّوْا]
(言ってやるがいい。「アッラーと使徒に従いなさい。」 だがかれらがもし背き去るならば,) 預言者に反抗することによって、背き去るならば
[فَإِنَّ اللَّهَ لاَ يُحِبُّ الْكَافِرِينَ]
(誠にアッラーは信仰を拒否する者たちを御好みになられない。) このように、使徒の道に反抗することはクフルとなることが証言されている。実際、アッラーは誰でもこのようなことをする者は好まれない。たとえその人がアッラーを敬愛すると言い、アッラーに近づく方法を捜し求めているとしても。その文字の読めない預言者、人類とジンという二つの被造物に遣わされたアッラーからの最後の使徒に従うまでは (従わなければ)。 これが最後の預言者である。もし前の預言者や偉大なる使徒たちがその時代に生きていたなら、彼らは間違いなく彼に従い、彼の法を遵守していたであろう。 次に挙げる節について説明する際に、このことについてまた触れるつもりである。至高なるアッラーがお望みならば。
[وَإِذْ أَخَذَ اللَّهُ مِيثَـقَ النَّبِيِّيْنَ]
(アッラーが預言者たちと約束された時を思え。) [3:81]
[إِنَّ اللَّهَ اصْطَفَىٰ آدَمَ وَنُوحًا وَآلَ إِبْرَاهِيمَ وَآلَ عِمْرَانَ عَلَى الْعَالَمِينَ - ذُرِّيَّةً بَعْضُهَا مِن بَعْضٍ وَاللَّهُ سَمِيعٌ عَلِيمٌ ]
(33. 本当にアッラーは,アーダムとヌーフ,そしてイブラーヒームー族の者とイムラーンー族の者を,諸衆の上に御選びになられた。) (34. かれらは,一系の子々孫々である。アッラーは全聴にして全知であられる。)
地上の人々の間から選ばれた者
アッラーはこれらの家系を地上の人々の中から選ばれたと仰せられている。たとえば、アッラーはアーダムをお選びになり、その手で創造され、生命を吹き込まれた。アッラーは天使たちにアーダムに平伏するように命ぜられた。そしてアーダムに凡てのものの名を教え、楽園に住むことを許可されたが、後にその英知により彼を楽園から降ろされた。また、地上の人々が偶像を作り、アッラーに他の同格のものを立てて崇拝している時、アッラーはヌーフを選び、彼らへの最初の使徒とされた。アッラーはヌーフが受けた扱いに仕返しをされた。というのは、ヌーフは本当に長い間、公にも個人的にも日夜人々に呼びかけ続けた。しかし、ヌーフが呼びかけても、彼らはより一層彼を避けるだけであったので、もはやヌーフは彼らに対抗して嘆願したのである。そこでアッラーは彼らを溺れさせ、アッラーがヌーフに齎した宗教に従った者以外で助かった者は1人もいなかった。またアッラーはイブラーヒームの家族を選ばれた。全人類の指導者、最後の預言者ムハンマド (saw) もその家系に含まれる。アッラーはイムラーン家もお選びになった。イーサーの母であるマルヤム ビント イムラーンの父 (as)。イーサーはイブラーヒームの子孫の出である。これについてはアル・アンアーム章のタフスィールのところで述べる。私たちが信頼を置くアッラーがお望みになるならば。
54/604ページ半ば
[إِذْ قَالَتِ امْرَأَتُ عِمْرَانَ رَبِّ إِنِّي نَذَرْتُ لَكَ مَا فِي بَطْنِي مُحَرَّرًا فَتَقَبَّلْ مِنِّي إِنَّكَ أَنتَ السَّمِيعُ الْعَلِيمُ - فَلَمَّا وَضَعَتْهَا قَالَتْ رَبِّ إِنِّي وَضَعْتُهَآ أُنثَىٰ وَاللَّهُ أَعْلَمُ بِمَا وَضَعَتْ وَلَيْسَ الذَّكَرُ كَالأُنثَىٰ وَإِنِّي سَمَّيْتُهَا مَرْيَمَ وِإِنِّي أُعِيذُهَا بِكَ وَذُرِّيَّتَهَا مِنَ الشَّيْطَانِ الرَّجِيمِ ]
(35. イムラーンの妻がこう(祈って)言った時を思え,「主よ,わたしは,この胎内に宿ったものを,あなたに奉仕のために捧げます。どうかわたしからそれを御受け入れ下さい。本当にあなたは全聴にして全知であられます。」) (36. それから出産の時になって,かの女は(祈って)言った。「主よ,わたしは女児を生みました。」 アッラーは,かの女が生んだ者を御存知であられる。男児は女児と同じではない。 「わたしはかの女をマルヤムと名付けました。あなたに御願いします,どうかかの女とその子孫の者を、呪うべき悪霊から御守り下さい。」)
マルヤム誕生の物語
هي حَنَّة بنت فاقوذ،
ここで言及されているイムラーンの妻は、マルヤムの母で、名をハンナ ビント ファークードという。ムハンマド ビン イスハークによると、ハンナには子どもを持つことが出来なかった。或る日、一羽の鳥が雛にエサを与えているのを目にすると、彼女は子どもを願い、アッラーに子どもを授けてくださるように祈願した。アッラーは彼女の祈願を受け入れられたので、夫が彼女と床を共にした時、妊娠した。ハンナは妊娠していることに気付くと、子どもを崇拝に専念させ、バイト アル・マクディス (エルサレムのモスク) に仕えさせることを誓った。彼女は言った、
[رَبِّ إِنِّي نَذَرْتُ لَكَ مَا فِي بَطْنِي مُحَرَّرًا فَتَقَبَّلْ مِنِّي إِنَّكَ أَنتَ السَّمِيعُ الْعَلِيمُ]
(「主よ,わたしは,この胎内に宿ったものを,あなたに奉仕のために捧げます。どうかわたしからそれを御受け入れ下さい。本当にあなたは全聴にして全知であられます。」) あなたは私の祈願を聞かれ、私の意図をご存知です、という意味である。彼女はそのとき、男児と女児のどちらを生むのか知らなかった。
[فَلَمَّا وَضَعَتْهَا قَالَتْ رَبِّ إِنِّي وَضَعْتُهَآ أُنثَىٰ وَاللَّهُ أَعْلَمُ بِمَا وَضَعَتْ]
(それから出産の時になって,かの女は言った。「主よ,わたしは女児を生みました。」 アッラーは,かの女が生んだ者を御存知であられる。)
[وَلَيْسَ الذَّكَرُ كَالأُنثَىٰ]
(男児は女児と同じではない。) アッラーを崇拝しエルサレムのモスクに仕えるための力と献身において。
[وَإِنِّي سَمَّيْتُهَا مَرْيَمَ]
(「わたしはかの女をマルヤムと名付けました。」) 生まれた日に新生児を名付けることは許されると、この節で明らかに立証されている。これは私たち以前の人々の法の一つでもある。さらにアッラーの使徒のスンナに、預言者が次のように言ったと記されている。
«وُلِدَ لِيَ اللَّيْلَةَ وَلَدٌ، سَمَّيْتُهُ بِاسْمِ أَبِي إِبْرَاهِيم»
(今夜、私に男児が生まれた。祖先の名前にちなみ、イブラーヒームと名付けた。) アル・ブハーリーとムスリムがこのハディースを収めている。
彼らはまた、アナス ビン マーリクがアッラーの使徒のところへ生まれたばかりの弟を持ってきた時のことを記録している。使徒はナツメヤシを一つ噛んでその子の口に入れ、「アブドッラー」と名付けた。ほかの新生児も生まれた日に名前を与えられた。
カターダは、アル・ハサン アル・バスリがサムラ ビン ジュンドゥブから聞いたこととして、アッラーの使徒が次のように言ったと伝えている。
«كُلُّ غُلاَمٍ رَهِينٌ بِعَقِيقَتِهِ، يُذْبَحُ عَنْهُ يَوْمَ سَابِعِهِ، وَيُسَمَّى وَيُحْلَقُ رَأَسُه»
(新生児はみな七日目まで、彼の信仰によって守られている。犠牲が彼のために捧げられ、名前が与えられ、頭髪は剃られる。)
このハディースはアフマドとスナン収集者によって収められ、アッティルミズィによってサヒーフの等級を与えられている。このハディースの別のものには、「そして血が彼のために捧げられる」 という言葉もあることを言及しておくべきであろう。そちらの方がより知られていて、先のものより認知されている。アッラーがもっともよくご存知でおられる。
次にマルヤムの母親が言ったというアッラーの御言葉、
[وِإِنِّي أُعِيذُهَا بِكَ وَذُرِّيَّتَهَا مِنَ الشَّيْطَانِ الرَّجِيمِ]
(「...あなたに御願いします,どうかかの女とその子孫の者を、呪うべき悪霊から御守り下さい。」) 彼女はアッラーに、生まれた子とその子、つまりイーサー (as) をシェイターンから守ってくださるようにと求めた。アッラーは彼女の祈願を受け入れられた。それは、アブ フライラが伝えたこととしてアブドッラッザークが記録した、アッラーの使徒が言ったことに表れている。
«مَا مِنْ مَوْلُودٍ يُولَدُ إِلَّا مَسَّهُ الشَّيْطَانُ حِينَ يُولَدُ، فَيَسْتَهِلُّ صَارِخًا مِنْ مَسِّهِ إِيَّاهُ، إِلَّا مَرْيَمَ وَابْنَهَا»
(新生児はみな生まれたときにシェイターンに触れられ、そのために赤ん坊は泣き始める。しかし、マルヤムと彼女の息子だけはそうではなかった。)
アブ フライラ はそれから言った、「望むなら読みなさい。」
[وِإِنِّي أُعِيذُهَا بِكَ وَذُرِّيَّتَهَا مِنَ الشَّيْطَانِ الرَّجِيمِ]
(「あなたに御願いします,どうかかの女とその子孫の者を、呪うべき悪霊から御守り下さい。」) 二つのサヒーフがこのハディースを記録している。
[فَتَقَبَّلَهَا رَبُّهَا بِقَبُولٍ حَسَنٍ وَأَنبَتَهَا نَبَاتًا حَسَنًا وَكَفَّلَهَا زَكَرِيَّا كُلَّمَا دَخَلَ عَلَيْهَا زَكَرِيَّا الْمِحْرَابَ وَجَدَ عِندَهَا رِزْقًا قَالَ يَا مَرْيَمُ أَنَّىٰ لَكِ هَـٰذَا قَالَتْ هُوَ مِنْ عِندِ اللَّهِ إنَّ اللَّهَ يَرْزُقُ مَن يَشَآءُ بِغَيْرِ حِسَابٍ ]
(37. それで主は,恵み深くかの女を嘉納され,かの女を純潔に美しく成長させ,ザカリーヤーにかの女の養育をさせられた。ザカリーヤ一が,かの女を見舞って聖所に入る度に,かの女の前に,食物があるのを見た。かれは言った。「マルヤムよ,どうしてあなたにこれが(来たのか)。」 かの女は(答えて)言った。「これはアッラーの御許から(与えられました)。」 本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。)
マルヤム成長する、彼女の名誉はアッラーの御許にある
アッラーは、母の誓いの結果としてマルヤムを受け入れられた、と仰せられている。そして、
[وَأَنبَتَهَا نَبَاتًا حَسَنًا]
(かの女を純潔に美しく成長させ,) 彼女の行いをふさわしく、気持ちのよい気質にし、人々の間で好感を持たれるようにした。また敬虔な人々といるようにさせ、正しさ、知識、宗教を見に付けるようにした。
[وَكَفَّلَهَا زَكَرِيَّا]
(ザカリーヤーにかの女の養育をさせられた。) アッラーはザカリーヤをマルヤムの後見人とした。アッラーはマルヤムにとって益となるようにザカリーヤを彼女の保護者とした。彼の膨大な知識と正しい行いから学ぶようにするためである。ザカリーヤは、イブン イスハークとイブン ジャリールによれば、マルヤムの母方のおばの夫、次に挙げるサヒーフによれば、マルヤムの義理の兄弟の夫であった。
«فَإِذَا بِيَحْيَى وَعِيسى، وَهُمَا ابْنَا الْخَالَة»
(私は、ヤフヤーとイーサーを見たが、彼らは母方の従兄弟である。)
一般的には、イブン イスハークの述べたことはもっともらしいということを言っておかねばならない。この場合、マルヤムは母方のおばの保護下にいた。二つのサヒーフはアッラーの使徒が次のように言って、ハムザの娘アマーラを母方のおばであるジャアファル ビン アビ ターリブの妻が養育するよう決定したと記録している。
«الْخَالَةُ بِمَنْزِلَةِ الْأُم»
(母方のおばは母親のようである。)
それからアッラーはマルヤムの聖所での栄誉と徳を強調されている。
[كُلَّمَا دَخَلَ عَلَيْهَا زَكَرِيَّا الْمِحْرَابَ وَجَدَ عِندَهَا رِزْقًا]
(ザカリーヤ一が,かの女を見舞って聖所に入る度に,かの女の前に,食物があるのを見た。)
ムジャーヒド、イクリマ、サイード ビン ジャバイル、アブ シャアサー、イブラーヒーム アンナハーイ、アッダハーク、カターダ、アッラビーウ ビン アナス、 アティヤ アッアウフィー、アッスッディー は述べた、「ザカリーヤは、彼女の元に、冬に夏の果物が、夏に冬の果物があるのを見た。」 ザカリーヤがこれを見て言った、
[قَالَ يَا مَرْيَمُ أَنَّىٰ لَكِ هَـٰذَا]
(かれは言った。「マルヤムよ,どうしてあなたにこれが。」) この果物をどこで手に入れたのか、という意味である。
[قَالَتْ هُوَ مِنْ عِندِ اللَّهِ إنَّ اللَّهَ يَرْزُقُ مَن يَشَآءُ بِغَيْرِ حِسَابٍ]
(かの女は(答えて)言った。「これはアッラーの御許から(与えられました)。」 本当にアッラーは御自分の御心に適う者に限りなく与えられる。)
[هُنَالِكَ دَعَا زَكَرِيَّا رَبَّهُ قَالَ رَبِّ هَبْ لِي مِن لَّدُنْكَ ذُرِّيَّةً طَيِّبَةً إِنَّكَ سَمِيعُ الدُّعَآءِ - فَنَادَتْهُ الْمَلاَئِكَةُ وَهُوَ قَائِمٌ يُصَلِّي فِي الْمِحْرَابِ أَنَّ اللَّهَ يُبَشِّرُكَ بِيَحْيَٰ مُصَدِّقاً بِكَلِمَةٍ مِّنَ اللَّهِ وَسَيِّدًا وَحَصُورًا وَنَبِيًّا مِّنَ الصَّالِحِينَ - قَالَ رَبِّ أَنَّىٰ يَكُونُ لِي غُلاَمٌ وَقَدْ بَلَغَنِيَ الْكِبَرُ وَامْرَأَتِي عَاقِرٌ قَالَ كَذَٰلِكَ اللَّهُ يَفْعَلُ مَا يَشَآءُ - قَالَ رَبِّ اجْعَل لِّي آيَةً قَالَ آيَتُكَ أَلاَّ تُكَلِّمَ النَّاسَ ثَلاَثَةَ أَيَّامٍ إِلاَّ رَمْزًا وَاذْكُر رَّبَّكَ كَثِيرًا وَسَبِّحْ بِالْعَشِىِّ وَالإِبْكَارِ ]
(38. そこでザカリーヤーは,主に祈って言った。「主よ,あなたの御許から,無垢の後継ぎをわたしに御授け下さい。本当にあなたは祈りを御聞き届け下さいます。」) (39. それからかれがなお聖所で礼拝に立っていた時,天使がかれに呼びかけた。「アッラーからヤヒヤーの吉報をあなたに授ける。その子はアッラーの御言葉の実証者となり,尊貴,純潔で正しい人々の中の預言者となろう。」) (40. かれは言った。「主よ,どうしてわたしに男の子があり得ましょう。わたしはもう老齢になってしまい,妻は不妊でありますのに。」 かれ(天使)は言った。「このように,アッラーは御望みのことを行われる。」) (41. そこでかれ(ザカリーヤー)は言った。「主よ,わたしに印を御示し下さい。」 かれ(天使)は言った。「あなたは3日の間人間と話すことが出来ず,身振だけで意志を通じさせることになろう。これがあなたに与えられる印である。だから多くあなたの主を念じ,朝にタに讃えなさい。」)
ザカリーヤの嘆願 と ヤフヤー誕生のよい知らせ
ザカリーヤはアッラーがマルヤムに夏に冬の果物を、冬に夏の果物を与えて扶養されるのを見て、自身の子がたいへん欲しくなった。その時にはすでにザカリーヤは年をとっていて、骨は弱り、頭は白髪になっていた。妻も年をとっていて、不妊であった。しかしそれでもアッラーに祈願し密かに言った、
[رَبِّ هَبْ لِي مِن لَّدُنْكَ]
(「主よ,あなたの御許から,わたしに御授け下さい。) あなたから、
[ذُرِّيَّةً طَيِّبَةً]
(無垢の後継ぎを。) 正しい子を、という意味である。
[إِنَّكَ سَمِيعُ الدُّعَآءِ]
(本当にあなたは祈りを御聞き届け下さいます。」) アッラーは仰せられた、
[فَنَادَتْهُ الْمَلاَئِكَةُ وَهُوَ قَائِمٌ يُصَلِّي فِي الْمِحْرَابِ]
(それからかれがなお聖所で礼拝に立っていた時,天使がかれに呼びかけた。) 彼が聖所に引き篭もり、立って祈っていた時、天使たちが彼に直接話しかけた。
アッラーは天使たちがザカリーヤに運んできたよい知らせについて伝える。
[أَنَّ اللَّهَ يُبَشِّرُكَ بِيَحْيَٰ]
(「アッラーからヤヒヤーの吉報をあなたに授ける。 ) ヤフヤーという名の、あなたの子孫となる子について。 カターダとほかの学者たちは彼がヤフヤー (文字通りには「彼は生きる」という意味) と名付けられたのは、至高なるアッラーが彼の生命を信仰で満ち溢れたものにしたためであると言っている。
55/604ページ上
لأن الله تعالى أحياه بالإيمان.
アッラーは次に仰せられた、
[مُصَدِّقاً بِكَلِمَةٍ مِّنَ اللَّهِ]
(その子はアッラーの御言葉の実証者となり,) アル・アウフィーはイブン アッバースが言ったこととして、また、アル・ハサン、カターダ、イクリマ、ムジャーヒド、アブ シャアサー、アッスッディー、アッラビーウ ビン アナス、 アッダハーク とほかの何人かも、この節、
[مُصَدِّقاً بِكَلِمَةٍ مِّنَ اللَّهِ]
(その子はアッラーの御言葉の実証者となり,) は、「マルヤムの子イーサーを信じる」 という意味であると記録している。
アブ アル・アーリヤ、アッラビーウ ビン アナス、カターダ、サイード ビン ジュバイルは、次のアッラーの御言葉
[وَسَيِّدًا]
(尊貴,) は、「聡明な人」 という意味であると言っている。イブン アッバース、アッサウリ、 アッダハークは、サイイダン は、「高貴で、賢くて、信心深い人」 と言った。サイード ビン アル・マサイイブは、サイイド は一般の学者でありイスラーム法学者でもある、と言った。アティヤはサイイド は行動と敬虔さで高貴な人のことであると言った。イクリマは、怒りに我を忘れない人についてであると言った。イブン ザイドは、高貴な人のことであると言った。ムジャーヒドは、サイイダン は、アッラーに栄誉を与えられた人のことであると言った。
وقال سعيد بن المسيب: هو الفقيه العالم. وقال عطية: السيد فِي خلقه ودينه. وقال عكرمة: هو الذي لا يغلبه الغضب. وقال ابن زيد: هو الشريف. وقال مجاهد وغيره
次のアッラーの御言葉、
[وَحَصُورًا]
(純潔で) 女性と性的関係を持たないという意味ではなく、不法な性関係から免れているということである。彼は女性と結婚しないというわけではないし、女性と合法な性関係さえ持たないというわけではない。なぜなら、ザカリーヤはヤフヤーのために祈願したとき、次のように言ったのである、
[هَبْ لِي مِن لَّدُنْكَ ذُرِّيَّةً طَيِّبَةً]
(「あなたの御許から,無垢の後継ぎをわたしに御授け下さい。) のちに子孫を持つ息子を私にお授け下さい、という意味である。アッラーがもっともよくご存知であられる。
次のアッラーの御言葉、
[وَنَبِيًّا مِّنَ الصَّالِحِينَ]
(正しい人々の中の預言者) ヤフヤーが生まれるというよい知らせの後、彼を預言者として送るというさらなるよい知らせが齎されている。このよい知らせはヤフヤーの誕生という知らせよりもっとすばらしい知らせでさえある。同じ種類の御言葉として、アッラーがムーサーの母に仰せられているところがある、
[إِنَّا رَادُّوهُ إِلَيْكِ وَجَاعِلُوهُ مِنَ الْمُرْسَلِينَ]
(「われは必ずかれをあなたに返し,使徒の一人とするであろう。」) [28:7]
ザカリーヤはそのよい知らせを聞くと、その年で子どもを持つことについて考え始めて言った、
[قَالَ رَبِّ أَنَّىٰ يَكُونُ لِي غُلاَمٌ وَقَدْ بَلَغَنِيَ الْكِبَرُ وَامْرَأَتِي عَاقِرٌ قَالَ]
(「主よ,どうしてわたしに男の子があり得ましょう。わたしはもう老齢になってしまい,妻は不妊でありますのに。」 かれは言った。) つまり、天使が言った。
[كَذَٰلِكَ اللَّهُ يَفْعَلُ مَا يَشَآءُ]
(「このように,アッラーは御望みのことを行われる。」) これはアッラーのなされることである。彼はあまりに偉大で彼の力の及ばないものは何もないし、彼の能力を超えるものもない。
[قَالَ رَبِّ اجْعَل لِّي آيَةً]
(そこでかれ(ザカリーヤー)は言った。「主よ,わたしに印を御示し下さい。」) その子が齎されるということを知らせる印を下さい。
[قَالَ آيَتُكَ أَلاَّ تُكَلِّمَ النَّاسَ ثَلاَثَةَ أَيَّامٍ إِلاَّ رَمْزًا]
(かれは言った。「あなたは3日の間人間と話すことが出来ず,身振だけで意志を通じさせることになろう。」) 身振りをすることはできるが、口がきけなくなったわけでもないのに話すことが出来なくなる。 別の節でもアッラーは仰せられている、
[ثَلاَثَ لَيَالٍ سَوِيّاً]
(「健全でありながら,3夜の間・・・・」) [19:10]
そしてアッラーはザカリーヤにその状態で、よく祈り、感謝し、アッラーを讃えるようにと命ぜられた。
[وَاذْكُر رَّبَّكَ كَثِيرًا وَسَبِّحْ بِالْعَشِىِّ وَالإِبْكَارِ]
(「だから多くあなたの主を念じ,朝にタに讃えなさい。」 )
この事についてはマルヤム章 (19章) の初めでより詳細に述べる。アッラーがお望みになられれば。
[وَإِذْ قَالَتِ الْمَلاَئِكَةُ يَا مَرْيَمُ إِنَّ اللَّهَ اصْطَفَاكِ وَطَهَّرَكِ وَاصْطَفَاكِ عَلَىٰ نِسَآءِ الْعَالَمِينَ - يَا مَرْيَمُ اقْنُتِي لِرَبِّكِ وَاسْجُدِي وَارْكَعِي مَعَ الرَّكِعِينَ - ذَٰلِكَ مِنْ أَنبَآءِ الْغَيْبِ نُوحِيهِ إِلَيْكَ وَمَا كُنتَ لَدَيْهِمْ إِذْ يُلْقُون أَقْلاَمَهُمْ أَيُّهُمْ يَكْفُلُ مَرْيَمَ وَمَا كُنتَ لَدَيْهِمْ إِذْ يَخْتَصِمُونَ ]
(42. 天使たちがこう言った時を思い起せ。「マルヤムよ,誠にアッラーはあなたを選んであなたを清め,万有の女人を越えて御選びになられた。」) (43. 「マルヤムよ,あなたの主に崇敬の誠を棒げてサジダしなさい。ルクーウ(立礼)するものと一緒にルクーウしなさい。」) (44. これは幽玄界の消息の一部であり,われはこれをあなたに啓示する。かれらが籤矢を投げて誰がマルヤムを養育すべきかを決めた時,あなたはかれらの中にいなかった。またかれらが相争った時も,あなたはかれらと一緒ではなかった。)
その時代の女性の上にあるマルヤムの徳
天使たちがアッラーのご命令によりマルヤムに話しかけ、彼女を彼への奉仕と慎み深さ、名誉、純真さ、強い信念のためにお選びになられたことを伝えたと、アッラーは仰せられている。アッラーはまた、この世のすべての女性の上にある彼女の徳の高さのためにお選びになられた。アッティルミズィは、アリ ビン アビ ターリブが 「私はアッラーの使徒がこのように言うのを聞いた。」 と、次のように伝えたことを記録している。
«خَيْرُ نِسَائِهَا مَرْيَمُ بِنْتُ عِمْرَانَ، وَخَيْرُ نِسَائِهَا خَدِيجَةُ بِنْتُ خُوَيْلِد»
((その当時)もっとも優れた女性は、イムラーンの娘マルヤムであり、(預言者の時代で) もっとも優れた女性は、フワイリドの娘 (で預言者の妻) ハディージャである。)
二つのサヒーフがこのハディースを記録している。イブン ジャリールはアブ ムーサー アル・アシャリが伝えたこととして、アッラーの使徒が次のように言ったと記している、
«كَمُلَ مِنَ الرِّجَالِ كَثِيرٌ، وَلَمْ يَكْمُلْ مِنَ النِّسَاءِ إِلَّا مَرْيَمُ بِنْتُ عِمْرَانَ وَ آسِيَةُ امْرَأَةُ فِرْعَوْن»
(申し分のない男性は多くいたが、女性では、イムラーンの娘マルヤムとフィルアウンの妻アースィヤだけが申し分なかった。) アブ ダウードを除く六つのハディースがこれを記録している。アル・ブハーリーのものは次のようである、
«كَمُلَ مِنَ الرِّجَالِ كَثِيرٌ، وَلَمْ يَكْمُلْ مِنَ النِّسَاءِ إِلَّا آسِيَةُ امْرَأَةُ فِرْعَوْنَ، وَمَرْيَمُ بِنْتُ عِمْرَانَ، وَإِنَّ فَضْلَ عَائِشَةَ عَلَى النِّسَاءِ كَفَضْلِ الثَّرِيدِ عَلَىٰ سَائِرِ الطَّعَام»
(完全なレベルの男性は多くいるが、女性でそのレベルに達したのは、フィルアウンの妻アースィヤ、イムラーンの娘マルヤム以外にいない。アーイシャ(預言者の妻)がほかの女性よりも優れているのは、サリード(肉とパンの料理)とほかの食事のようなものである。)
وَفَضْلُ عَائِشَةَ عَلَى النِّسَاءِ كَفَضْلِ الثَّرِيدِ عَلَىٰ سَائِرِ الطَّعَامِ "
われわれの著書、『アル・ビダーヤ ワン・ニハーヤ』 の中で、マルヤムの子イーサーの話に関するこのハディースについて多様な語り手のものに言及した。アッラーに讃えあれ。
"البداية والنهاية" ولله الحمد والمنة
アッラーは天使たちを通して、マルヤムに崇拝行為を増やし、謙虚に服従し、平伏し、立礼するなどを命じた。アッラーが彼女のために定めたことを、試みとして、得させるためである。この試みはまた彼女にこの世でも来世でも高い地位を与えるものであった。男性の干渉なしに彼女の体内に息子を創ることで彼の偉大さを示したからである。アッラーは仰せられた、
[يَا مَرْيَمُ اقْنُتِي لِرَبِّكِ وَاسْجُدِي وَارْكَعِي مَعَ الرَّكِعِينَ ]
(「マルヤムよ,あなたの主に崇敬の誠を棒げてサジダしなさい。ルクーウ(立礼)するものと一緒にルクーウしなさい。」) クヌート (この節中ではアクヌティ) というのは、謙虚に服従すること。 別の節ではこのように仰せられている。
[بَل لَّهُ مَا فِي السَّمَاوَاتِ وَالأَرْضِ كُلٌّ لَّهُ قَانِتُونَ]
(何と恐れ多いことよ。凡そ,天にあり地にある凡てのものは,かれの有であり,かれに崇敬の誠を尽くします。) [2:116]
アッラーは次に、マルヤムの話をした後で、使徒に向かって仰せられている、
[ذَٰلِكَ مِنْ أَنبَآءِ الْغَيْبِ نُوحِيهِ إِلَيْكَ]
(これは幽玄界の消息の一部であり,われはこれをあなたに啓示する。)
[وَمَا كُنتَ لَدَيْهِمْ إِذْ يُلْقُونَ أَقْلاَمَهُمْ أَيُّهُمْ يَكْفُلُ مَرْيَمَ وَمَا كُنتَ لَدَيْهِمْ إِذْ يَخْتَصِمُونَ]
(かれらが籤矢を投げて誰がマルヤムを養育すべきかを決めた時,あなたはかれらの中にいなかった。またかれらが相争った時も,あなたはかれらと一緒ではなかった。) 「ムハンマドよ、このことが起きたとき、あなたはいなかった。だから、起きたことを目撃者として人々に話すことは出来ない。アッラーがこの事実をあなたに明かしたのである。このよい行いの報奨を求めて彼らがマルヤムの保護者を選ぶためにくじ引きをした時、あなたがまるでそれを見ていたかのように。」
イブン ジャリールはイクリマが語ったこととして次のように記録している、「マルヤムの母はマルヤムを赤子用の布に包んで出かけ、ムーサーの兄弟アーロンの子孫にあたるラビたちのところへ連れて行った。彼らは当時、カアバ神殿を手入れをする人がいるように、バイト アル・マクディス(モスク)の責任者であったのである。マルヤムの母は彼らに言った、『私は (この子をモスクに授けることを) 誓ったので、引き取ってください。娘なので、私は彼女を自由の身にしました。なぜなら、月経中の女性はモスクに入ることができませんから。私は彼女を家に連れ戻しません。』 と。 彼らは言った、『彼女はイマームの娘です。』 イムラーンが礼拝の導師をしていたためである。 『彼が私たちの儀式を扱っています。』 ザカリーヤは言った、『彼女を私に。母方のおばは私の妻だから。』 彼らは言った、『私たちの胸は、あなたが彼女を受け取ることを認めることができません。彼女はイマームの娘ですから。』 そこで彼らはタウラを書いたペンでくじ引きをしたところ、ザカリーヤが勝ったのでマルヤムを世話することになった。」 イクリマ、アッスッディ、カターダ、アッラビーウ ビン アナス と何人かの学者は、そのラビたちはヨルダン川に行き、そこでペンを川に投げることに決めてくじ引きをしたと言っている。ペンが浮いてプカプカしていたら、そのペンの持ち主がマルヤムの世話をすることにした。彼らがペンを川に投げ入れたとき、水が全部のペンを水面下に沈めてしまったが、ザカリーヤのペンだけがそこに浮いたままであった。ザカリーヤ自身もまた教師、長、学者、イマームであり預言者であった。アッラーよ、彼とほかの預言者たちに平安と祝福をお授けください。
[إِذْ قَالَتِ الْمَلاَئِكَةُ يَا مَرْيَمُ إِنَّ اللَّهَ يُبَشِّرُكِ بِكَلِمَةٍ مِّنْهُ اسْمُهُ الْمَسِيحُ عِيسَى ابْنُ مَرْيَمَ وَجِيهًا فِي الدُّنْيَا وَالآخِرَةِ وَمِنَ الْمُقَرَّبِينَ - وَيُكَلِّمُ النَّاسَ فِي الْمَهْدِ وَكَهْلاً وَمِنَ الصَّالِحِينَ - قَالَتْ رَبِّ أَنَّىٰ يَكُونُ لِي وَلَدٌ وَلَمْ يَمْسَسْنِي بَشَرٌ قَالَ كَذَٰلِكَ اللَّهُ يَخْلُقُ مَا يَشَآءُ إِذَا قَضَىٰ أَمْرًا فَإِنَّمَا يَقُولُ لَهُ كُن فَيَكُونُ ]
(45. また天使たちがこう言った時を思え。「マルヤムよ,本当にアッラーは直接ご自身の御言葉で,あなたに吉報を伝えられる。マルヤムの子,その名はマスィーフ・イーサー,かれは現世でも来世でも高い栄誉を得,また(アッラーの)側近の一人であろう。) (46. かれは揺り籠の中でも,また成人してからも人びとに語り,正しい者の一人である。」) (47. かの女は言った。「主よ,誰もわたしに触れたことはありません。どうしてわたしに子が出来ましょうか。」かれ(天使)は言った。「このように,アッラーは御望みのものを御創りになられる。かれが一事を決められ,『有れ。』と仰せになれば即ち有るのである。」)
マルヤムにイーサー誕生のよい知らせが伝えられる
この節には天使がマルヤムに齎した、彼女が大いなる将来のある偉大な息子を産むことになるという よい知らせが含まれている。アッラーは仰せられた、
[إِذْ قَالَتِ الْمَلاَئِكَةُ يَا مَرْيَمُ إِنَّ اللَّهَ يُبَشِّرُكِ بِكَلِمَةٍ مِّنْهُ]
(また天使たちがこう言った時を思え。「マルヤムよ,本当にアッラーは直接ご自身の御言葉で,あなたに吉報を伝えられる。) アッラーの「あれ」 という御言葉によって存在となる、そしてその通りとなった子。 大方の学者によると、これは前出の (ヤフヤーについての) アッラーの御言葉が意味したことである、
[مُصَدِّقاً بِكَلِمَةٍ مِّنَ اللَّهِ]
(アッラーの御言葉の実証者となり,) [3:39]
[اسْمُهُ الْمَسِيحُ عِيسَى ابْنُ مَرْيَمَ]
(マルヤムの子,その名はマスィーフ・イーサー,) そして、彼はこの世で、特に信者たちにこの名によって知られることになる。イーサーが「アル・マスィーフ」(メシヤ)と呼ばれたのは、彼が病気で苦しんでいる人々に触れた(マサハ)とき、彼らがアッラーのお許しによって癒やたためである。 次のアッラーの御言葉、
[عِيسَى ابْنَ مَرْيَمَ]
(マルヤムの子,) は、イーサーには父がいないので、母に結び付けている。
[وَجِيهًا فِي الدُّنْيَا وَالآخِرَةِ وَمِنَ الْمُقَرَّبِينَ]
(かれは現世でも来世でも高い栄誉を得,また(アッラーの)側近の一人であろう。) 彼はこの世で指導者となり、アッラーに栄誉を与えられる。 それは、アッラーがイーサーに啓典を下されて、彼に示される法、それにその他アッラーが彼に寛大にお授けになった多くのもののためである。イーサーは来世でも栄誉を与えられ、アッラーのお許しにより、いくらかの人々のためにアッラーにとりなしをすることになる。彼の仲間である他のアッラーの偉大な使徒たちがするのと同じように。彼らみなに平安がありますように。
イーサーはまだ揺りかごにいた時から語った
アッラーは仰せられた、
[وَيُكَلِّمُ النَّاسَ فِي الْمَهْدِ وَكَهْلاً]
(かれは揺り籠の中でも,また成人してからも人びとに語り,) ほかに同位のものがない唯一のアッラーだけを崇拝するようにと呼びかけた。まだ揺りかごにいた時にも、アッラーのお力を示す奇跡として、成人してからも、アッラーが彼に啓示されたことによって。 ムハンマド ビン イスハークは、アブ フライラが伝えたこととしてアッラーの使徒の次の言葉を記している。
«مَا تَكَلَّمَ مَوْلُودٌ فِي صِغَرِهِ إِلَّا عِيسَى وَصَاحِبُ جُرَيْج»
(イーサーとジュライジュの友以外に揺りかごから話せる赤子はいなかった。)
イブン アビ ハーティム はアブ フライラが伝えたこととして預言者が次のように言ったと記している。
«لَمْ يَتَكَلَّمْ فِي الْمَهْدِ إِلَّا ثَلاَثَةٌ: عِيسَى، وَصَبِيٌّ كَانَ فِي زَمَنِ جُرَيْجٍ، وَصَبِيٌّ آخَر»
(イーサー、ジュライジュの時代にいた男児、あと別にもう1人の男児の三人以外に揺りかごから話せる赤子はいなかった。)
[وَمِنَ الصَّالِحِينَ]
(正しい者の一人である。」) 口にすることと行動において。彼は高潔な知識と正しい功徳を持つ人となるから。
イーサーは父なくして創造された
マルヤムは、天使が伝えにきたアッラーからのよい知らせを聞いた時、 言った、
[رَبِّ أَنَّىٰ يَكُونُ لِي وَلَدٌ وَلَمْ يَمْسَسْنِي بَشَرٌ]
(「主よ,誰もわたしに触れたことはありません。どうしてわたしに子が出来ましょうか。」)
تقول: كيف يوجد هذا الولد مني وأنا لست بذات زوج ولا من عزمي أن أتزوج، ولست
بَغيا؟ حاشا لله.
マルヤムは言った、「結婚したこともなく、結婚しようとしたわけでも、品行の悪い女でもないのに、どうして息子ができるのでしょうか。 アッラーを畏れます。」 天使は次のようなアッラーのお返事を伝えた、
[كَذَٰلِكَ اللَّهُ يَخْلُقُ مَا يَشَآءُ]
(「このように,アッラーは御望みのものを御創りになられる。)
アッラーは全能であられ、その力の及ばないものは何もない。アッラーはここでは、ザカリーヤの話 [3:40] で出てきた 「行う」 の代わりに「創る」という言葉を使われている。イーサーに関する邪悪な考えを根元から否定するためである。次にアッラーはこう仰せられ、その事実を強調される、
[إِذَا قَضَىٰ أَمْرًا فَإِنَّمَا يَقُولُ لَهُ كُن فَيَكُونُ]
(かれが一事を決められ,『有れ。』と仰せになれば即ち有るのである。」) アッラーがお望みになられることは、いささかの遅れもなく即座に存在となる、ということである。別の節でアッラーはこのように仰せられている、
[وَمَا أَمْرُنَا إِلاَّ وَاحِدَةٌ كَلَمْحٍ بِالْبَصَرِ ]
(またわが命令は只一言,瞬のようなものである。) [54:50] 「われが一度命令をくだせば、それは直ちに存在となる。瞬きほどの速さで、あるいは、それよりも速く。」
[وَيُعَلِّمُهُ الْكِتَابَ وَالْحِكْمَةَ وَالتَّوْرَاةَ وَالإِنجِيلَ - وَرَسُولاً إِلَىٰ بَنِي إِسْرَائِيلَ أَنِّي قَدْ جِئْتُكُمْ بِآيَةٍ مِّن رَّبِّكُمْ أَنِّي أَخْلُقُ لَكُمْ مِّنَ الطِّينِ كَهَيْئَةِ الطَّيْرِ فَأَنفُخُ فِيهِ فَيَكُونُ طَيْرًا بِإِذْنِ اللَّهِ وَأُبْرِئُ الأَكْمَهَ والأَبْرَصَ وَأُحْيِي الْمَوْتَىٰ بِإِذْنِ اللَّهِ وَأُنَبِّئُكُم بِمَا تَأْكُلُونَ وَمَا تَدَّخِرُونَ فِي بُيُوتِكُمْ إِنَّ فِي ذَٰلِكَ لَآيَةً لَّكُمْ إِن كُنتُم مُّؤْمِنِينَ - وَمُصَدِّقًا لِّمَا بَيْنَ يَدَيَّ مِنَ التَّوْرَاةِ وَلِأُحِلَّ لَكُم بَعْضَ الَّذِي حُرِّمَ عَلَيْكُمْ وَجِئْتُكُمْ بِآيَةٍ مِّن رَّبِّكُمْ فَاتَّقُوا اللَّهَ وَأَطِيعُونِ - إِنَّ اللَّهَ رَبِّي وَرَبُّكُمْ فَاعْبُدُوهُ هَـٰذَا صِرَاطٌ مُّسْتَقِيمٌ ]
(48. 主は啓典と英知と律法と福音とをかれに教えられ,) (49. そしてかれを,イスラエルの子孫への使徒とされた。(イーサーは言った。)「わたしは,あなたがたの主から,印を齎したのである。わたしはあなたがたのために,泥で鳥の形を造り,それに息を吹き込めば,アッラーの御許しによりそれは鳥になる。またアッラーの御許しによって,生れ付きの盲人や,癩患者を治し,また死者を生き返らせる。またわたしは,あなたがたが何を食べ,何を家に蓄えているかを告げよう。もしあなたがたが(真の)信者なら,その中にあなたがたへの印がある。) (50. わたしはまた,わたしより以前に下された律法を実証し,またあなたがたに禁じられていたことの一部を解禁するために,あなたがたの主からの印を齎したのである。だからアッラーを畏れ,わたしに従いなさい。) (51. 本当にわたしの主はアッラーであり,またあなたがたの主であられる。だからかれに仕えなさい。これこそは,正しい道である。」)
イーサーの描写と彼が行った奇跡
アッラーは、マルヤムに齎されたイーサーについてのよい知らせは、アッラーが彼に次のようなことを教えるためにさらによいものとなった。
[الْكِتَابَ وَالْحِكْمَةَ]
(啓典と英知) この節で言及されている「本」は、書かれたもののようである。英知の意味については雌牛章のタフスィールで説明した。
[التَّوْرَاةَ وَالإِنجِيلَ]
(律法と福音) タウラーは、アッラーがイムラーンの子孫ムーサーに下した啓典、インジールは、アッラーがマルヤムの子イーサーに下した啓典である。彼らに平安がありますように。イーサーはその両方の啓典を暗記していた。次のアッラーの御言葉、
[وَرَسُولاً إِلَىٰ بَنِي إِسْرَائِيلَ]
(そしてかれを,イスラエルの子孫への使徒とされた。) アッラーはイーサーを、次のように宣言させイスラエルの子孫への使徒として遣わすということである。
[أَنِّي قَدْ جِئْتُكُمْ بِآيَةٍ مِّن رَّبِّكُمْ أَنِّي أَخْلُقُ لَكُمْ مِّنَ الطِّينِ كَهَيْئَةِ الطَّيْرِ فَأَنفُخُ فِيهِ فَيَكُونُ طَيْرًا بِإِذْنِ اللَّهِ]
(「わたしは,あなたがたの主から,印を齎したのである。わたしはあなたがたのために,泥で鳥の形を造り,それに息を吹き込めば,アッラーの御許しによりそれは鳥になる。) これらはイーサーが行った奇跡である。彼はよく泥で鳥の形を造り、それに息を吹き込むと、アッラーのお許しにより鳥となった。アッラーがイーサーを送られたのであることを証明するために、彼に奇跡をなさせた。
[وَأُبْرِئُ الأَكْمَهَ]
(またアクマの人を治し) 「生まれつき目が見えない人」 という意味である。 これは奇跡を完全なものとし、その業を一層大胆にする。
[وَالأَبْرَصَ]
(また、癩患者を) これはよく知られた病気である。
[وَأُحْيِي الْمَوْتَىٰ بِإِذْنِ اللَّهِ]
(またアッラーの御許しによって,死者を生き返らせる。)
多くの学者は、アッラーはそれぞれの預言者を遣わす際には、その時々にふさわしい奇跡を携えられた、と述べている。例えば、ムーサーの時は、魔法が当時引き合いにされていたので、魔法使いが高い地位に就いていた。そこでアッラーはムーサーに、どんな魔法使いもまごつくような目を釘付けにする奇跡を持たせて遣わした。ムーサーの奇跡が全能でもっとも偉大なお方から齎されたものであることを知った魔法使いたちは、イスラームを受け入れ、敬虔な信者となった。イーサーの場合、医療と物理学の知識が進歩してきていた時代に遣わされた。イーサーはアッラーによって遣わされたものでなければ成しえないような奇跡を起こした。いかなる医者に、泥に命を齎し、盲人や癩患者を治し,また墓にいる死者を生き返らせることができようか。ムハンマドは、雄弁な人々と熟達した詩人が興隆する時代に遣わされた。彼はアッラーからの啓典を齎す。人間やジンが十の章を真似て作ろうとしても、それどころか、一つの章でも、全く失敗に終わるだろう。たとえ大勢が集まって挑戦しても不可能である。それは、クルアーンがアッラーの御言葉であり、被造物の造る何物とも違うためである。
次のイーサーの言葉、
[وَأُنَبِّئُكُم بِمَا تَأْكُلُونَ وَمَا تَدَّخِرُونَ فِي بُيُوتِكُمْ]
(またわたしは,あなたがたが何を食べ,何を家に蓄えているかを告げよう。) わたしはあなた方にあなたが何を食べたところか、家に何を蓄えているかを告げる。
[إِنَّ فِي ذَٰلِكَ]
(その中に) これらすべての奇跡に
[لَآيَةً لَّكُمْ]
(あなたがたへの印がある。) わたしがあなたに遣わされ、齎したことの真理の証拠となる
[إِن كُنتُم مُّؤْمِنِينَ وَمُصَدِّقًا لِّمَا بَيْنَ يَدَيَّ مِنَ التَّوْرَاةِ]
(もしあなたがたが(真の)信者なら,わたしはまた,わたしより以前に下された律法を実証し,) 律法を確約し、守り、
[وَلِأُحِلَّ لَكُم بَعْضَ الَّذِي حُرِّمَ عَلَيْكُمْ]
(またあなたがたに禁じられていたことの一部を解禁するために,)
この節のこの部分では、イーサーが律法の一部を廃止し、ユダヤ教徒に彼らが論争していた事柄についての真実を知らせたことが示されている。
[وَلأُبَيِّنَ لَكُم بَعْضَ الَّذِي تَخْتَلِفُونَ فِيهِ]
(あなたがたが論争することの,多少の部分をあなたがたのために,説き明かすためである。) [43:63].
次にイーサーは言う、
[وَجِئْتُكُمْ بِآيَةٍ مِّن رَّبِّكُمْ]
(あなたがたの主からの印を齎したのである。) 「私があなたに伝えていることの真理を確証づけ、その証拠となるものを含んでいる。」
[فَاتَّقُوا اللَّهَ وَأَطِيعُونِ إِنَّ اللَّهَ رَبِّي وَرَبُّكُمْ فَاعْبُدُوهُ]
(だからアッラーを畏れ,わたしに従いなさい。 本当にわたしの主はアッラーであり,またあなたがたの主であられる。だからかれに仕えなさい。) わたしもあなた方も、アッラーにとってしもべで、等しく謙虚に服従する者である。
[هَـٰذَا صِرَاطٌ مُّسْتَقِيمٌ]
(これこそは,正しい道である。」)
[فَلَمَّآ أَحَسَّ عِيسَى مِنْهُمُ الْكُفْرَ قَالَ مَنْ أَنصَارِي إِلَى اللَّهِ قَالَ الْحَوَارِيُّونَ نَحْنُ أَنْصَارُ اللَّهِ آمَنَّا بِاللَّهِ وَاشْهَدْ بِأَنَّا مُسْلِمُونَ - رَبَّنَآ آمَنَّا بِمَآ أَنزَلَتْ وَاتَّبَعْنَا الرَّسُولَ فَاكْتُبْنَا مَعَ الشَّاهِدِينَ - وَمَكَرُوا وَمَكَرَ اللَّهُ وَاللَّهُ خَيْرُ الْمَاكِرِينَ ]
(52. イーサーは,かれらが信じないのを察知して,言った。「アッラー (の道)のために,わたしを助ける者は誰か。」弟子たちは言った。「わたしたちは,アッラー(の道)の援助者です。わたしたちはアッラーを信じます。わたしたちがムスリムであることの証人となって下さい。) (53. 主よ,わたしたちは,あなたが下されたものを信じ,あなたの使徒に従います。それでわたしたちを証人たちと一緒に,書きとめて下さい。」) (54. かれら(不信者)は策謀したが,アッラーも策謀なされた。だが最も優れた策謀者は,アッラーであられる。)
続き (イムラーン家章 2ページ目へ)