[كُلُّ الطَّعَامِ كَانَ حِـلاًّ لِّبَنِى إِسْرَءِيلَ إِلاَّ مَا حَرَّمَ إِسْرَءِيلُ عَلَى نَفْسِهِ مِن قَبْلِ أَن تُنَزَّلَ التَّوْرَاةُ قُلْ فَأْتُواْ بِالتَّوْرَاةِ فَاتْلُوهَا إِن كُنتُمْ صَـدِقِينَ - فَمَنِ افْتَرَى عَلَى اللَّهِ الْكَذِبَ مِن بَعْدِ ذَلِكَ فَأُوْلَـئِكَ هُمُ الظَّـلِمُونَ - قُلْ صَدَقَ اللَّهُ فَاتَّبِعُواْ مِلَّةَ إِبْرَهِيمَ حَنِيفاً وَمَا كَانَ مِنَ الْمُشْرِكِينَ ]
(93. 律法が下される以前は,イスラエルの子孫が自ら禁じていたものの外,一切の食物はイスラエルの子孫に合法であった。(かれらに)言ってやるがいい。「もしあなたがたが真実なら,律法をもってきてそれを読誦しなさい。」) (94. その後においてもアッラーに関し虚偽を述べる者は,不義を行う者である。) (95. 言ってやるがいい。「アッラーは真実を語られる。だから純正なイブラーヒームの教えに従いなさい。かれは,多神教徒の仲間ではなかった。」)
ユダヤ教徒がわが預言者にたずねた質問
イマーム アフマドはイブン アッバースが言ったことを記録している、「ユダヤ教徒の一団がアッラーの預言者 {saw} のところへ来て言った、『預言者だけが知っていることについて私たちがたずねますから、話してください。』 彼は言った、『何でも望むことを聞いてください。しかし、ヤアコーブが彼の子どもたちに誓わせたのと同じように、アッラーに誓ってください。私が話すことであなた方がそれが真実であると認識したなら、イスラームについて私に従うことを。』 彼らは言った、『そうしましょう。』 それで預言者 {saw} は言った、『何でも望むことを聞いてください。』
彼らは言った、『四つのことについて話してください。1. イスラーイールが自ら禁じた食物の種類は何か。 2. 女性と男性の性分泌液はどうか、そして、男か女の子どもを誕生させる時のそれぞれの役割は何か。 3. 睡眠の間の、文字を使わない預言者の状態について話してください。 4. そして、天使の中で預言者のワリー(支える人)は誰ですか。』 預言者は、これらの質問に答えれば彼に従うという約束を彼らにさせ、彼らは同意した。
彼は言った、『タウラーをムーサーに下されたお方において、あなた方に聞くが、かつてイスラーイールがたいへんな病気にかかったことを知らないだろうか。彼の病が長引いたとき、彼はアッラーに、アッラーが彼の病気を治してくださるならば、彼は自ら最高の種類の飲み物と食べ物を禁止すると誓った。彼にとって最高の食物はラクダの肉、そして最高の飲物はラクダのミルクではなかったか。』 彼らは言った、『そうです、アッラーに誓って。』 預言者 {saw} は言った、『アッラーよ、彼らに対して証人となってください。』
預言者 {saw} はそれから言った、『アッラーにおいて、かれ以外には (崇拝に値する) いかなる神もおらず、ムーサーにタウラーを下されたお方において、あなた方に聞くが、男の分泌物は濃密で白い、女のは黄色くて水っぽいということを知らないだろうか。これらの液体のうちどちらかが優位を占めると、アッラーのお許しによって、子どもはその性と類似点を取る。それゆえに、男のものが女のもの以上であるならば、アッラーのお許しによって、子どもは男となる。女の分泌液が男のもの以上であるならば、アッラーのお許しによって、子どもは女となる。』 彼らは言った、『そうです。』 預言者 {saw} は言った、『アッラーよ、彼らに対して証人となってください。』
預言者 {saw} はそれから言った、『タウラーをムーサーに下されたお方において、あなた方に聞くが、この、文字を使わない預言者の目は眠るが、心は眠らないということを知らないだろうか。』 彼らは言った、『そうです、アッラーに誓って。』 彼 {saw} は言った、『アッラーよ、証人となってください。』
彼らは言った、『さあ今度は、天使の中のあなたのワリーについて教えてください。私たちがあなたに従うかあなたから遠ざかるかがかかっていますから。』 彼 {saw} は言った、『 (アッラーからの啓示を持って降りてくる) 私のワリー はジブリールで、アッラーはジブリールをワリーとしない預言者は一人も遣わされなかった。』 彼らは言った、『では、私たちはあなたから遠ざかります。もしあなたにジブリール以外のワリーがいたら、私たちはあなたに従っていたでしょうが。』
これについて、至高なるアッラーは啓示された、
[قُلْ مَن كَانَ عَدُوًّا لِّجِبْرِيلَ]
(言ってやるがいい(ムハンマドよ)。「ジブリールに敵対するのは,誰であるのか。・・・) [2:97] と。」
アッラーの御言葉
[مِن قَبْلِ أَن تُنَزَّلَ التَّوْرَاةُ]
( 律法が下される以前は,) [3:93] は、イスラーイールはタウラーが啓示される前に自ら禁じた、ということである。この節のこの部分が啓示された背景には2つの目的がある。
まず第一に、彼はアッラーのために、最も喜びを与えてくれる物を自身で禁じた。この慣例は彼の時代の法では許されていた。そのため、
[لَن تَنَالُواْ الْبِرَّ حَتَّى تُنفِقُواْ مِمَّا تُحِبُّونَ]
( あなたがたは愛するものを施さない限り,アル・ビッルを全うし得ないであろう。) [3: 92] というアッラーの御言葉の後に言及されるのに適している。 私たちの法で許されていることは、私たちが好んで大切にしている物を、アッラーの服従のために費やすことである [しかし、アッラーがお許しになった物を禁じることではない]。 アッラーは別の節で仰せられた、
[وَءَاتَى الْمَالَ عَلَى حُبِّهِ]
( また、財産を、愛着を抱きながらも差し出し) [2:177]
また、
[وَيُطْعِمُونَ الطَّعَامَ عَلَى حُبِّهِ]
( またかれらは,貧者と孤児と捕虜に食物を与える。それに愛着を抱きながらも。) [76:8]
第二の理由は、先にアッラーがイーサーとその母についてのキリスト教の間違った信条と申し立てを論駁したためである。ここではアッラーは、ユダヤ教徒 (彼らにアッラーのお怒りあれ) への論駁を始められている。彼らが否定する、法の廃止が彼らの法でも起きていたことを述べることによって。 例えば、アッラーは彼らの書であるタウラーの中で、ヌーフが箱舟から出た時に、アッラーは彼にあらゆる種類の動物の肉を食べることを許されたことを述べられていた。その後でイスラーイールが自分で駱駝の肉とミルクを禁じ、彼の子孫もこの慣例に倣ったのである。タウラーは後にこの種の食べ物を禁じ、さらにいくつかの種類を禁じた。アッラーはアーダムに娘と息子を結婚させることを許可されたが、この習慣は後に禁じられた。イブラーヒームの法では、男性が女の使用人を妻と一緒に連れることが許されていた。イブラーヒームがサラと結婚していながら、ハージャルを娶ったように。後に、タウラーでこの慣例は禁じられた。
وكان التَّسَرِّي على الزوجة مباحا في شريعة إبراهيم، وقد فعله [الخليل]
إبراهيم في هاجر لما تسرَّى بها على سارّة، وقد حُرِّم مثل هذا في التوراة عليهم. وكذلك كان الجمع بين الأختين شائعا
ヤアコーブが同時に二人の姉妹と結婚したように、以前は二人の姉妹を同時に妻とすることが許されていた。後に、この慣例はタウラーで禁じられた。これらすべての例はタウラーにあり、法の廃止 (Naskh (abrogation) ) を制定している。それゆえ、アッラーがイーサーに定めたことをユダヤ教徒に考えさせてみるがいい。そして、そのような法律が廃止のカテゴリーに入るかどうかを。それで、彼らはどうしてこれに関してイーサーに従わないのか。それどころかユダヤ教徒はイーサーを拒否し、イーサーに反抗し、アッラーがムハンマドと共に齎した正しい宗教に反抗した。
このため、アッラーは仰せられた、
[كُلُّ الطَّعَامِ كَانَ حِـلاًّ لِّبَنِى إِسْرَءِيلَ إِلاَّ مَا حَرَّمَ إِسْرَءِيلُ عَلَى نَفْسِهِ مِن قَبْلِ أَن تُنَزَّلَ التَّوْرَاةُ]
( タウラー (律法) が下される以前は,イスラエルの子孫が自ら禁じていたものの外,一切の食物はイスラエルの子孫に合法であった。) [3:93] タウラーが啓示される前、イスラーイールが自分で禁じた物以外は、あらゆる種類の食物は許されていた、ということである。
アッラーはそれから仰せられた
[ قُلْ فَأْتُواْ بِالتَّوْرَاةِ فَاتْلُوهَا إِن كُنتُمْ صَـدِقِينَ]
( 言ってやるがいい。「もしあなたがたが真実なら,律法をもってきてそれを読誦しなさい。」) タウラーは私たちがここで述べていることを立証するからである。
アッラーは次に仰せられた
[فَمَنِ افْتَرَى عَلَى اللَّهِ الْكَذِبَ مِن بَعْدِ ذَلِكَ فَأُوْلَـئِكَ هُمُ الظَّـلِمُونَ ]
(その後においてもアッラーに関し虚偽を述べる者は,不義を行う者である。) [3:94] アッラーについて虚偽を言い、かれが安息日とタウラーを永久不変のものとしたと言い張る者のことである。彼らは、アッラーはアッラーへ呼びかけるための別の預言者を印と証拠を持たせて遣わさなかったという人々である。すでに見たように、法の廃止はタウラーにあるよりも前にあったことが示されているのであるが。
[فَأُوْلَـئِكَ هُمُ الظَّـلِمُونَ]
(それらは不義を行う者である。)
それからアッラーは仰せられた。
[قُلْ صَدَقَ اللَّهُ]
(言ってやるがいい。「アッラーは真実を語られる。」) [3:95] ムハンマドよ、クルアーンで仰せられ、定められたことに関して、アッラーは真実を語られたと言いなさい、ということである。
[فَاتَّبِعُواْ مِلَّةَ إِبْرَهِيمَ حَنِيفاً وَمَا كَانَ مِنَ الْمُشْرِكِينَ]
(「だから純正なイブラーヒームの教えに従いなさい。かれは,多神教徒の仲間ではなかった。」) [3:95] だから、アッラーがクルアーンで定められたイブラーヒームの宗教に従いなさい。本当にこれは真実で、それには何の疑いもなく完全な道である。それよりも完全で明瞭で最善の道はほかのどの預言者も齎さなかった。
アッラーは別の節で仰せられている。
[قُلْ إِنَّنِى هَدَانِى رَبِّى إِلَى صِرَطٍ مُّسْتَقِيمٍ دِينًا قِيَمًا مِّلَّةَ إِبْرَاهِيمَ حَنِيفًا وَمَا كَانَ مِنَ الْمُشْرِكِينَ ]
(言ってやるがいい。「本当に主は,わたしを正しい道,真実の教え,純正なイブラーヒームの信仰に導かれる。かれは多神教徒の仲間ではなかった。」) [6:161]
また、
[ثُمَّ أَوْحَيْنَآ إِلَيْكَ أَنِ اتَّبِعْ مِلَّةَ إِبْرَهِيمَ حَنِيفًا وَمَا كَانَ مِنَ الْمُشْرِكِينَ ]
(そこでわれはあなたに啓示して、「純正なイブラーヒームの道に従え。」と(告げた)。かれは、偶像信者の仲間ではなかった。) [16:123]
[إِنَّ أَوَّلَ بَيْتٍ وُضِعَ لِلنَّاسِ لَلَّذِى بِبَكَّةَ مُبَارَكاً وَهُدًى لِّلْعَـلَمِينَ - فِيهِ ءَايَـتٌ بَيِّـنَـتٌ مَّقَامُ إِبْرَهِيمَ وَمَن دَخَلَهُ كَانَ ءَامِناً وَللَّهِ عَلَى النَّاسِ حِجُّ الْبَيْتِ مَنِ اسْتَطَـعَ إِلَيْهِ سَبِيلاً وَمَن كَفَرَ فَإِنَّ الله غَنِىٌّ عَنِ الْعَـلَمِينَ ]
(96. 本当に人々のために最初に建立された家は,バッカのそれで,それは生けるもの凡てへの祝福であり導きである。) (97. その中には,明白な印があり,イブラーヒームが礼拝に立った場所がある。また誰でもその中に入る者は,平安が与えられる。この家への巡礼は,そこに赴ける人びとに課せられたアッラーヘの義務である。背信者があっても,まことにアッラーは万有に(超越され)完全に自足されておられる方である。)
アル・カアバは崇拝のための最初の家である
アッラーは仰せられた。
[إِنَّ أَوَّلَ بَيْتٍ وُضِعَ لِلنَّاسِ]
(本当に人々のために最初に建立された家は,) 全人類のため、崇拝行為と宗教儀式のため、である。人々はアル・カアバを (タワーフで) 周り、その周辺で祈り、イティカーフでその辺りにとどまる。
[لَلَّذِى بِبَكَّةَ]
(バッカのそれで,) イブラーヒーム アル・ハリールによって建てられたアル・カアバである。ユダヤ教徒やキリスト教徒は彼に従っていると主張している。しかしながら、彼らはその家へのハッジを行っていない。イブラーヒームがアッラーのご命令により建て、人々にハッジを行うようにと呼びかけたのに拘らず。
アッラーは次に仰せられた。
[مُبَارَكاً]
(祝福であり) 神聖なる、
[وَهُدًى لِّلْعَـلَمِينَ]
(生けるもの凡てへの導きである)
イマーム アフマド は、アブ ダッルが言ったことを記録している。「私は、『アッラーの使徒よ、地上で一番最初に建てられたのはどのマスジドですか』とたずねた。彼は言った、『(マッカの) アル・マスジド アル・ハラームである。』 私は言った、『次に建てられたのはどれですか。』 彼は答えた、『(エルサレムの) アル・マスジド アル・アクサである。』 私は言った、『その二つの建物の間の期間はどれくらいですか。』 彼は言った、『40年である。』 そしてこう付け加えた
«ثُمَّ حَيْثُ أَدْرَكْتَ الصَّلَاةَ فَصَلِّ، فَكُلُّهَا مَسْجِد»
(どこにいても、礼拝の時がきたらそこで礼拝しなさい。地のすべてはマスジドとされたから。) アル・ブハーリーとムスリムもこのハディースを収録している。
バッカ等、マッカの名
アッラーは仰せられた、
[لَلَّذِى بِبَكَّةَ]
(バッカのそれで,) ここでバッカはマッカの名の一つとなっている。 バッカは、暴君や尊大な者に「ブカ (泣くこと) をもたらす」という意味である。つまり、彼らはそこでは泣いて控え目になるということである。また、マッカは、人々がその近隣でブカをする、つまりその周辺に集まるために、バッカと呼ばれるとも言われている。マッカには多くの名前がある。バッカ、アル・バイト アル・アティク (昔の家) 、アル・バイト アル・ハラーム (聖なる家)、アル・バイト アル・アーミーン (安全な町)、アル・マアムーン (平安) などである。マッカの名前にはウンム・ラフム (慈悲の母)、ウンム アル・クラ (町の中の母)、サラー、などもある。
イブラーヒームのたちどころ
アッラーの御言葉、
[فِيهِ ءَايَـتٌ بَيِّـنَـتٌ]
( その中には,明白な印があり,) [3:97] イブラーヒームがアル・カアバを建て、アッラーがそれに名誉を授けて祝福されたという明白な印のことである。
アッラーはそれから仰せられた、
[مَّقَامِ إِبْرَهِيمَ]
( イブラーヒームのマカームがある。) それ (アル・カアバ) が建てられるとき、息子のイスマーイールが石を手渡し、イブラーヒームがマカームに立って壁を高く積み上げていた。マカームは元々アル・カアバのすぐ横にあったことを言っておかねばならない。 後に、ウマル ビン アル・ハッターブがカリフ時代にマカームを東へ移して離したのであるが、それは、タワーフでアル・カアバを周回する人々が、タワーフを終えてマカームの横で祈る人の邪魔をすることなく、容易に行えるようにするためである。
アッラーは私たちにマカームの横で祈るように命ぜられている。
[وَاتَّخِذُواْ مِن مَّقَامِ إِبْرَهِيمَ مُصَلًّى]
(「イブラーヒームのマカームを,あなたがたの礼拝の場としなさい。」) [2:125]
これについてのハディースは前に触れた。すべての感謝はアッラーにあれ。アル・アウフィは、
[فِيهِ ءَايَـتٌ بَيِّـنَـتٌ مَّقَامُ إِبْرَهِيمَ]
(その中には,明白な印があり,イブラーヒームのマカームががある。) というアッラーの御言葉についてイブン・アッバースが「マカームやアル・マシャアル (アル・ハラーム) である。」と述べたと言っている。ムジャーヒドは、「イブラーヒームの足跡ははっきりした印としてマカームに残っている」と言っている。ウマル ビン アブドルアズィーズ、アル・ハサン、カターダ、アッ・スッディ、ムカーティル ビン ハイヤンやその他の人々も同様に述べていることが報告されている。
聖域アル・ハラームは安全な区域である
アッラーは仰せられた、
[وَمَن دَخَلَهُ كَانَ ءَامِناً]
(また誰でもその中に入る者は,平安が与えられる。) [3:97] マッカのアル・ハラームは恐れを抱いている状態の人にとって安全な避難所であるということである。その区域では、無知時代にそうであったように、彼らは安全である。 アル・ハサン アル・バスリは述べている、「(無知時代) 人は殺人を犯し、その後で首に羊毛を巻いてアル・ハラームに入った。すると、殺された人の息子がその男に会ったとしても、殺人者に対して何の行動も起こせなかった。彼が聖域を離れるまでは。」
アッラーは仰せられた、
[أَوَلَمْ يَرَوْاْ أَنَّا جَعَلْنَا حَرَماً ءامِناً وَيُتَخَطَّفُ النَّاسُ مِنْ حَوْلِهِمْ]
(かれらは,われが安全な聖域を定めたのに気付かないのか。まわりでは人びとが略奪に晒されているというのに。 ) [29:67]
また、
[فَلْيَعْبُدُواْ رَبَّ هَـذَا الْبَيْتِ - الَّذِى أَطْعَمَهُم مِّن جُوعٍ وَءَامَنَهُم مِّنْ خوْفٍ ]
(かれらに,この聖殿の主に仕えさせよ。- 飢えに際しては,かれらに食物を与え,また恐れに際しては,それを除き心を安らかにして下さる御方に。) [106:3-4]
アル・ハラームで狩りをしたり、獲物を捕まえるために巣から追い出したり、その周辺で樹木を切ったり植物を取ることは誰にも許されない。そのことは預言者のハディースと教友らの文言が証言している。二つのサヒーフはイブン アッバースが言ったことを記録している (次の引用はムスリムのものである)、「マッカ征服の日、アッラーの使徒は言った、
«لَا هِجْرَةَ، وَلــكِنْ جِهَادٌ وَنِيَّـةٌ، وَإِذَا اسْتُنْفِرْتُمْ فَانْفِرُوا»
(もはやヒジュラ(migration to Makkah)はない。ジハードとよい意図があるだけである。If you were mobilized, 前に進みなさい。)
彼はまた、マッカ征服の日にこう言った、
«إِنَّ هَذَا الْبَلَدَ حَرَّمَهُ اللهُ يَوْمَ خَلَقَ السَّمَواتِ وَالْأَرْضَ، فَهُوَ حَرَامٌ بِحُرْمَةِ اللهِ إِلى يَوْمِ الْقِيَامَةِ، وَإِنَّهُ لَمْ يَحِلَّ الْقِتَالُ فِيهِ لأَحَدٍ قَبْلِي، وَلَمْ يَحِلَّ لِي إِلَّا فِي سَاعَةٍ مِنْ نَهَارٍ، فَهُوَ حَرَامٌ بِحُرْمَةِ اللهِ إِلَى يَوْمِ الْقِيَامَةِ، لَا يُعْضَدُ شَوْكُهُ، وُلَا يُنَفَّرُ صَيْدُهُ، وَلَا يَلْتَقِطُ لُقَطَتَهَا إِلَّا مَنْ عَرَّفَهَا، وَلَا يُخْتَلَى خَلَاهَا»
(アッラーは天と地を創造された時、この町 (マッカ) を聖域とされた。アッラーの命により、それは復活の日まで不可侵である。私の前、マッカで戦うことは誰にも許されなかった。この日、数時間かそこらだけ、私に許されただけである。