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目次... |
Q&A 非イスラームの行事を祝うこと |
Q&A 家族・親類に挨拶するためにクリスマスの祝いに出てもよいか |
Q&A 異教の祭りの日に カーフィル (イスラームを信じない人) からプレゼントを受け取ること |
Q&A キリスト教の祝いのカードを売ること |
お母さん、お母さん、お母さん、お父さん |
クルアーン読誦中のサジダはどのようにするか |
幽霊についてのイスラームの見解は |
ジン (作成中) |
アッラーに讃えあれ。 ムスリムが非イスラーム教徒に加わって非イスラームの行事を祝い、そのイベントの機会に喜びや嬉しい気持ちを表現すること、その機会に仕事を休むことは許されません。その行事が宗教的なものであれ、非宗教的なものであれ、同じことです。 なぜなら、アッラーの敵のすることを模倣することは禁じられていて、それは似たようなことであるから。また、誤ったことについて非イスラーム教徒に協力するようなものです。 アッラーの使徒 (彼に平安と祝福あれ) は言いました、
そして、アッラーは次のように仰せられました、
シェイク アル・イスラーム イブン タイミーヤ (彼にアッラーのご慈悲あれ) の本 Iqtidaa’ al-Siraat al-Mustaqeem を参照されるようお勧めします。 アッラーが預言者ムハンマドと彼の家族、教友たちを祝福され、平安を与えたまえますように。 Standing Committee on Academic Research and Issuing Fatwas, Fatwa no. 2540. Islam Q&A islamway "Prohibition on celebrating the festivals of the kuffaar" から イスラームの本管理人が翻訳 |
Shaykh Muhammad ibn Saalih al-‘Uthaymeenによる回答は次のとおりです。 いいえ、許されません。アッラーがあなたのお友だちをイスラームで祝福されるならば、まず最初にすべきことは、以前の宗教とその宗教の祝い事から距離を置くことです。 アッラーがもっともよくご存知であられます。 Shaykh Muhammad ibn Saalih al-‘Uthaymeen Islam Q&A islamway "Can she attend Christmas celebrations in order to greet her relatives?" から イスラームの本管理人が翻訳 |
アッラーに讃えあれ。 第一に 基本的原則では、カーフィルからの贈り物を受け取るのは許されることです。カーフィルの感情を穏やかにし、イスラームを好ましく思ってもらうためで、預言者 (彼に平安と祝福あれ) は al-Muqawqis らカーフィルからの贈り物を受け取ったことがあります。 アル・ブハーリーの真正集には、"多神教徒から贈り物を受け取ること" という章があります。アル・ブハーリー (彼にアッラーの御慈悲あれ) によると、アブーフライラ (彼にアッラーの御慈悲あれ) が伝えていることとして、預言者 (彼に平安と祝福あれ) は次のように言いました、「イブラーヒーム (彼に平安あれ) はサーラと移住し、ある都市に入った。そこには王、あるいは君主がいて、言った、『彼女に (贈り物として) ハージャルを与えよ』」 また、預言者 (彼に平安と祝福あれ) は贈り物として(ローストの) 羊肉をもらったことがあります。毒が入っていましたが。 アブーフマイドは言いました、「アイラの王は、一頭の白いラバと外套に手紙を添えて、預言者 (彼に平安と祝福あれ) に与えました。王は、ユダヤ女性とその女が預言者 (彼に平安と祝福あれ) に贈った毒入りの羊肉の話を記しました。 第二に ムスリムが、イスラームに対し心をほぐしてもらうために、カーフィルや多神教徒に贈り物をすることは許されています。相手が親類や隣人といった場合は特にです。 アル・ブハーリー (2619) によれば、ウマル (彼にアッラーのご満悦あれ) はマッカの多神教徒である兄弟にフラ (一組の服) を贈りました。 ただし、カーフィルの祝いの日に贈り物をすることは許されません。間違った祭事を認め、祝いに加わることになるからです。 もし贈る物が、食べ物やろうそくなどといった、その祭事を祝うのに利用できるものであるとすれば、ますますハラーム (禁止されている事物) です。そうなるとクフル (イスラームを信仰しないこと) であるとみなす学者もいます。 Al-Zayla’i は Tabyeen al-Haqaa’iq (6/228) で述べています。「ナイルーズやマハルジャーン (2つとも非イスラームのペルシャの祭り) に贈り物をすることは許されない。この両日に贈り物をすることは、すなわちハラームであり、実際、クフルである。」 Abu Hafs と Kabeer (彼にアッラーの御慈悲あれ) は述べている、「50年間アッラーを崇拝している人物がいるとする。彼がナイルーズの日、その祝日に敬意を表する意図で多神教徒の誰かにプレゼントとして卵を贈るとすれば、その人はクフルの罪を犯したことになり、善い行いは帳消しになってしまう」 さらにal-Jaami’ al-Asghar の著者が述べている、「彼がもし、その祝日に敬意を表する意図はなしに、その日に贈り物をする習慣があって、ナイルーズの日にほかのムスリムに贈り物をするとすれば、それはクフルとはみなされない。しかし、彼はその特別な祝日に贈り物をするべきでない。その前か後にするべきである。そうすれば多神教徒の模倣にならないですむ。預言者 (彼に平安と祝福あれ) は言った、「誰でも、人の真似をする者は その仲間である」 al-Jaami’ al-Asgharにもある、「ある人が、ナイルーズの日にある物を買った。以前に買ったことのない物である。もしそれが、多神教徒がするように、その祝日に敬意を表するためであるなら、その人はクフルを犯したことになる。しかし、飲食したり楽しむために何かをしたかったなら、クフルを犯したことにならない。」 引用終わり al-Taaj wa’l-Ikleel (マーリキ派の本 – 4/319) にはこうあります、「イブン アル・カースィムは、キリスト教の祝日にキリスト教徒に贈り物をしたり、ユダヤ教の祝日にユダヤ教徒にシュロの葉を与えることはマクルーフ (禁止ではないが、嫌うべき行為) であるとした。」引用終わり ハンバル派の本 al-Iqnaa’ にはこうあります、「ユダヤ教やキリスト教の祭事に出たり、その祭事のために物を売ったり贈り物をしたりするのはハラームである」。 さらに、ハナフィー派の見解を引用したときに上に示したように、その祭事のためにムスリムがほかのムスリムに贈り物をするのは許されません。シェイク アル・イスラーム イブン タイミーヤ (彼にアッラーのご慈悲あれ) は述べています、「そのような祭事の時に、普段はしない贈り物をムスリムにする場合、その贈り物は受け入れられない。贈り物がクリスマス時のキャンドルだったり、断食後 (四旬節の終わり) に来る聖木曜日の卵や牛乳やラム肉などといった異教徒を模倣するようなものであればなおさらである。同様に、これらの祭事の際にはその祝い事のためにムスリムに贈り物をするのはいけない。すでに述べたように、異教徒を模倣するようなものであればなおさらである。」 Iqtida’ al-Siraat al-Mustaqeem (1/227) からの引用終わり 第三に 異教の祭事の日にカーフィルから贈り物を受け取ることについては、とがめられることはありませんし、祭事に加わっているとも祭事に賛成しているともみなされません。むしろ、好意的な行動を取るために受け取るべきです。相手の気持ちをほぐし、イスラームに呼びかけるために。アッラーは次に挙げるように、ムスリムと戦っていないカーフィルに対しては親切に公正にすることを許されています。
しかし、親切で公平な態度を取ることは、友情や愛情を持つこととは違います。なぜなら、カーフィルを友とすることやカーフィルに愛情を抱くことは許されていないからです。アッラーは次のように仰せられています。
カーフィルを友としたり愛情を持つのはハラームであることを示す根拠はほかにもあります。 シェイク アル・イスラーム イブン タイミーヤ (彼にアッラーのご慈悲あれ) は述べています、「異教の祭事の日に異教徒から贈り物を受け取ることについては、ナイルーズの際にアリー イブン アビ・ターリブの元に贈り物が届いた時、アリーはそれを受け取ったことを、すでに先に引用した。」 イブン アビ・シャイバは、ある女性がアーイシャに尋ねたときのことを伝えています、「私たちのもとには、メイジャン (ペルシャの古い自然宗教を信仰する人) の乳母が何人かいます。彼女たちは祭事をして私たちに贈り物を持ってきます。」 アーイシャは言った、「その日のために屠殺されたものは、食べてはいけません。野菜を食べるのはいいです。」 アブ・バルザの伝えるところによれば、彼にはメイジャンの隣人がいて、ナイルーズやマハルジャーンの時に贈り物を届けてくるのが常でした。そこでアブ・バルザは家族に 「果物なら何でも食べてよい。他のものは何でもいけない」 と言ったものだということです。 これらすべてが示しているのは、祭事の際に贈り物を受け取るのは禁止されておらず、むしろ祭事であれ、それ以外の時であれ、同じであるということです。贈り物を受け取る行為が、非イスラーム教徒がクフルを象徴する行事を行うのを手助けすることにはならないからです。 また、シェイク アル・イスラーム イブン タイミーヤ (彼にアッラーのご慈悲あれ) は、啓典の民 (ユダヤ教徒、キリスト教徒) によって屠られた肉は、彼らの祭事用に屠られた以外ではハラール (許されたもの) であることを指摘しています。祭事用のものは許されていません。 シェイク アル・イスラーム イブン タイミーヤ (彼にアッラーのご慈悲あれ) は言っています、「祭事中に啓典の民の食べ物を食することが許されるのは、祭事用に屠られたのではないものだけである。買うものであれ、贈られたものであれ。メイジャンによって屠られた肉については、よく知られているとおり、すべてのケースでハラームである。啓典の民が祭事用に屠ったもの、または、ムスリムがアッラーへの崇拝行為として犠牲を捧げるように、彼らがアッラー以外のものに近づくための崇拝行為として屠ったもの、すなわちメシアのために犠牲にしたもの については、アフマドによりこれまで二つの見解がある。アフマドによる記録でもっともよく知られているのでは、そのような肉を食するのは許されないということである。屠殺時にアッラー以外の名が唱えられていないとしても。それが禁止されていることは、アーイシャ、アブドッラー イブン ウマルによって伝えられている・・・・」 Iqtida’ al-Siraat al-Mustaqeem (1/251) からの引用終わり 結論:以下にあげる条件下では、キリスト教の祭事の日にあなたが隣人のキリスト教徒からの贈り物を受け取ることは許されています。 1 – その贈り物は祭事用に屠られた肉ではない 2 – ろうそく、卵、シュロの葉など、祭事の日に異教徒を模倣することに使用されない 3 – あなたは子どもに、al-wala’ とal-bara’ (忠誠と友情 vs. 否認と敵意) における信仰について説明する。この祭事が好きになったり、贈り物をくれた人に好意を抱く感情がしみ込むといけないので。 4 – 贈り物を受け取るのは隣人の心をほぐし、その人をイスラームに招くためであり、友情や愛情のためではない。 贈り物が許されないものであれば、それを受け取ることが出来ないと言う時に、どうしていけないのか説明を加えるべきです。たとえば、「祭事用に屠られた肉は、私たちムスリムには食することが許されていないので受け取れないのです」 「こういうのはお祝いをする方たち向けのものだと思いますが、この祭事は私たちとは違う宗教のもので、私たちが信じていない信条とかかわりがあり、私たちムスリムは祝わないのです。」 というように。 そのように述べることでイスラームに呼びかけるきっかけとなり、彼らが従っているクフルの危険について説明する始まりとなります。 ムスリムは自分の宗教を誇りに思い、決められたことを適用しなくてはいけません。臆病になるあまりに、または誰かの気を引くために宗教上決められたことを断念すべきではありません。私たちが目の前にしてものおじする価値のあるお方はアッラーです。 Please see also question no. 947 and 13642 for more information. アッラーがもっともよくご存知であられます。 Islam Q&A islamway "Accepting a gift from a kaafir on the day of his festival" から イスラームの本管理人が翻訳 |
アッラーに讃えあれ。 最も慈悲深いお方であられるアッラーの唯一性を信じている真の信者である限り、イスラームという宗教から外されるような行為を犯したことのない真の信者である限り、そしてシルクとキリスト教 (の冒涜) を憎んでいる限り、あなたはムスリムでカーフィルではありません。しかしながら、ムスリムがクッファール (カーフィルの複数形) が祭事を祝うのを手助け、教唆することは、いかなる形であっても受け入れられることではないということを知っておかなければなりません。これには異教徒が祭事に使う品物を売ることも含まれます。シェイク アル・イスラーム アフマド イブンアブドルハリーム イブンタイミーヤ (彼にアッラーのご慈悲あれ) はすばらしい著書Iqtidaa’ Al-Siraat Al-Mustaqeem Mukhalafat As-haab Al-Jaheem (In Pursuit of the Straight Path by Contradicting the People of the Hellfire) で述べています、「ムスリムが彼ら (不信仰者) に祭事を祝うために使う品物、たとえば食べ物、衣服、香水等を売ること、またはそのような物を贈り物として供与することについては、それは彼らの "法にかなっていない" 祝日を祝うのに手を貸すことになる。この考えは、ワインやアルコール飲料を生産するのに使うための葡萄や果汁をクッファールに売ることは容認できることではないという根本原則に基づく。同様な理由で、 (ムスリムが) 不信仰者にムスリムと戦うために使われる武器を売ることも容認できない。」 シェイク アル・イスラーム イブンタイミーヤ (彼にアッラーのご慈悲あれ) はそれから、アブドル・マーリク ビンハビーブ (マラキー派学者) の論証を提示していますが、そこには、「ムスリムがキリスト教徒に祝日のための物を売ることが禁じられていることが分からないだろうか。肉もほかの (パンといっしょに食される) 食物もいけない。衣服もいけないし、(乗り物として) 動物を貸すことさえもいけない。彼らの祝日に関係するどんな手助けもいけないのだ。それはキリスト教徒たちのシルク (冒涜) を美化する行為、背教と不信仰を支持する一つの形と考えられるからである。・・・・」 Al-Iqtidaa’ p. 229, 23, Dar Al-Ma’rifah printing, tahqeeq (verified and edited by) Al-Faqiy. あなたが真理の上に固く立つことをアッラーが容易にされますように。悪や誤りから守られますように。生計を立てるための正しくよい手段が与えられますように。 アッラーが預言者ムハンマドに平安と祝福を賜りますように。 Sheikh Muhammed Salih Al-Munajjid Islam Q&A islamway "Selling greeting cards for Christian holidays" から イスラームの本管理人が翻訳 |
アッラーは次のように仰せられました、
次にハディースより
SoundVision.com "The Quran and Hadith on Mothers" から イスラームの本管理人が翻訳 |
クルアーンに〔サジダ〕と記されている箇所が 15 あります(下記参照)。 礼拝時以外に その節を読んだり聞いたりしたら、タクビールを唱えてからサジダを一度します(sajdat al-tilaawah)。立ち上がるときにタクビールは言いません。
礼拝中に その節を読んだり聞いたりしたら、タクビールを唱えてからサジダを一度し(sajdat al-tilaawah)、立ち上がるときにもタクビールを言います(*出典 كيفية التكبير في سجود التلاوة)。そして続きを読みます。 女性が、礼拝時でなく、クルアーンを読んでいる時にこの節のどれかにきたら、頭をヒジャブで覆った状態で平伏したほうがよいですが、ヒジャブなしでも問題ありません。なぜなら、読誦中のサジダは礼拝における決まりの枠外で、ズィクルやほかのアッラーへの服従を示すための行為であるからです。(*出典 هل يجب الحجاب على المرأة في سجود التلاوة) 同様の理由で、月経中でも、クルアーンを読誦中にその節にきたらサジダをします。つまり、タハーラ(礼拝のできる清い状態)である必要はありません。(*出典 هل يجوز سجود التلاوة للحائض) Surah Sajdah (Verses 1-22) by sheikh Al-Afasy -- Ramdhan 1427H/2006 Surah As-Sajdah by Sheikh Maahir -- Mekkah Friday 10/26/2007 Fajr
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慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において。 すべての称賛はアッラーにあれ。平安と祝福がかれの使徒にあれ。 質問を感謝します。 まず第一に、イスラームは迷信や誤りから私たちの精神を解放するために齎されたということを心に留めておきましょう。 それはどういうことかというと、イスラームは人間の精神を啓典やハディースの枠組みの中に置き、人が誤った考えをするのを防ぐということです。殺人現場に幽霊が現れるといったような事は人々の間で広まっていてもシャリーアには何の論拠もありません。そのような事柄を信じるのは許されることではありません。 元エジプト・ムフティ 故シェイク ハサネイン マクルーフがこれに関して次のように述べています。 そのような事はシャリーアには何の論拠もなく、迷信に過ぎない。イスラーム以前の時代にはアラブ人たちは、死んだ人の魂と朽ちた骨は空高く飛ぶ鳥になると信じていた。そしてそれを「ハマ」「サダ」と呼んでいたのである。 上のファトワに照らして、そのような考えの不合理性は非常に明らかです。死後、人は、アラーム アル・バルザフという異なる世界に入り、行ったこと全てについての清算を待ちます。それは、清算の日 が来る前の過渡的な場所です。ですからそのような所にいる人が生の世界を彷徨う時間があるとは信じ難いことです。 アッラーがもっともよくご存知であられます。 IslamOnline "How Does Islam View Ghosts?" から イスラームの本管理人が翻訳 |