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ムスリムQ&A、諸事項




目次... 
Q&A 非イスラームの行事を祝うこと
Q&A 家族・親類に挨拶するためにクリスマスの祝いに出てもよいか
Q&A 異教の祭りの日に カーフィル (イスラームを信じない人) からプレゼントを受け取ること
Q&A キリスト教の祝いのカードを売ること
お母さん、お母さん、お母さん、お父さん
クルアーン読誦中のサジダはどのようにするか
幽霊についてのイスラームの見解は
ジン (作成中)


転載禁止




質問: クリスマスなどの行事に参加することは許されますか?

アッラーに讃えあれ。 

ムスリムが非イスラーム教徒に加わって非イスラームの行事を祝い、そのイベントの機会に喜びや嬉しい気持ちを表現すること、その機会に仕事を休むことは許されません。その行事が宗教的なものであれ、非宗教的なものであれ、同じことです。

なぜなら、アッラーの敵のすることを模倣することは禁じられていて、それは似たようなことであるから。また、誤ったことについて非イスラーム教徒に協力するようなものです。

アッラーの使徒 (彼に平安と祝福あれ) は言いました、

「誰でも、人の真似をする者は その仲間である」

そして、アッラーは次のように仰せられました、

正義と篤信のために助けあって,信仰を深めなさい。罪や法を越えることで助けあってはならない。アッラーを畏れなさい。誠にアッラーは懲罰に就いて厳重であられる。

〔聖クルアーン 5 - アルマーイダ章2〕


シェイク アル・イスラーム イブン タイミーヤ (彼にアッラーのご慈悲あれ) の本 Iqtidaa’ al-Siraat al-Mustaqeem を参照されるようお勧めします。

アッラーが預言者ムハンマドと彼の家族、教友たちを祝福され、平安を与えたまえますように。

Standing Committee on Academic Research and Issuing Fatwas, Fatwa no. 2540.
Islam Q&A
islamway "Prohibition on celebrating the festivals of the kuffaar" から イスラームの本管理人が翻訳


質問: 友人はこう言っています、「私はムスリムになりたいと思っているけれど、私の家族がクリスマスに集まるので挨拶に行きたい。祝いに加わるためではなくて、ただ親類の集まる機会を利用したいだけですが、よいでしょうか?」

Shaykh Muhammad ibn Saalih al-‘Uthaymeenによる回答は次のとおりです。

いいえ、許されません。アッラーがあなたのお友だちをイスラームで祝福されるならば、まず最初にすべきことは、以前の宗教とその宗教の祝い事から距離を置くことです。

アッラーがもっともよくご存知であられます。

Shaykh Muhammad ibn Saalih al-‘Uthaymeen
Islam Q&A
islamway "Can she attend Christmas celebrations in order to greet her relatives?" から イスラームの本管理人が翻訳


質問: 隣人はキリスト教徒のアメリカ人女性ですが、その女性と家族がクリスマスに私にプレゼントを持ってきました。 私は隣人が不愉快な思いをすると思ったので、断ることができませんでした。その贈り物を受け取ってもよいでしょうか? 使徒 (彼に平安と祝福あれ) もカーフィル (イスラームを信じない人) からの贈り物を受け取ったように。」

アッラーに讃えあれ。 

第一に

基本的原則では、カーフィルからの贈り物を受け取るのは許されることです。カーフィルの感情を穏やかにし、イスラームを好ましく思ってもらうためで、預言者 (彼に平安と祝福あれ) は al-Muqawqis らカーフィルからの贈り物を受け取ったことがあります。

アル・ブハーリーの真正集には、"多神教徒から贈り物を受け取ること" という章があります。アル・ブハーリー (彼にアッラーの御慈悲あれ) によると、アブーフライラ (彼にアッラーの御慈悲あれ) が伝えていることとして、預言者 (彼に平安と祝福あれ) は次のように言いました、「イブラーヒーム (彼に平安あれ) はサーラと移住し、ある都市に入った。そこには王、あるいは君主がいて、言った、『彼女に (贈り物として) ハージャルを与えよ』」 

また、預言者 (彼に平安と祝福あれ) は贈り物として(ローストの) 羊肉をもらったことがあります。毒が入っていましたが。 アブーフマイドは言いました、「アイラの王は、一頭の白いラバと外套に手紙を添えて、預言者 (彼に平安と祝福あれ) に与えました。王は、ユダヤ女性とその女が預言者 (彼に平安と祝福あれ) に贈った毒入りの羊肉の話を記しました。

第二に

ムスリムが、イスラームに対し心をほぐしてもらうために、カーフィルや多神教徒に贈り物をすることは許されています。相手が親類や隣人といった場合は特にです。

アル・ブハーリー (2619) によれば、ウマル (彼にアッラーのご満悦あれ) はマッカの多神教徒である兄弟にフラ (一組の服) を贈りました。

ただし、カーフィルの祝いの日に贈り物をすることは許されません。間違った祭事を認め、祝いに加わることになるからです。

もし贈る物が、食べ物やろうそくなどといった、その祭事を祝うのに利用できるものであるとすれば、ますますハラーム (禁止されている事物) です。そうなるとクフル (イスラームを信仰しないこと) であるとみなす学者もいます。

Al-Zayla’i は Tabyeen al-Haqaa’iq (6/228) で述べています。「ナイルーズやマハルジャーン (2つとも非イスラームのペルシャの祭り) に贈り物をすることは許されない。この両日に贈り物をすることは、すなわちハラームであり、実際、クフルである。」 Abu Hafs と Kabeer (彼にアッラーの御慈悲あれ) は述べている、「50年間アッラーを崇拝している人物がいるとする。彼がナイルーズの日、その祝日に敬意を表する意図で多神教徒の誰かにプレゼントとして卵を贈るとすれば、その人はクフルの罪を犯したことになり、善い行いは帳消しになってしまう」 さらにal-Jaami’ al-Asghar の著者が述べている、「彼がもし、その祝日に敬意を表する意図はなしに、その日に贈り物をする習慣があって、ナイルーズの日にほかのムスリムに贈り物をするとすれば、それはクフルとはみなされない。しかし、彼はその特別な祝日に贈り物をするべきでない。その前か後にするべきである。そうすれば多神教徒の模倣にならないですむ。預言者 (彼に平安と祝福あれ) は言った、「誰でも、人の真似をする者は その仲間である」 al-Jaami’ al-Asgharにもある、「ある人が、ナイルーズの日にある物を買った。以前に買ったことのない物である。もしそれが、多神教徒がするように、その祝日に敬意を表するためであるなら、その人はクフルを犯したことになる。しかし、飲食したり楽しむために何かをしたかったなら、クフルを犯したことにならない。」 引用終わり

al-Taaj wa’l-Ikleel (マーリキ派の本 – 4/319) にはこうあります、「イブン アル・カースィムは、キリスト教の祝日にキリスト教徒に贈り物をしたり、ユダヤ教の祝日にユダヤ教徒にシュロの葉を与えることはマクルーフ (禁止ではないが、嫌うべき行為) であるとした。」引用終わり

ハンバル派の本 al-Iqnaa’ にはこうあります、「ユダヤ教やキリスト教の祭事に出たり、その祭事のために物を売ったり贈り物をしたりするのはハラームである」。

さらに、ハナフィー派の見解を引用したときに上に示したように、その祭事のためにムスリムがほかのムスリムに贈り物をするのは許されません。シェイク アル・イスラーム イブン タイミーヤ (彼にアッラーのご慈悲あれ) は述べています、「そのような祭事の時に、普段はしない贈り物をムスリムにする場合、その贈り物は受け入れられない。贈り物がクリスマス時のキャンドルだったり、断食後 (四旬節の終わり) に来る聖木曜日の卵や牛乳やラム肉などといった異教徒を模倣するようなものであればなおさらである。同様に、これらの祭事の際にはその祝い事のためにムスリムに贈り物をするのはいけない。すでに述べたように、異教徒を模倣するようなものであればなおさらである。」  Iqtida’ al-Siraat al-Mustaqeem (1/227) からの引用終わり

第三に

異教の祭事の日にカーフィルから贈り物を受け取ることについては、とがめられることはありませんし、祭事に加わっているとも祭事に賛成しているともみなされません。むしろ、好意的な行動を取るために受け取るべきです。相手の気持ちをほぐし、イスラームに呼びかけるために。アッラーは次に挙げるように、ムスリムと戦っていないカーフィルに対しては親切に公正にすることを許されています。

アッラーは,宗教上のことであなたがたに戦いを仕掛けたり,またあなたがたを家から追放しなかった者たちに親切を尽し,公正に待遇することを禁じられない。本当にアッラーは公正な者を御好みになられる。

〔聖クルアーン 60 - アルムンタヒナ章8〕


しかし、親切で公平な態度を取ることは、友情や愛情を持つこととは違います。なぜなら、カーフィルを友とすることやカーフィルに愛情を抱くことは許されていないからです。アッラーは次のように仰せられています。

あなたは,アッラーと終末の日を信じる民が,アッラーと使徒に反抗するような者と親交を結ぶところを見ないであろう。仮令かれらがかれらの父や,子,兄弟や親族であっても。かれはこれらの者の心の中に信仰を書き留められ,親しく聖霊によって強められる。また川が下を流れる楽園に入らせ,永遠にその中に住ませられるのである。アッラーはかれらを愛でられ,かれらもかれに満悦する。これらは,アッラーの一党(信者)の者である。本当に,アッラーの一党の者こそ,非常な幸福を成就する者である。

〔聖クルアーン 58 - アルムジャーダラ章22〕


あなたがた信仰する者よ,われの敵であり,またあなたがたの敵である者 (すなわち不信仰者や多神教徒) を,友としてはならない。あなたがたに与えられた真理を拒否しているにも拘らず,密に好意を寄せるのか。

〔聖クルアーン 60 - アルムンタヒナ章1〕


信仰する者よ,あなたがたの仲間以外の者と,親密にしてはならない。かれらはあなたがたの堕落を厭わない。あなたがたの苦難を望んでいる。憎悪の情は,もうかれらのロからほとばしっている。だがその胸の中に隠すところは,更に甚しい。われは既に種々の印を,あなたがたに鮮明にした。只あなたがたの理解する力が問題なだけである。

〔聖クルアーン 3 - アーリイムラーン章118〕


あなたがたは悪を行う者を頼りにしてはならない。さもないと業火があなたを捕えるであろう。あなたがたには,アッラーの外に守護者はなく,助けられることもない。 

〔聖クルアーン 11 - フード章113〕


あなたがた信仰する者よ,ユダヤ人やキリスト教徒を,仲間としてはならない。かれらは互いに友である。あなたがたの中誰でも,かれらを仲間とする者は,かれらの同類である。アッラーは決して不義の民を御導きになられない。

〔聖クルアーン 5 - アルマーイダ章51〕


カーフィルを友としたり愛情を持つのはハラームであることを示す根拠はほかにもあります。

シェイク アル・イスラーム イブン タイミーヤ (彼にアッラーのご慈悲あれ) は述べています、「異教の祭事の日に異教徒から贈り物を受け取ることについては、ナイルーズの際にアリー イブン アビ・ターリブの元に贈り物が届いた時、アリーはそれを受け取ったことを、すでに先に引用した。」

イブン アビ・シャイバは、ある女性がアーイシャに尋ねたときのことを伝えています、「私たちのもとには、メイジャン (ペルシャの古い自然宗教を信仰する人) の乳母が何人かいます。彼女たちは祭事をして私たちに贈り物を持ってきます。」 アーイシャは言った、「その日のために屠殺されたものは、食べてはいけません。野菜を食べるのはいいです。」

アブ・バルザの伝えるところによれば、彼にはメイジャンの隣人がいて、ナイルーズやマハルジャーンの時に贈り物を届けてくるのが常でした。そこでアブ・バルザは家族に 「果物なら何でも食べてよい。他のものは何でもいけない」 と言ったものだということです。

これらすべてが示しているのは、祭事の際に贈り物を受け取るのは禁止されておらず、むしろ祭事であれ、それ以外の時であれ、同じであるということです。贈り物を受け取る行為が、非イスラーム教徒がクフルを象徴する行事を行うのを手助けすることにはならないからです。

また、シェイク アル・イスラーム イブン タイミーヤ (彼にアッラーのご慈悲あれ) は、啓典の民 (ユダヤ教徒、キリスト教徒) によって屠られた肉は、彼らの祭事用に屠られた以外ではハラール (許されたもの) であることを指摘しています。祭事用のものは許されていません。

シェイク アル・イスラーム イブン タイミーヤ (彼にアッラーのご慈悲あれ) は言っています、「祭事中に啓典の民の食べ物を食することが許されるのは、祭事用に屠られたのではないものだけである。買うものであれ、贈られたものであれ。メイジャンによって屠られた肉については、よく知られているとおり、すべてのケースでハラームである。啓典の民が祭事用に屠ったもの、または、ムスリムがアッラーへの崇拝行為として犠牲を捧げるように、彼らがアッラー以外のものに近づくための崇拝行為として屠ったもの、すなわちメシアのために犠牲にしたもの については、アフマドによりこれまで二つの見解がある。アフマドによる記録でもっともよく知られているのでは、そのような肉を食するのは許されないということである。屠殺時にアッラー以外の名が唱えられていないとしても。それが禁止されていることは、アーイシャ、アブドッラー イブン ウマルによって伝えられている・・・・」 Iqtida’ al-Siraat al-Mustaqeem (1/251) からの引用終わり

結論:以下にあげる条件下では、キリスト教の祭事の日にあなたが隣人のキリスト教徒からの贈り物を受け取ることは許されています。

1 – その贈り物は祭事用に屠られた肉ではない

2 – ろうそく、卵、シュロの葉など、祭事の日に異教徒を模倣することに使用されない

3 – あなたは子どもに、al-wala’ とal-bara’ (忠誠と友情 vs. 否認と敵意) における信仰について説明する。この祭事が好きになったり、贈り物をくれた人に好意を抱く感情がしみ込むといけないので。

4 – 贈り物を受け取るのは隣人の心をほぐし、その人をイスラームに招くためであり、友情や愛情のためではない。

贈り物が許されないものであれば、それを受け取ることが出来ないと言う時に、どうしていけないのか説明を加えるべきです。たとえば、「祭事用に屠られた肉は、私たちムスリムには食することが許されていないので受け取れないのです」  「こういうのはお祝いをする方たち向けのものだと思いますが、この祭事は私たちとは違う宗教のもので、私たちが信じていない信条とかかわりがあり、私たちムスリムは祝わないのです。」 というように。

そのように述べることでイスラームに呼びかけるきっかけとなり、彼らが従っているクフルの危険について説明する始まりとなります。

ムスリムは自分の宗教を誇りに思い、決められたことを適用しなくてはいけません。臆病になるあまりに、または誰かの気を引くために宗教上決められたことを断念すべきではありません。私たちが目の前にしてものおじする価値のあるお方はアッラーです。

Please see also question no. 947 and 13642 for more information.

アッラーがもっともよくご存知であられます。

Islam Q&A
islamway "Accepting a gift from a kaafir on the day of his festival" から イスラームの本管理人が翻訳


質問: 仕事で、私はレジ係です。クリスマス・カードが売られていて、「イエスは神であり、あなたを愛されている」 等のようにシルク (アッラー以外のものを神として崇めること) の言葉が書かれています。客がこういうカードを私のレジに持ってきて、私が精算処理をすると、私はカーフィル (イスラームを信仰していない人) になるのでしょうか?私はシルクを憎んでいます、・・・・・でも私はカーフィルなのでしょうか?

アッラーに讃えあれ。
最も慈悲深いお方であられるアッラーの唯一性を信じている真の信者である限り、イスラームという宗教から外されるような行為を犯したことのない真の信者である限り、そしてシルクとキリスト教 (の冒涜) を憎んでいる限り、あなたはムスリムでカーフィルではありません。しかしながら、ムスリムがクッファール (カーフィルの複数形) が祭事を祝うのを手助け、教唆することは、いかなる形であっても受け入れられることではないということを知っておかなければなりません。これには異教徒が祭事に使う品物を売ることも含まれます。シェイク アル・イスラーム アフマド イブンアブドルハリーム イブンタイミーヤ (彼にアッラーのご慈悲あれ) はすばらしい著書Iqtidaa’ Al-Siraat Al-Mustaqeem Mukhalafat As-haab Al-Jaheem (In Pursuit of the Straight Path by Contradicting the People of the Hellfire) で述べています、「ムスリムが彼ら (不信仰者) に祭事を祝うために使う品物、たとえば食べ物、衣服、香水等を売ること、またはそのような物を贈り物として供与することについては、それは彼らの "法にかなっていない" 祝日を祝うのに手を貸すことになる。この考えは、ワインやアルコール飲料を生産するのに使うための葡萄や果汁をクッファールに売ることは容認できることではないという根本原則に基づく。同様な理由で、 (ムスリムが) 不信仰者にムスリムと戦うために使われる武器を売ることも容認できない。」

シェイク アル・イスラーム イブンタイミーヤ (彼にアッラーのご慈悲あれ) はそれから、アブドル・マーリク ビンハビーブ (マラキー派学者) の論証を提示していますが、そこには、「ムスリムがキリスト教徒に祝日のための物を売ることが禁じられていることが分からないだろうか。肉もほかの (パンといっしょに食される) 食物もいけない。衣服もいけないし、(乗り物として) 動物を貸すことさえもいけない。彼らの祝日に関係するどんな手助けもいけないのだ。それはキリスト教徒たちのシルク (冒涜) を美化する行為、背教と不信仰を支持する一つの形と考えられるからである。・・・・」 Al-Iqtidaa’ p. 229, 23, Dar Al-Ma’rifah printing, tahqeeq (verified and edited by) Al-Faqiy.

あなたが真理の上に固く立つことをアッラーが容易にされますように。悪や誤りから守られますように。生計を立てるための正しくよい手段が与えられますように。

アッラーが預言者ムハンマドに平安と祝福を賜りますように。

Sheikh Muhammed Salih Al-Munajjid
Islam Q&A
islamway "Selling greeting cards for Christian holidays" から イスラームの本管理人が翻訳


1番 お母さん、2番 お母さん、3番 お母さん、4番 お父さん

アッラーは次のように仰せられました、

われは,両親に対し優しくするよう人間に命じた。母は懐胎に苦しみ,その分娩に苦しむ。懐胎してから離乳させるまで30ヶ月かかる。

〔聖クルアーン 46 - アルアハカーフ章15〕


あなたの主は命じられる。かれの外何者をも崇拝してはならない。また両親に孝行しなさい。もし両親かまたそのどちらかが,あなたと一緒にいて老齢に達しても,かれらに「ちえっ」とか荒い言葉を使わず,親切な言葉で話しなさい。

そして敬愛の情を込め,両親に対し謙虚に翼を低く垂れ(優しくし)て,「主よ,幼少の頃,わたしを愛育してくれたように,2人の上に御慈悲を御授け下さい。」と(祈りを)言うがいい。

〔聖クルアーン 17 - アルイスラー章23-24〕


われは人間に,両親に対して親切にするよう命じた。だがもしかれら(両親)が,あなたに対し何だか分らないものをわれに配するように強いるならば,かれらに従ってはならない。

〔聖クルアーン 29 - アンカブート章8〕


われは,両親への態度を人間に指示した。人間の母親は,苦労に窶れてその(子)を胎内で養い,更に離乳まで2年かかる。「われとあなたの父母に感謝しなさい。われに(最後の)帰り所はあるのである。

だがもし、あなたの知らないものを、われに(同等に)配することを、かれら(両親)があなたに強いても、かれらに従ってはならない。だが現世では懇切にかれらに仕え、悔悟してわれの許に帰る者に従え。

〔聖クルアーン 31 - ルクマーン章14-15〕



次にハディースより

預言者ムハンマド saw は言った、「天国はあなたの母親の足元にある。」

〔アフマド、ナサーイ〕


ある人が預言者のところへ来て、「アッラーの使徒よ、人々のなかで私が一番親しくするべき人は誰ですか」 と たずねると、
預言者 saw は答えた、「あなたの母親である。」
「その次はだれですか」 とたずねると、「あなたの母親である」 と答え、
「その次はだれですか」 とたずねると、「あなたの母親である」と答え、
「その次はだれですか」 その男性がもう一度たずねると、預言者 saw は言った、「あなたの父親である。」

〔ブハーリー、ムスリム〕


アブウサイド サイディは言った、「あるとき私たちがアッラーの使徒 saw とすわっていると、サルマ族の男性が来て言った、「アッラーの使徒よ、両親は亡くなった後でも私に対して権利を持っているのでしょうか」 

アッラーの使徒は言った、「持っている。アッラーが両親を祝福され許しと御慈悲を授けてくださるように祈り、あなたの親が誰かにした約束があればそれを履行し、両親の親類や友人の関係を大切にしなさい。」

〔アブダウード、イブンマジャ〕


アブドラ イブンアムルは、アッラーの使徒が次のように言ったと伝えた、

 「もっとも大きな罪は、アッラーと同位のものがいると信じること、両親に対する不服従、殺人、虚偽の証言である」 

〔ブハーリー、ムスリム〕


アスマ ビントアブバクルは、フダイビーヤの盟約のとき多神教徒だった母親がマッカから会いに来たとき、アッラーの使徒に母親が来て助けを求めていることを告げた。アッラーの使徒は、「お母さんによくなさい」と言った。

〔ブハーリー、ムスリム〕


SoundVision.com "The Quran and Hadith on Mothers" から イスラームの本管理人が翻訳


クルアーン読誦中のサジダはどのようにするか

クルアーンに〔サジダ〕と記されている箇所が 15 あります(下記参照)。

礼拝時以外に その節を読んだり聞いたりしたら、タクビールを唱えてからサジダを一度します(sajdat al-tilaawah)。立ち上がるときにタクビールは言いません。

アブダウード (ra) は伝えている、「アッラーの使徒 (saw) は私たちにクルアーンを読誦して聞かせ、サジダが命じられている節にくると、タクビールを唱えて平伏したので私たちも同様にした。」

〔アフマド 2/17、アルブハーリー 2/33,34、ムスリム 1/405, no. 575〕

礼拝中に    その節を読んだり聞いたりしたら、タクビールを唱えてからサジダを一度し(sajdat al-tilaawah)、立ち上がるときにもタクビールを言います(*出典 كيفية التكبير في سجود التلاوة)。そして続きを読みます。


女性が、礼拝時でなく、クルアーンを読んでいる時にこの節のどれかにきたら、頭をヒジャブで覆った状態で平伏したほうがよいですが、ヒジャブなしでも問題ありません。なぜなら、読誦中のサジダは礼拝における決まりの枠外で、ズィクルやほかのアッラーへの服従を示すための行為であるからです。(*出典 هل يجب الحجاب على المرأة في سجود التلاوة

同様の理由で、月経中でも、クルアーンを読誦中にその節にきたらサジダをします。つまり、タハーラ(礼拝のできる清い状態)である必要はありません。(*出典 هل يجوز سجود التلاوة للحائض

Surah Sajdah (Verses 1-22) by sheikh Al-Afasy -- Ramdhan 1427H/2006

Surah As-Sajdah by Sheikh Maahir -- Mekkah Friday 10/26/2007 Fajr

本当にあなたの主の側近にいる者は,かれを崇めるのに慢心することなく,かれの栄光を讃えて唱念し,かれにサジダする。〔サジダ〕

〔聖クルアーン 7. 高壁 (アル・アアラーフ) 章 206〕

天と地上で凡てのものは,好むと好まないとに拘らず,またかれらの影も,朝夕,アッラーにサジダする。 〔サジダ〕

〔聖クルアーン 13. 雷電 (アッ・ラアド) 章 15〕

本当に天にあり地にある凡ての生きものも,また天使たちも(アッラーにサジダし),かれらは(主の御前で)高慢ではない。かれらの上におられる主を畏れ,命じられることをかれらは実行する。〔サジダ〕

〔聖クルアーン 16. 蜜蜂 (アン・ナフル) 章 49-50〕

言ってやるがいい。「あなたがたがこの(クルアーン)を信じても,また信じなくても,以前に知識を与えられた者たちは,読誦を耳にすると,必ずその顔を伏せてサジダする。そして(祈って),『わたしたちの主の栄光を讃えます。本当に主の御約束は果たされました。』と言う。」 かれらは涙を流して顔を地に伏せ,謙譲の誠を募らせる。〔サジダ〕

〔聖クルアーン 17. 夜の旅 (アル・イスラー) 章 107-109〕

これらの者は,アッラーが恩恵を施された預言者たちで,アーダムの子孫で,われがヌーフと一緒に(方舟で)運んだ者たちの子孫であり,またイブラーヒームとイスラーイール(ヤアコーブ)の子孫の中,われが選んで導いた者たちである。慈悲深き御方の印がかれらに読誦される度に,かれらは伏してサジダし涙を流す。〔サジダ〕

〔聖クルアーン 19. マルヤム 章 58〕

あなたは見ないのか,天にある凡てのものが,アッラーに,サジダするのを。また地にある凡てのものも,太陽も月も,群星も山々も,木々も獣類も,また人間の多くの者がサジダするのを見ないのか。だが多くは懲罰を受けるのが当然な者たちである。またアッラーが見下げられた者を,誰も尊敬することは出来ない。本当にアッラーは御望みのことを行われる。〔サジダ〕

〔聖クルアーン 22. 巡礼 (アル・ハッジ) 章 18〕

あなたがた信仰する者よ。立礼〔ルクーウ〕しサジダして,あなたがたの主に仕えなさい。そして善行に動しめ。必ずあなたがたは成功するであろう。〔サジダ〕

〔聖クルアーン 22. 巡礼 (アル・ハッジ) 章 77〕

だがかれらが,「慈悲深き御方にサジダしなさい。」と言われると,かれらは言う。「慈悲深き御方とは何ですか。わたしたちはあなたの命じるものにサジダするのですか。」と,却って(真理からの)逃避を増すばかり。〔サジダ〕

〔聖クルアーン 25. 識別 (アル・フルカーン) 章 60〕

アッラー,かれの外に神はありません。かれは壮厳な玉座の主であられます。」 〔サジダ〕

〔聖クルアーン 27. 蟻 (アン・ナムル) 章 26〕

われの印を信じる者とは,それが述べられた時に敬慕し身を投げだしてサジダし,主の栄光を讃えて唱念する,高慢ではない者たちである。〔サジダ〕

〔聖クルアーン 32. アッ・サジダ 章 15〕

かれ(ダーウード)は,「かれがあなたの羊を,取り込もうとしたのは,確かに不当です。本当に共同で仕事をする者の多くは,互いに侵しあう。信仰して善行に勤しむ者は別だが,それは稀です。」と言った。(その時)ダーウードは,われがかれを試みたことを喩り,主の御赦しを請い,礼拝にひれ伏し,悔悟して主の御許に帰った。〔サジダ〕

〔聖クルアーン 38. サード 章 24〕

夜と昼,また太陽と月は,かれの印の中である。それで太陽にも月にもサジダするようなことをしてはならない。それら(両方)を創られた,アッラーにサジダしなさい。あなたがたが仕えるのなら,かれにこそ仕えなさい。
もしもかれら(不信心者)が高慢で(主に仕えることを侮って)も,主の御許にいる者たちは,夜も昼もかれを讃え,弛むことをしらない。〔サジダ〕

〔聖クルアーン 41. フッスィラ 章 37-38〕

一途にアッラーにサジダし,(かれに)仕えなさい。〔サシダ〕

〔聖クルアーン 53. 星 (アン・ナジュム) 章 62〕

クルアーンが,かれらに読唱されると,かれらはサジダしようとはしない。〔サジダ〕

〔聖クルアーン 84. 割れる (アル・インシカーク) 章 21〕

断じてそうあるべきではない。あなたはかれに従ってはならない。一途にサジダして(主に)近付け。〔サジダ〕

〔聖クルアーン 96. 凝血 (アル・アラク) 章 19〕


質問: 幽霊についてのイスラームの見解は?

慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において。

すべての称賛はアッラーにあれ。平安と祝福がかれの使徒にあれ。

質問を感謝します。

まず第一に、イスラームは迷信や誤りから私たちの精神を解放するために齎されたということを心に留めておきましょう。

それはどういうことかというと、イスラームは人間の精神を啓典やハディースの枠組みの中に置き、人が誤った考えをするのを防ぐということです。殺人現場に幽霊が現れるといったような事は人々の間で広まっていてもシャリーアには何の論拠もありません。そのような事柄を信じるのは許されることではありません。

元エジプト・ムフティ 故シェイク ハサネイン マクルーフがこれに関して次のように述べています。


そのような事はシャリーアには何の論拠もなく、迷信に過ぎない。イスラーム以前の時代にはアラブ人たちは、死んだ人の魂と朽ちた骨は空高く飛ぶ鳥になると信じていた。そしてそれを「ハマ」「サダ」と呼んでいたのである。

殺された人の魂は墓の脇に立って「喉が渇いた、喉が渇いた」などと言うと信じている人がいる。殺された人の家族が殺害に報復するまでは、魂は安らかに眠ることができないと思っていた。

これは無知の産物で、心で感じていたことやその当時行き渡っていた伝統と慣習によるものである。

イスラームの出現により、そのように誤って信じられていることや根拠のない考えに終止符が打たれた。イスラームという太陽の光は、長い間人々の心を霧で包まれたように翳らせていたこれらの暗い雲を散らした。預言者pbuh はそのような言い伝えには何の根拠もないことを はっきりさせていたことが多くの例に見られる。預言者pbuh は、精神をそのような曖昧な考えから浄化しなければならないことを明らかにされた。

このように、死んだ人が幽霊となって現れるという考えは広く浸透しているが、イスラーム以前無知時代の迷信の名残である。だからイスラームではその類の話には耳を貸さない、まして信じることなどなおさらである。



上のファトワに照らして、そのような考えの不合理性は非常に明らかです。死後、人は、アラーム アル・バルザフという異なる世界に入り、行ったこと全てについての清算を待ちます。それは、清算の日 が来る前の過渡的な場所です。ですからそのような所にいる人が生の世界を彷徨う時間があるとは信じ難いことです。



アッラーがもっともよくご存知であられます。


IslamOnline "How Does Islam View Ghosts?" から イスラームの本管理人が翻訳