
仏教徒の方々へ
「あなたがたの崇拝するものは何ですか。」
[アブラハム 聖クルアーン 37:85]
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私たちに馴染みのある仏教によると、人間は死後、この世とあの世の中間の世界に留まります (中陰)。49日たつまで 7日毎に、その後も含めると最大10回の裁きと教えを受け、その間に極楽行か地獄行かの判定が出るとされています。(宗派などにより多少の違いはありますが)
お寺に生まれた友人から、「仏教でも、宇宙は神によって創造されたことを信じている」 とも聞きました。
しかし、元来の仏教は神を信じず、来世も審判の日、天国・地獄もない無神論の思想だそうです。(釈迦が悟ったというのは神の存在でも死後の世界のことでもなく、「すべての物事は関係している」 という 縁起の法則です。)
● 輪廻転生
釈迦が唱えたわけではありませんでした。輪廻は釈迦以前、古代からあったインドの思想で、釈迦はインドの伝統に従って方便として否定しなかったにすぎないそうです。肯定したわけではないとのこと。輪廻は後代になってから体系付けられた事柄です。
● 神
「釈迦は神を崇拝することを自分の宗教に含めず、また自身を神として崇拝することも許さなかった。」(ウィキペディア)とあります。
無神論の方々へ も参照ください
本来の仏教では神を信じる教えはなく、日本の仏教などの神はヒンドゥー教や中国、神道の神々で、例えば裁きのうち一回を担当する閻魔大王はヒンドゥー教の神です。
● 死後の世界
「死んだらどうなるのか」 という質問への僧侶の回答では、死後に何らかの別物に変化して存続することはなく、霊魂についても釈迦は無記(沈黙・中立の立場)という立場とのこと。
多くの日本人が 「仏教」 として信じているのは、様々な宗教や人々の言い伝えが融合したものではないでしょうか。
先に 「元来の仏教」 と述べましたが、実際は釈迦が言ったことと、後代の人々が付け加えたことを区別するのは難しい部分があると思います。
なぜなら 釈迦については生年も人種も、使っていた言語すら不明であるほどで、釈迦自身は一つの書物も残さず、教えは何百年も口頭で伝えられたためです。
仏教の経典が記されたのは釈迦没後5-6世紀くらいと考えられています。
「父よ,あなたは何故聞きも,見もしないで,また僅かの益をも与えないもの(木石の偶像)を崇拝なさるのか。
[アブラハム 聖クルアーン 19. マルヤム 章42]
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それらは歩く足があるのか。持つ手があるのか。また見る目があるのか。聞く耳があるのか。言ってやるがいい。「あなたがたは(かれに配する)神々を呼ベ。直ぐわたしに向かって策謀してみよ。躊躇することはない。
[聖クルアーン 7.高壁(アル・アアラーフ)章195]
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それは、一言もかれらに答えず、またかれらに害もなく益もないことが分らないのであろうか。
[聖クルアーン 20. ター・ハー章89]
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イスラームの啓典 聖クルアーンには、「本当にあなたがたの神は、唯一の神であられる。」 とあります (22:34)。
多神を信じること、像を拝むことは大きな罪です。
本当に神は、(何ものをも)かれに配することを赦されない。それ以外のことに就いては、御心に適う者を赦される。神に(何ものかを)配する者は、まさに大罪を犯す者である。
[聖クルアーン 4:48]
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「配する」 という言葉は聖クルアーンでしばしば使われています (15:96; 17:39; 51:51) 。神は唯一であるのに、その唯一の神以外にも神々がいると言ったり、人間の作った像を崇めたり、あるいは人間のことを神として崇める、等のことを指します。
イスラームの根本は神の唯一性です。
イスラームの基礎知識 「一番重要なことは?」 も参照ください
ムーサーの民は、かれの(去った)後、自分の装飾品で鳴き声の出る形だけの仔牛を造った。かれらはそれがものも言わず、また道案内も出来ないことが分らないのか。かれらはそれを(神として)とり、不義を行った。
[聖クルアーン 7:148]
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「本当に神は,あなたがたを創り,またあなたがたが,造るものをも(創られる)。」
[アブラハム 聖クルアーン 37:96]
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「唯一の神 を差し置いてあなたがたが祈るものに就いて考えないのか。かれらが,大地で創ったものが何かあるのなら,わたしに見せるがいい。また天の創造においてかれら(偶像)の参与があるとでもいうのか。もしあなたがたの言葉が真実なら,これ(クルアーン)以前の啓典かまたは(古代人)の知識のかけらでもよいからわたしに齎せ。」
唯一の神 以外のものを祈る者より迷っている者が外にあろうか。これらの者は,復活の日まで答えは得られない。またかれら(神々)は,その祈りに気付かない。
また人間が(審判に)集められた時,かれら(神々)は,かれらに対し敵となり,かれらへの崇拝など,認めることもない。
[聖クルアーン46. 砂丘 (アル・アハカーフ)章4-6]
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それらは、あなたがたや祖先たちが名付けた(只の)名前に過ぎない。アッラーは(どんな)権威をも、それらに下されなかった。かれら(不信心者)は、虚しい臆測や私慾に従っているに過ぎない。既に主からの導きが、かれらに来ているのに。
[聖クルアーン 53. 星(アン・ナジュム)章23]
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