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はじめに


「クルアーン(コーラン)は聖書を否定するために書かれた。ムハンマドは聖書を読んだ後、悪魔にそそのかされて偶像であるアッラーという神に従った」 

というキリスト教徒の方がいらっしゃいました。どこからそのように聞いているのか分かりませんが、事実とまったく異なります。

私たちの間の大きな共通点は、唯一の神を信じていること、イエスを敬愛していることです。



目次


アッラーの神?
イエスの宗教、モーセの宗教、アブラハムの宗教
教会の教えはイエスの教えと一致する?
聖書は神の言葉?
ろばに乗った者、らくだに乗った者
マリヤの子イエス
イエスたちの礼拝の仕方とムスリムたちの礼拝の仕方
おすすめ読み物・ビデオ
聖クルアーン中のイエスとマリヤ


わからないことは質問してください


「啓典の民 (ユダヤ教徒、キリスト教徒) よ,わたしたちとあなたがたとの間の共通のことば(の下)に来なさい。

わたしたちはアッラーにだけ仕え,何ものをもかれに列しない。

またわたしたちはアッラーを差し置いて,外のものを主として崇ない。」


[聖クルアーン 3. アーリ・イムラーン章]







アッラーの神?

「わたしたち (ムスリム) は,自分たちに下されたものを信じ,あなたがた (クリスチャン) に下されたものを信じる。
わたしたちの神(アッラー)とあなたがたの神(アッラー) は同じである。
わたしたちはかれに服従,帰依するのである。」


[聖クルアーン29.アル・アンカブート章]



異文化圏のメディアではよく 「イスラーム教徒は "アッラーの神" を信じている」 という言い方がされているので誤解を招き易いのですが、 「アッラー」 とは 「唯一の神」 を意味するアラビア語です。

つまり、英語で 「唯一神」 を意味する "大文字で始まる God" と同じような意味があります。 "アッラーの神" というと、"ゴッドの神" というのと同じことです。少しおかしく聞こえますね。

イエスも、神のことを 「アッラー」 のような発音で呼ばれていたそうです (アラム語で)。

イスラームの基礎知識  「一番重要なことは?」  「アッラー(swt) 」



そして、「イスラーム」 というのは 「アッラーへの帰依」 を意味します。預言者の名前でも民族の名前でもありません。 「ムスリム」 は 「唯一の神に帰依している者」 という意味です。

イスラームの基礎知識  「イスラームとは?」



アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマド、またそのほかの、神によって遣わされたすべての偉大な使徒、預言者たち (彼らの上に平安がありますように) が齎した共通の、唯一のメッセージは 「唯一の神を信ぜよ」 です。

キリスト教との違いは、アッラーは完全に一つであることです。
神は自存され、産みも生まれもなされない、死にもしない、永久に変化しない (「変化しない」というのはヤコブの手紙にも書かれていますね) 、比類なきお方である、とムスリムは信じています。

言え、「かれはアッラー、唯一なる御方であられる。
アッラーは、自存され、
御産みなさらないし、御産れになられたのではない、
かれに比べ得る、何ものもない。」

(『聖クルアーン』の日本語注解より)




イエスの宗教、モーセの宗教、アブラハムの宗教

もしもイエスに 「宗教は何ですか?」 と伺ったとしたら、 「キリスト教」 とお答えになられると思いますか?

「キリスト教」 とお答えになられたら、「カトリックですか、プロテスタントですか、それとも異端とされた宗派ですか?」 と尋ねてみたいです。


イエスは 「キリスト教」 とは一言も言いませんでした。

聖書 「わたしの教ではなく、神の教え」



聖書には、「クリスチャン」 という言葉が三回出てきますが、イエスの死後のことで、どちらかというと部外者・敵たちによって使われ始めたようです。一回目は西暦43年・・・

① 
彼を見つけたうえ、アンテオケに連れて帰った。ふたりは、まる一年、ともどもに教会で集まりをし、大ぜいの人々を教えた。このアンテオケで初めて、弟子たちがクリスチャンと呼ばれるようになった。

[使徒行伝 / 11章 26節]



② 
アグリッパがパウロに言った、「おまえは少し説いただけで、わたしをクリスチャンにしようとしている」。

[使徒行伝 / 26章 28節]



③ 
しかし、クリスチャンとして苦しみを受けるのであれば、恥じることはない。かえって、この名によって神をあがめなさい。

[ペテロの第一の手紙 / 4章 16節]




イエスは土曜日に礼拝をされ、律法を重んじ、明らかにモーセが齎した教えに従っておられたようです。

わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。

よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。

[マタイによる福音書 / 5章 17-18節]



では、モーセはご自分の宗教をなんという名前で呼ばれたのか、聖書にはありませんか? ユダヤ教とは言われていません。

モーセとアブラハムの神は同じでしたね。では、アブラハムはユダヤ教徒ですか? アブラハムはユダヤ人でさえありませんでした。どちらかというとアラブ人と言えるかもしれません。

テラはその子アブラムと、ハランの子である孫ロトと、子アブラムの妻である嫁サライとを連れて、カナンの地へ行こうとカルデヤのウルを出たが、ハランに着いてそこに住んだ。

[創世記 / 11章 31節]



  アブラハムはカルデヤのウルに生まれました。メソポタミア、今のイラクの辺りです。

イスラーム 「イスラームは新しい宗教ではありません」





教会の教えはイエスの教えと一致する?

イエスは、「イザヤが次のような適切な預言をした」 と言いました。

人間のいましめを教として教え、無意味にわたしを拝んでいる』」。

[マタイによる福音書 / 15章 9節]



先に述べたように、イエスは土曜日を安息日としていました。それを教会は日曜日に変更しました。

また、多神教の思想をキリスト教に取り入れてしまいました。

キリスト教成立過程で影響を及ぼした国々とその地域に馴染みのある神々の一例
ギリシャアポロ、ディオニシス、ヘラクレス
ローマヘラクレス
シリアアドニス&アティス、バール
ペルシャミスラ
エジプトオシリス、イシス、ホルス
バビロンバール、アスタルト


ローマ・ユリウス暦を元にし、ペルシャ発祥の太陽神 ミスラを祝う日、12月25日をイエスの誕生日に設定しました。

クリスマスは何の日?



イエスが遵守した割礼を廃止

イエスは割礼を受けました

八日が過ぎ、割礼をほどこす時となったので、受胎のまえに御使が告げたとおり、幼な子をイエスと名づけた。

 [ルカによる福音書 / 2章 21節]



アブラハムとの間に契約を結ばれたとき、神は割礼について、以下のように 念を入れて確認されました。

神はまたアブラハムに言われた、「あなたと後の子孫とは共に代々わたしの契約を守らなければならない。あなたがたのうち
男子はみな割礼をうけなければならない。これはわたしとあなたがた及び後の子孫との間のわたしの契約であって、あなたがたの守るべきものである。
あなたがたは前の皮に割礼を受けなければならない。それがわたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなるであろう。
あなたがたのうちの男子はみな代々、家に生れた者も、また異邦人から銀で買い取った、あなたの子孫でない者も、生れて八日目に割礼を受けなければならない
あなたの家に生れた者も、あなたが銀で買い取った者も必ず割礼を受けなければならない。こうしてわたしの契約はあなたがたの身にあって永遠の契約となるであろう。
割礼を受けない男子、すなわち前の皮を切らない者はわたしの契約を破るゆえ、その人は民のうちから断たれるであろう」。

 [創世記 / 17章 9-14節]


アブラハム以降の全預言者が割礼を受け、
イエスが地上にいた間、割礼の契約は遵守されていました。

しかし、イエスが天に召された後に信仰に入ったパウロ(サウロ)は、割礼は必要ないと言いました。

見よ、このパウロがあなたがたに言う。もし割礼を受けるなら、キリストはあなたがたに用のないものになろう。

[ガラテヤ人への手紙 / 5章 2節]


文字によらず霊による心の割礼こそ割礼であって、そのほまれは人からではなく、神から来るのである。

[ローマ人への手紙 / 2章 29節]




このように、イエスの昇天後にキリスト代表団によって割礼は 「廃されました」。 「当時、割礼習慣のないギリシア人・ローマ人などから見ると、嫌悪すべき野蛮な風習とみなされていた」 そうです。(Wikipedia

キリスト教徒はアブラハムやイエスよりも、パウロや教団の方が確かであるとしてしまったのです。イエスは次のように言っていたのに

わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。



三位一体の理論 イエスの昇天3-4世紀後に確立

また、パウロはイエスを神の子であると言い始めました。その頃まだユダヤ教徒のシナゴーグで礼拝をしていましたが、パウロがこう言った為に、神は唯一であると信じているユダヤ教徒に追い出され、自分たちの教会が必要になりました (使徒行伝9:20、13:50、17:18、21:28、ルカ2:11)。

三位一体という言葉は聖書になく、イエスは自分は神であるとは一度も言いませんでした。

聖書・イエスの言葉 「唯一の、まことの神でいますあなた」 「善いのはわたしではなく神」




「イエスは 『わたしは神である』 と直接には言わなかったけれど、示唆しているところがたくさんある」 というお返事があると思います。

たとえば次のような節ですね?

イエスは彼に言われた、「ピリポよ、こんなに長くあなたがたと一緒にいるのに、わたしがわかっていないのか。わたしを見た者は、父を見たのである。どうして、わたしたちに父を示してほしいと、言うのか。

[ヨハネによる福音書 / 14章 9節]



この一節だけを見て、「イエスは神である」 と判断する前に、この節の前後を読んで文脈から考えてみてください。イエスの言っているのは、神の被造物を見て神の存在を知ることができる、というのと同様の事ではありませんか。

さもないと、次のイエスの言葉が嘘になってしまいます。

また、わたしをつかわされた父も、ご自分でわたしについてあかしをされた。あなたがたは、まだそのみ声を聞いたこともなく、そのみ姿を見たこともない

[ヨハネによる福音書 / 14章 9節]



聖書・キリスト教徒がイエスを神とする根拠 言は肉体となった
イエスは神のひとり子?
神様は大家族?
イエスの奇跡



「『神の子』 と聖書に書いてある」 ということについては、上に挙げたリンク先で触れてあります。

「イエスは父親なくして誕生した」 というなら、父だけでなく母もなしに誕生したアダムのほうが上手ということになります。

さらに、このお二人よりも上手の方がいるのです。

彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です。

[ヘブライ人への手紙 / 7章 3節 新共同訳]



父母どころか、初めもなく終わりもない人が神以外にいました。この方は メルキゼデク、サレムの王であり、いと高き神の祭司とのことです (ヘブライ人への手紙 / 7章 1節)。


悪霊も「あなたこそ神の子です」と叫びながら多くの人々から出ていった。しかし、イエスは彼らを戒めて、物を言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスはキリストだと知っていたからである。

[ルカによる福音書 / 4章 41節]



「神の子」 と言った悪霊をイエスは戒めました。





聖霊は神でありイエスですか? まず次の箇所を読んでください。

イエス・キリストの誕生の次第はこうであった。母マリヤはヨセフと婚約していたが、まだ一緒にならない前に、聖霊によって身重になった。

[マタイによる福音書 / 1章 18節]



そして

天使ガブリエルは、ナザレというガリラヤの町に神から遣わされた。ダビデ家のヨセフという人のいいなずけであるおとめのところに遣わされたのである。そのおとめの名はマリアといった。

[ルカによる福音書 / 1章 26-27節]



マリヤがイエスを身篭ったことについて、マタイは 「聖霊」、ルカは 「天使ガブリエル」 と言っています。

つまり、聖霊は天使ガブリエルです。

それでは、天使ガブリエルは神ですか?

聖書  「聖書がムハンマド (saw) を預言」 


その日、その時は、だれも知らない。天にいる御使たちも、また子も知らない、ただ父だけが知っておられる。

[マルコによる福音書 / 13章 32節]



御使も子も、神とは違います。父だけがすべてをご存知です。





三位一体は、イエスが天に召されて300-400年後に会議で決められました。

「こういうのが正統派」「こういうのが異端派」 という今ある区別が定められた第一ニカイア公会議はいい加減だったのかもしれないのではありませんか?

こちら コンスタンティヌス1世 (Wikipedia) によると、一番最後の方(脚注のすぐ上) には、「判断の基準となったのはそれぞれの支持者の数だけであったという」 と書いてあります。

ここに書かれてある通り、まともな判断の基準もなく多数決だけで決まったのだとしたら・・・・、それが「正統派」の土台を築いて、今でも三位一体を正当化する根拠として名前を挙げられる会議になっているのですから。キリスト教を認めたコンスタンティヌス皇帝のキリスト教徒間での人気ゆえでしょうか。

聖書・神とイエスの主従関係 神につかわされたイエス 神に祈るイエス




「三位一体の神というのは、私たちの理性や科学的常識では、理解することができないキリスト教の奥義」 

キリスト教会では、この説明が一般になされているようです。

理性で理解できないことがよく会議で決められたものです。イエスがそう言ったのならともかく。






信仰だけ。行いは必要ない?

わたしにむかって『主よ、主よ』と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

[マタイによる福音書 / 7章 21節]



イエスは 「言う者ではなく、行う者だけが、天国に入る」 と言われたのに、パウロが 「信仰のみでよい」 と決め、キリスト教会ではまたもイエスよりもパウロの言い分を取っています。

たとえば、ある牧師による説教の言葉を引用すると、

ところが、こともあろうにキリストの教会の内部から、この福音に反し、敵対する教えを伝える者達が現れてきたのです。彼らの主張は、主イエス・キリストを信ずる信仰は大切だけれども、本当に救われる為にはそれだけでは十分ではない。律法を守るという行ないも必要である。・・・・・・・ つまり、私共が救われるのに必要なのは信仰だけなのか、それとも他に良き業も必要なのかという問題です。パウロはもちろん、「信仰のみ」であると告げている訳であり、16世紀に起きました宗教改革も又、「信仰のみ」という旗印のもとになされたのであります。私共も、もちろんその立場に立つ訳です。

このようにイエスでなくパウロに従う教会に異議の声が挙がるのはもっともなように見えます。「よく言っておく」 とイエスが明言した言葉に従おうとした人々でしょう。

わたしが律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。 よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。


しかしイエスよりもパウロに従うことを選んだグループのほうが大きかったのですね。イエスの弟子ですらなかったどころか、イエスを迫害していたパウロに。
気高いイエスの言葉をことごとくひっくり返したパウロに、私は嫌悪の情を覚えます。

また、エピクロス派やストア派の幾人かの哲学者もパウロと討論したが、その中には、「このおしゃべりは、何を言いたいのだろうか」と言う者もいれば、「彼は外国の神々の宣伝をする者らしい」と言う者もいた。パウロが、イエスと復活について福音を告げ知らせていたからである。

[使徒言行録 / 17章 18節]



「おしゃべり」 という部分は英語では "babller" で、それは不明瞭な事をぶつぶつ言う感じです。人に敬意を払ってもらえるような話し方のできない人だったのですね。

そんなパウロにどうして軍配が上がってしまったのかと思いますが、「信じるだけでいい。行いはなくとも。」 という方がずっと楽だからでしょう。同様なことを言うムスリム学者がたくさんいます、「信仰告白さえすれば、ムスリムである」 と。それは本来の教えから逸れているのですが、それに従うムスリムは沢山います。


イエスの教えではない贖い

贖いと原罪の信条は、イエスが地上を離れてから300年後にニカイア公会議で採択されたものです。

イエスの教えではない証拠に、次の聖書の箇所と矛盾が生じています。

父は子のゆえに死に定められず、子は父のゆえに死に定められない。人は、それぞれ自分の罪のゆえに死に定められる。

[申命記 / 24章 16節 新共同訳]



人は自分の罪のゆえに死ぬ。だれでも酸いぶどうを食べれば、自分の歯が浮く。

[エレミヤ書 / 31章 30節 新共同訳]



罪を犯す魂は死ぬ。子は父の悪を負わない。父は子の悪を負わない。義人の義はその人に帰し、悪人の悪はその人に帰する。

[エゼキエル書 / 18章 20節 新共同訳]



「人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。

[マタイによる福音書 / 7章 1-2節 新共同訳]



植える者と水を注ぐ者とは一つですが、それぞれが働きに応じて自分の報酬を受け取ることになります。

[コリントの信徒への手紙一 / 3章 8節 新共同訳]



聖書  「神に祈るイエス」





聖書は神の言葉?

わたしたちの間に成就された出来事を、最初から親しく見た人々であって、

御言に仕えた人々が伝えたとおり物語に書き連ねようと、多くの人が手を着けましたが、

テオピロ閣下よ、わたしもすべての事を初めから詳しく調べていますので、ここに、それを順序正しく書きつづって、閣下に献じることにしました。

[ルカによる福音書 / 1章 1-3節]



「聖書は人が霊感を受けて書かれた」 とよく言われます。しかし、ルカはここでそう言っていません。ルカは見た人から伝え聞いたことを調べて書いています。(ルカはイエスにあったこともなく、ルカ福音書はイエスの死後50-100年とされています。)

聖書には間違いがないというキリスト教徒がたくさんいます。では、次の例はどう解釈しますか・・・

アハジヤは王となったとき二十二歳で、エルサレムで一年世を治めた。その母は名をアタリヤと言って、イスラエルの王オムリの孫娘であった。

[列王紀下 / 8章 26節]

アハジヤは王となった時四十二歳で、エルサレムで一年の間世を治めた。その母はオムリの娘で名をアタリヤといった。

[歴代志下 / 22章 2節]



エホヤキンは王となった時十八歳で、エルサレムで三か月の間、世を治めた。母はエルサレムのエルナタンの娘で、名をネホシタといった。

[列王紀下 / 24章 8節]

エホヤキンは王となった時八歳で、エルサレムで三月と十日の間、世を治め、主の前に悪を行った。

[歴代志下 / 36章 9節]



ダビデの勇士たちの名は次のとおりである。タクモンびとヨセブ・バッセベテはかの人のうちの長であったが、彼はいちじに八百人に向かって、やりをふるい、それを殺した。

[サムエル記下 / 23章 8節 口語訳]

ダビデの勇士の数は次のとおりである。すなわち人の長であるハクモニびとの子ヤショベアム、彼はやりをふるって三百人に向かい、一度にこれを殺した者である。

[歴代志上 / 11章 11節 口語訳]

以下はダビデの勇士たちの名である。ハクモニ人イシュバアル。勇士の頭。槍を振るって一度に八百人を刺し殺した。

[サムエル記下 / 23章 8節 新共同訳]

ダビデの勇士たちの名簿は次のとおりである。ハクモニの子ヤショブアム、三十人隊の頭。槍を振るって一度に三百人を刺し殺した。

[歴代志上 / 11章 11節 新共同訳]



こうしてサウルの娘ミカルは死ぬ日まで子供がなかった

[サムエル記下 / 6章 23節 口語訳]

王はアヤの娘リヅパがサウルに産んだふたりの子アルモニとメピボセテ、およびサウルの娘メラブがメホラびとバルジライの子アデリエルに産んだ五人の子を取って、

[サムエル記下 / 21章 8節 口語訳]

サウルの娘ミカルは、子を持つことのないまま、死の日を迎えた。

[サムエル記下 / 6章 23節 新共同訳]

王はアヤの娘リツパとサウルの間に生まれた二人の息子、アルモニとメフィボシェトと、サウルの娘ミカルとメホラ人バルジライの子アドリエルとの間に生まれた五人の息子を捕らえ、

[サムエル記下 / 21章 8節 新共同訳]

注:サムエル下 21: 8は、英語の聖書でも版によりメラブとミカルがある


神は人間に似ているでしょうか、似ていないでしょうか?多くの方は創世記の言葉を思い出されると思います。

神はまた言われた、「われわれのかたちに、われわれにかたどって人を造り、これに海の魚と、空の鳥と、家畜と、地のすべての獣と、地のすべての這うものとを治めさせよう」。

[創世記 / 1章 26節]



  しかし、次の節によると、神は誰にも比べられるものではありません。

 
それで、あなたがたは神をだれとくらべ、どんな像と比較しようとするのか。

[イザヤ書 / 40章 18節]

聖者は言われる、「それで、あなたがたは、わたしをだれにくらべ、わたしは、だれにひとしいというのか」。

[イザヤ書 / 40章 25節]

大空のうちに、だれか主と並ぶものがあるでしょうか。神の子らのうちに、だれか主のような者があるでしょうか。

[詩篇 / 89篇 6節]

主よ、あなたに並びうる者はありません。あなたは大いなる者であり、あなたの名も/その力のために大いなるものであります。万国の王であるあなたを、恐れない者がありましょうか。あなたを恐れるのは当然のことであります。万国のすべての知恵ある者のうちにも、その国々のうちにも、あなたに並びうる者はありません。

[詩篇 / 89篇 6-7節]





もし、わたしが自分自身についてあかしをするならば、わたしのあかしはほんとうではない

[ヨハネによる福音書 / 5章 31節]

イエスは彼らに答えて言われた、「たとい、わたしが自分のことをあかししても、わたしのあかしは真実である。それは、わたしがどこからきたのか、また、どこへ行くのかを知っているからである。しかし、あなたがたは、わたしがどこからきて、どこへ行くのかを知らない。

[ヨハネによる福音書 / 8章 14節]



それから、彼らはエリコにきた。そしてイエスが弟子たちや大ぜいの群衆と共にエリコから出かけられたとき、テマイの子、バルテマイという盲人のこじきが、道ばたにすわっていた。

[マルコによる福音書 / 10章 46節]

すると、ふたりの盲人が道ばたにすわっていたが、イエスがとおって行かれると聞いて、叫んで言った、「主よ、ダビデの子よ、わたしたちをあわれんで下さい」。

[マタイによる福音書 / 20章 30節]



するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。

[マタイによる福音書 / 15章 24節]

そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えよ。

[マルコによる福音書 / 16章 15節]

彼女は男の子を産むであろう。その名をイエスと名づけなさい。彼は、おのれの民をそのもろもろの罪から救う者となるからである」。

[マタイによる福音書 / 1章 21節]


注:マタイ28:19「すべての国民」は「イスラエル全12部族」を指すと思われる(さもないと15:24,1:21と合わなくなる)。それは、英語の聖書新版でかつての"all nations" が"all the nations"に変えられていることからも判断できる

聖書 「聖書がムハンマド (saw) を預言」



まだたくさんあります。

聖書 「聖書の矛盾」


神が間違えたのでしょうか。そもそも、どうして版によって異なる箇所が無数にあるのでしょうか。

1957年の時点でキリスト教側は聖書に 50,000の間違いがあるとしました(Awake, Brooklyn, N.Y.)。それ以来かなりの数が訂正されていることは想像に難くありません。



マルコによる福音書を最後まで読まれたことはありますか?

最終章(第16章)を開いてみてください。9-20節が大きな〔 〕で括られています。

「マルコ16:9-20は、複数の信頼できる古い写本にはない」 と英語の聖書には説明書きがあります。

((The most reliable early manuscripts and other ancient witnesses do not have Mark 16:9-20.))

一時期挿入されていたようですが、新しい聖書では削除しているものもあるようです。

これは加筆、削除が行われている例として今挙げているのですが、同時に別の重要なことに絡んでいます。

それは、この部分はキリスト教徒が信じているイエスの復活について記された箇所であることです。イエス復活の話は加筆されたものであったわけです。

聖書 「復活?蘇生?」


聖書 「イエスは死ななかった」





また、聖書には預言者たちがお酒を飲んで泥酔したり、近親相姦等を行ったことが複数記されています。

聖書 「神と預言者に対する冒涜」



キリスト教徒のみなさまはこれを信じていらっしゃいますか? 後世の人たちが自分たちの悪行を正当化するために、預言者も悪行を行ったとして加筆した、という可能性はありませんか。人間を導くための預言者とするのに神が素質のない人を選ぶということが有り得るでしょうか。

ムスリムにとって、聖書のこのような記述は怒りさえ覚えさせるものです。ノア、ヤコブ、ロト、ダビデら、神に遣わされた尊い預言者たちが侮辱されているのですから。ムスリムは神がお選びになられた預言者全員を敬います。

イスラーム 「ムスリムは何を信じている?-使徒」






ろばに乗った者と、らくだに乗った者

主はわたしにこう言われた、「行って、見張りびとをおき、その見るところを告げさせよ。

馬に乗って二列に並んだ者と、ろばに乗った者と、らくだに乗った者 とを彼が見るならば、耳を傾けてつまびらかに聞かせよ」。

[イザヤ書 / 21章 6-7節]



イザヤは、これを受けて、こう記しています。

アラビヤについての託宣。

[イザヤ書 / 21章 13節]



聖書の次の箇所に見られる通り、イエスはろばに乗ってエルサレムに入りました。

さて、彼らがエルサレムに近づき、オリブ山沿いのベテパゲに着いたとき、イエスはふたりの弟子をつかわして言われた、 「向こうの村へ行きなさい。するとすぐ、ろばがつながれていて、子ろばがそばにいるのを見るであろう。それを解いてわたしのところに引いてきなさい。もしだれかが、あなたがたに何か言ったなら、主がお入り用なのです、と言いなさい。そう言えば、すぐ渡してくれるであろう」。 こうしたのは、預言者によって言われたことが、成就するためである。

[マタイによる福音書 / 21章 1-4節]



イエスは、ろばの子を見つけて、その上に乗られた。

[ヨハネによる福音書 / 12章 14節]




それでは、らくだに乗った者 は? イシマエルの子孫である預言者ムハンマド以外にいるでしょうか。 

イスラーム史の人物  「イスマーイールの直系子孫 ムハンマド (saw) までの系図」


ムハンマドでないのなら、この預言は2000年間成就されていないことになります。

ムハンマドについて聖書に記されている箇所はほかにもあります。

聖書  「聖書がムハンマド (saw) を預言」



ここに示してきたように、教会はイエスの教えを変え、聖書を変えました。そのために神はイエスの教えを再確認する次の-そして最後の-預言者を遣わされ、イエスの福音に続く啓典 聖クルアーンを齎されました。

イエスは日本語を話されたのでも、英語やギリシャ語を話されたのでもありません。聖書の原本は存在しません。

今日の聖クルアーンは預言者ムハンマドの生前に書き留められたものと一字も変わりなく、原本はユネスコにより承認されています。

聖クルアーン  「聖クルアーンとは?」



Preservation of the Quran



ムスリムはイエスを敬愛していると冒頭に記しました。それだけではありません。ムスリムは、イエスが神の霊、言葉でありメシアであること、奇跡的誕生、再臨を信じています。それというのも、預言者ムハンマドを通してそのように伝えられているためです。

イスラームの基礎知識  「イエス」 


聖クルアーン  「マルヤム(マリヤ)の子イーサー(イエス) 」 



聖書によるとイエスご自身が言われていますが、イエスはイスラエルに遣わされ (マタイ15:24)、その後にムハンマドが全人類のために遣わされました。(イスラームというとアラブの宗教、砂漠の宗教というイメージがあると思いますが、ムスリムの 90%以上は非アラブ人です。)

ムスリム  「世界のムスリム人口」 






マリヤの子イエス


イスラームにおいてもイエスとマリアは誰よりも敬われるべき存在とされています。預言者ムハンマドは、すべての女性のうちでもっとも優れている女性としてマリアを挙げました (自分の妻や娘の名を言うのではなく)。

イスラームの基礎知識  「マリヤ」 



イスラームの啓典 『聖クルアーン』 にも、イエス・キリストやその母マリアについて書かれてあります。聖書にあることも、またはないことも。マリア章という章もあります。
それというのも、ムハンマドが齎した啓典はイエスの福音を裏付けるために授けられたもので、ムハンマドが遣わされたのはイエスを確証するためであるからです。

聖クルアーン中のイエスとマリヤ




イエスたちの礼拝の仕方とムスリムたちの礼拝の仕方


ムスリムの礼拝のしかたはおかしいと言う方もいらっしゃいます。でも、イエスを含め、預言者たちが同じように平伏して祈っておられたことは聖書にも記されています。初期のキリスト教徒も同じようにしていましたが、多くのキリスト教徒はいつからかそれをやめてしまったようです。

さあ、われらは拝み、ひれ伏し、われらの造り主、主のみ前にひざまずこう。

[詩篇 / 95篇 6節]



彼は言った、「いや、わたしは主の軍勢の将として今きたのだ」。ヨシュアは地にひれ伏し拝して言った、「わが主は何をしもべに告げようとされるのですか」。

[ヨシュア記 / 5章 14節]



アハブは食い飲みするために上っていった。しかしエリヤはカルメルの頂に登り、地に伏して顔をひざの間に入れていたが、

[列王紀上 / 18章 42節]



そこでモーセとアロンは会衆の前を去り、会見の幕屋の入口へ行ってひれ伏した。すると主の栄光が彼らに現れ、

[民数記 / 20章 6節]



アブラムは、ひれ伏した。神はまた彼に言われた、

[創世記 / 17章 3節]


ムスリムの礼拝 「キリスト教徒も同じく」




また、ムスリムのするような沐浴(清め)も行われ、ムスリム女性が礼拝時に覆うように、頭部に覆いをすることが定められているようです。

その水でモーセ、アロンおよびその子らは、自分の手足を清めた。彼らが臨在の幕屋に入るとき、あるいは、祭壇に献げ物をささげるときは、水で清めるのを常とした。主がモーセに命じられたとおりであった。

[出エジプト記 / 40章 31-32節]



そこでパウロは、その次の日に四人の者を連れて、彼らと共にきよめを受けてから宮にはいった。そしてきよめの期間が終って、ひとりびとりのために供え物をささげる時を報告しておいた。

[使徒行伝 / 21章 26節]



祈をしたり預言をしたりする時、かしらにおおいをかけない女は、そのかしらをはずかしめる者である。それは、髪をそったのとまったく同じだからである。

[コリント人への第一の手紙 / 11章 5節]



ムスリムの礼拝 「沐浴のしかた(映像)」




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それでもあなた方が背き去るならば、

「わたしたちはムスリムであることを証言する。」

[聖クルアーン 3. アーリ・イムラーン章]