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![]() キリスト教徒の方々へ![]()
「クルアーン(コーラン)は聖書を否定するために書かれた。ムハンマドは聖書を読んだ後、悪魔にそそのかされて偶像であるアッラーという神に従った」 というキリスト教徒の方がいらっしゃいました。どこからそのように聞いているのか分かりませんが、事実とまったく異なります。 私たちの間の大きな共通点は、唯一の神を信じていること、イエスを敬愛していることです。
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| アッラーの神? |
異文化圏のメディアではよく 「イスラーム教徒は "アッラーの神" を信じている」 という言い方がされているので誤解を招き易いのですが、 「アッラー」 とは 「唯一の神」 を意味するアラビア語です。イエスも、神のことを 「アッラー」 のような発音で呼ばれていたと存じています (アラム語で)。 イスラームの基礎知識 「一番重要なことは?」 「アッラー(swt) 」 そして、「イスラーム」 というのは 「アッラーへの帰依」 を意味します。預言者の名前でも民族の名前でもありません。 「ムスリム」 は 「唯一の神に帰依している者」 という意味です。 イスラームの基礎知識 「イスラームとは?」 アブラハム、モーセ、イエス、ムハンマド、またそのほかの、神によって遣わされたすべての偉大な使徒、預言者たち (彼らの上に平安がありますように) が齎した共通の、唯一のメッセージは 「唯一の神を信ぜよ」 です。 キリスト教との違いは、アッラーは完全に一つであることです。 神は自存され、産みも生まれもなされない、死にもしない、永久に変化しない (「変化しない」というのはヤコブの手紙にも書かれていますね) 、比類なきお方である、とムスリムは信じています。 言え、「かれはアッラー、唯一なる御方であられる。 アッラーは、自存され、 御産みなさらないし、御産れになられたのではない、 かれに比べ得る、何ものもない。」 (『聖クルアーン』の日本語注解より) |
| イエスの宗教、モーセの宗教、アブラハムの宗教 |
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もしもイエスに 「宗教は何ですか?」 と伺ったとしたら、 「キリスト教」 とお答えになられると思いますか? 「キリスト教」 とお答えになられたら、「カトリックですか、プロテスタントですか、それとも異端とされた宗派ですか?」 と尋ねてみたいです。 イエスは 「キリスト教」 とは一言も言いませんでした。 聖書 「わたしの教ではなく、神の教え」 聖書には、「クリスチャン」 という言葉が三回出てきますが、イエスの死後のことで、どちらかというと部外者・敵たちによって使われ始めたようです。一回目は西暦43年・・・ ①
②
③
イエスは土曜日に礼拝をされ、律法を重んじ、明らかにモーセが齎した教えに従っておられたと思います。
では、モーセはご自分の宗教をなんという名前で呼ばれたのか、聖書にはありませんか? ユダヤ教とは言われていません。 モーセとアブラハムの神は同じでしたね。では、アブラハムはユダヤ教徒ですか? アブラハムはユダヤ人でさえありませんでした。どちらかというとアラブ人と言えるかもしれません。
アブラハムはカルデヤのウルに生まれました。メソポタミア、今のイラクの辺りです。 イスラーム 「イスラームは新しい宗教ではありません」 |
| 教会の教えはイエスの教えと一致する? |
イエスは、「イザヤが次のような適切な預言をした」 と言いました。
冒頭で述べたように、イエスは土曜日を安息日としていました。それを教会は日曜日に変更しました。 また、多神教の思想をキリスト教に取り入れてしまいました。
ローマ・ユリウス暦を元にし、ペルシャ発祥の太陽神 ミスラを祝う日、12月25日をイエスの誕生日に設定しました。 イエスが遵守した割礼を廃止 イエスは割礼を受けました
アブラハムとの間に契約を結ばれたとき、神は割礼について、以下のように 念を入れて確認されました。
アブラハム以降の全預言者が割礼を受け、 イエスが地上にいた間、割礼の契約は遵守されていました。 しかし、イエスが天に召された後に信仰に入ったパウロ(サウロ)は、割礼は必要ないと言いました。
このように、イエスの昇天後にキリスト代表団によって割礼は 「廃されました」。 「当時、割礼習慣のないギリシア人・ローマ人などから見ると、嫌悪すべき野蛮な風習とみなされていた」 そうです。(Wikipedia) キリスト教徒はアブラハムやイエスよりも、パウロや教団の方が確かであるとしてしまったのです。イエスは次のように言っていたのに
三位一体の理論 イエスの昇天3-4世紀後に確立 また、パウロはイエスを神の子であると言い始めました。その頃まだユダヤ教徒のシナゴーグで礼拝をしていましたが、パウロがこう言った為に、神は唯一であると信じているユダヤ教徒に追い出され、自分たちの教会が必要になりました (使徒行伝9:20、13:50、17:18、21:28、ルカ2:11)。 三位一体という言葉は聖書になく、イエスは自分は神であるとは一度も言いませんでした。 聖書・イエスの言葉 「唯一の、まことの神でいますあなた」 「善いのはわたしではなく神」 「イエスは 『わたしは神である』 と直接には言わなかったけれど、示唆しているところがたくさんある」 というお返事があると思います。 たとえば次のような節ですね?
この一節だけを見て、「イエスは神である」 と判断する前に、この節の前後を読んで文脈から考えてみてください。イエスの言っているのは、神の被造物を見て神の存在を知ることができる、というのと同様の事ではありませんか。 さもないと、次のイエスの言葉が嘘になってしまいます。
聖書・キリスト教徒がイエスを神とする根拠 言は肉体となった イエスは神のひとり子? 神様は大家族? イエスの奇跡 「『神の子』 と聖書に書いてある」 ということについては、上に挙げたリンク先で触れてあります。 「イエスは父親なくして誕生した」 というなら、父だけでなく母もなしに誕生したアダムのほうが上手ということになります。 さらに、このお二人よりも上手の方がいるのです。
父母どころか、初めもなく終わりもない人が神以外にいました。この方は メルキゼデク、サレムの王であり、いと高き神の祭司とのことです(ヘブライ人への手紙 / 7章 1節)。
「神の子」 と言った悪霊をイエスは戒めました。 ![]() 聖霊は神でありイエスですか? まず次の箇所を読んでください。
そして
マリヤがイエスを身篭ったことについて、マタイは 「聖霊」、ルカは 「天使ガブリエル」 と言っています。 つまり、聖霊は天使ガブリエルです。 それでは、天使ガブリエルは神ですか?
御使も子も、神とは違います。父だけがすべてをご存知です。 ![]() 三位一体は、イエスが天に召されて300-400年後に会議で決められました。 「こういうのが正統派」「こういうのが異端派」 という今ある区別が定められた第一ニカイア公会議はいい加減だったのかもしれないのではありませんか? こちら コンスタンティヌス1世 (Wikipedia) によると、一番最後の方(脚注のすぐ上) には、「判断の基準となったのはそれぞれの支持者の数だけであったという」 と書いてあります。 ここに書かれてある通り、まともな判断の基準もなく多数決だけで決まったのだとしたら、、、、すごいですね。それが「正統派」の土台を築いて、今でも三位一体を正当化する根拠として名前を挙げられる会議になっているのですから。キリスト教を認めたコンスタンティヌス皇帝のキリスト教徒間での人気ゆえでしょうか。 聖書・神とイエスの主従関係 神につかわされたイエス 神に祈るイエス 「三位一体の神というのは、私たちの理性や科学的常識では、理解することができないキリスト教の奥義」 キリスト教会では、この説明が一般になされているようです。 理性で理解できないことがよく会議で決められたものです。イエスがそう言ったのならともかく。 ![]() 信仰だけ。行いは必要ない?
イエスは 「言う者ではなく、行う者だけが、天国に入る」 と言われたのに、パウロが 「信仰のみでよい」 と決め、キリスト教会ではまたもイエスよりもパウロの言い分を取っています。 たとえば、ある牧師による説教の言葉を引用すると、 ところが、こともあろうにキリストの教会の内部から、この福音に反し、敵対する教えを伝える者達が現れてきたのです。彼らの主張は、主イエス・キリストを信ずる信仰は大切だけれども、本当に救われる為にはそれだけでは十分ではない。律法を守るという行ないも必要である。・・・・・・・ つまり、私共が救われるのに必要なのは信仰だけなのか、それとも他に良き業も必要なのかという問題です。パウロはもちろん、「信仰のみ」であると告げている訳であり、16世紀に起きました宗教改革も又、「信仰のみ」という旗印のもとになされたのであります。私共も、もちろんその立場に立つ訳です。 このようにイエスでなくパウロに従う教会に異議の声が挙がるのはもっともなように見えます。「よく言っておく」 とイエスが明言した言葉に従おうとした人々でしょう。
しかしイエスよりもパウロに従うことを選んだグループのほうが大きかったのですね。イエスの弟子ですらなかったどころか、イエスを迫害していたパウロに。 気高いイエスの言葉をことごとくひっくり返したパウロに、私は嫌悪の情を覚えます。
「おしゃべり」 という部分は英語では "babller" で、それは不明瞭な事をぶつぶつ言う感じです。人に敬意を払ってもらえるような話し方のできない人だったのですね。 そんなパウロにどうして軍配が上がってしまったのかと思いますが、「信じるだけでいい。行いはなくとも。」 という方がずっと楽だからでしょうね。同様なことを言うムスリム学者がたくさんいます、「信仰告白さえすれば、ムスリムである」 と。それは本来の教えから逸れているのですが、それに従うムスリムがほとんどです。 イエスの教えではない贖い 贖いと原罪の信条は、イエスが地上を離れてから300年後にニカイア公会議で採択されたものです。 イエスの教えではない証拠に、次の聖書の箇所と矛盾が生じています。
聖書 「神に祈るイエス」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||
| 聖書は神の言葉? |
「聖書は人が霊感を受けて書かれた」 とよく言われます。しかし、ルカはここでそう言っていません。ルカは見た人から伝え聞いたことを調べて書いています。(ルカはイエスにあったこともなく、ルカ福音書はイエスの死後50-100年とされています。) 聖書には間違いがないというキリスト教徒がたくさんいます。では、次の例はどう解釈しますか・・・
神は人間に似ているでしょうか、似ていないでしょうか?多くの方は創世記の言葉を思い出されると思います。
しかし、次の節によると、神は誰にも比べられるものではありません。
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注:マタイ28:19「すべての国民」は「イスラエル全12部族」を指すと思われる(さもないと15:24,1:21と合わなくなる)。それは、英語の聖書新版でかつての"all nations" が"all the nations"に変えられていることからも判断できる 聖書 「聖書がムハンマド (saw) を預言」 まだたくさんありますまだたくさんあります。 聖書 「聖書の矛盾」 神が間違えたのでしょうか。そもそも、どうして版によって異なる箇所が無数にあるのでしょうか。 1957年の時点でキリスト教側は聖書に 50,000の間違いがあるとしました(Awake, Brooklyn, N.Y.)。それ以来かなりの数が訂正されていることは想像に難くありません。 ![]() マルコによる福音書を最後まで読まれたことはありますか? 最終章(第16章)を開いてみてください。9-20節が大きな〔 〕で括られています。 「マルコ16:9-20は、複数の信頼できる古い写本にはない」 と英語の聖書には説明書きがあります。 ((The most reliable early manuscripts and other ancient witnesses do not have Mark 16:9-20.)) 一時期挿入されていたようですが、新しい聖書では削除しているものもあるようです。 これは加筆、削除が行われている例として今挙げているのですが、同時に別の重要なことに絡んでいます。 それは、この部分はキリスト教徒が信じているイエスの復活について記された箇所であることです。イエス復活の話は加筆されたものであったわけです。 聖書 「復活?蘇生?」 聖書 「イエスは死ななかった」 ![]() また、聖書には預言者たちがお酒を飲んで泥酔したり、近親相姦等を行ったことが複数記されています。 聖書 「神と預言者に対する冒涜」 キリスト教徒のみなさまはこれを信じていらっしゃいますか? 後世の人たちが自分たちの悪行を正当化するために、預言者も悪行を行ったとして加筆した、という可能性はありませんか。人間を導くための預言者とするのに神が素質のない人を選ぶということが有り得るでしょうか。 ムスリムにとって、聖書のこのような記述は怒りさえ覚えさせるものです。ノア、ヤコブ、ロト、ダビデら、神に遣わされた尊い預言者たちが侮辱されているのですから。ムスリムは神がお選びになられた預言者全員を敬います。 イスラーム 「ムスリムは何を信じている?-使徒」 |
| ろばに乗った者と、らくだに乗った者 |
イザヤは、これを受けて、こう記しています。
聖書の次の箇所に見られる通り、イエスはろばに乗ってエルサレムに入りました。
それでは、らくだに乗った者 は? イシマエルの子孫である預言者ムハンマド以外にいるでしょうか。 イスラーム史の人物 「イスマーイールの直系子孫 ムハンマド (saw) までの系図」 ムハンマドでないのなら、この預言は2000年間成就されていないことになります。 ムハンマドについて聖書に記されている箇所はほかにもあります。 ここに示してきたように、教会はイエスの教えを変え、聖書を変えました。そのために神はイエスの教えを再確認する次の-そして最後の-預言者を遣わされ、イエスの福音に続く啓典 聖クルアーンを齎されました。 イエスは日本語を話されたのでも、英語やギリシャ語を話されたのでもありません。聖書の原本は存在しません。 今日の聖クルアーンは預言者ムハンマドの生前に書き留められたものと一字も変わりなく、原本はユネスコにより承認されています。 聖クルアーン 「聖クルアーンとは?」 ![]() Preservation of the Quran ムスリムはイエスを敬愛していると冒頭に記しました。それだけではありません。ムスリムは、イエスが神の霊、言葉でありメシアであること、奇跡的誕生、再臨を信じています。それというのも、預言者ムハンマドを通してそのように伝えられているためです。 イスラームの基礎知識 「イエス」 聖クルアーン 「マルヤム(マリヤ)の子イーサー(イエス) 」 聖書によるとイエスご自身が言われていますが、イエスはイスラエルに遣わされ (マタイ15:24)、その後にムハンマドが全人類のために遣わされました。(イスラームというとアラブの宗教、砂漠の宗教というイメージがあると思いますが、ムスリムの 90%以上は非アラブ人です。) ムスリム 「世界のムスリム人口」 |
| マリヤの子イエス |
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イスラームにおいてもイエスとマリアは誰よりも敬われるべき存在とされています。預言者ムハンマドは、すべての女性のうちでもっとも優れている女性としてマリアを挙げました (自分の妻や娘の名を言うのではなく)。 イスラームの基礎知識 「マリヤ」 イスラームの啓典 『聖クルアーン』 にも、イエス・キリストやその母マリアについて書かれてあります。聖書にあることも、またはないことも。マリア章という章もあります。 それというのも、ムハンマドが齎した啓典はイエスの福音を裏付けるために授けられたもので、ムハンマドが遣わされたのはイエスを確証するためであるからです。 |
| イエスたちの礼拝の仕方とムスリムたちの礼拝の仕方 |
ムスリムの礼拝のしかたはおかしいと言う方もいらっしゃいます。でも、イエスを含め、預言者たちが同じように平伏して祈っておられたことは聖書にも記されています。初期のキリスト教徒も同じようにしていましたが、多くのキリスト教徒はいつからかそれをやめてしまったようです。
ムスリムの礼拝 「キリスト教徒も同じく」 また、ムスリムのするような沐浴(清め)も行われ、ムスリム女性が礼拝時に覆うように、頭部に覆いをすることが定められているようです。
ムスリムの礼拝 「沐浴のしかた(映像)」 |
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それでもあなた方が背き去るならば、
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