http://islaam.ninja-x.jp/prayererrors.htmイスラームの本 - 礼拝にみられる誤り
礼拝にみられる誤り
アラビア語での用語表記が多数あります
また、ムスリムになったばかりでこれから礼拝の仕方を学ぼうとする方には当ホームページで配布している『サラート』から入ることをお勧めします |
礼拝で避けるべき誤り
礼拝 (サラート) はイスラームの最も重要な柱のうちの1つです。アッラーの使徒 (saw) は、復活の日に人が第一に問われることは礼拝についてであると言いました。アブ フライラはアッラーの使徒 (saw) が次のように言うのを聞きました。
復活の日に人が問われる第一の崇拝行為は礼拝である。もし正しく行われていたなら 1、人はきっと成功し繁栄する。そうでなかったら、きっと失敗し損失する。しかし礼拝が不完全なら、至高なる主は (天使たちに) 仰せられる、『わがしもべが義務の礼拝の埋め合わせのために義務以上の礼拝 (ナフル) を行ったか見てきなさい。残りの行いは同様に評価されるであろう。』 2
ブライダはアッラーの使徒 (saw) が次のように言ったと伝えています、「私たちと彼ら (イスラームに入信した人) の間の契約 3 は礼拝である。怠った人は不信者となる。」 4
他方でアッラーは礼拝を行い、礼拝に細やかな信徒に多大なる報奨を用意されました。 完全な礼拝は罪を消します。アブ フライラはアッラーの使徒 (saw) が次のように言うのを聞きました。「家のドアの すぐのところを川が流れていて一日に五回身体を洗うことを考えてみなさい。その人に汚れがついているだろうか。」 みなは答えた、「何の汚れもついていないでしょう。」 アッラーの使徒 (saw) は言った、 「サラーも同じである。それとともにアッラーは罪を消される。」 5
したがって、イスラームの兄弟姉妹のみなさん、礼拝を規則正しく行うこと、正確に行うことはとても重要です。学派に従って、両親や先生に教わった方法に従って、礼拝を行っているかもしれません。しかし、従うべき人はアッラーの使徒 (saw) だけであることをいつも覚えているべきです。39 天使は、墓であなたにこうは聞かないでしょう、「このイマームに従ったのか、あのイマームに従ったのか。」 あなたのイマームはその時あなたと一緒にはいません。復活の日にあなたを守ってくれることもありません。
ここに挙げた慣例は、真正であることが証明できるものです。イマーム アフマドの言うように、アッラーの使徒 (saw) の真正なスンナを拒否する人は自分を破滅にさらすようなものです。
以下にあるのは礼拝時ムスリムに見られがちな誤りです。アッラーがこの崇拝行為を受け入れて報奨を与えてくださるように、そのような誤りは避けなければなりません。
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1. 足首の下まであるズボンや服を着ること
これは大きな罪の一つです。アブ ザッル はアッラーの使徒 (saw) が次のように言ったと伝えています、3種類の人には、復活の日、アッラーはお声をかけてくださらない、見てもくださらない、清めてもくださらない。苦しい責苦があろう。それは、くるぶしの下まである衣服を着ている人、アルマナーン 6、
偽りの誓いを立てて物を売る人(商人)である。7
くるぶしの下まである衣服を着るのは、礼拝時だけ気をつければ罪ではないと考える人もいれば、プライドのために着た時だけそのような服を着るのは罪になるのであり、そうでなければ悪いことにならないと信じる人もいます。しかしながら、上述の伝承からも他の多くの伝承からも、(男性が)くるぶしの下まである衣服を着るのは大きな罪であることは明らかです。習慣によるものであろうとプライドからであろうと関係ありません。
そのほかの真正な伝承では、プライドのためにくるぶしの下まである服を着ると、さらに厳しい罰が課せられるということが、強調されています。
アブ フライラ はアッラーの使徒 (saw) が次のように言ったと伝えています、くるぶしの下まである衣服の部分は(復活の日の)火(の罰)となる。8
兄弟たちが礼拝のためにズボンの裾を捲っているのがよく見られます。しかしながら礼拝が終わるとすぐにズボンの裾を戻します。多くのムスリムは、礼拝中だけくるぶしの下まである衣服を着ることが禁じられていると信じていますが、それは間違いです。そのように信じているムスリムは、預言者 (saw) が服を捲って礼拝することを禁じた9 のに気付いていません。その禁止事項に基づき、袖やズボンを捲って礼拝することが非合法であることに学者は合意しています。
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2. 礼拝に行く前に ニンニクや玉ねぎのような臭いの強いものを食べたり、タバコを吸ったり 10すること
天使も礼拝する人もいやな臭いに煩わされます。 実のところ、それどころか、できればモスクに入る前に香水をつけるのがよいのです。ジャービルはアッラーの使徒 (saw) が次のように言ったと伝えています、(ニンニクや玉ねぎのような) 臭いのきつい植物を食べた人はモスクの近くに寄らないようにしなさい。人間が煩わしく感じるものを天使も煩わしく感じるから。11
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3. 礼拝に遅れることを心配してきびきび歩いたり走ったりしてモスクへ進むこと
すでに礼拝している人のじゃまになる行為です。アッラーの使徒 (saw) は言いました、礼拝がすでに始まっていたら、急ぎ足で行って加わろうとしないように。静かに穏やかに進んで、入れる段階のところから加わりなさい。そして間に合わなかったところを終わらせなさい (つまり、イマームが礼拝を終えた後に)。12
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4. ルクーウ時にタクビーラト ル イフラムを言うこと
モスクに遅れて来て、すでに始まっている礼拝に加わる人の多くは急いで同じ姿勢を取ろうとします。人々がルクーウをしている間にタクビーラト ル イフラムを言ったり、その場で進行中のラカアを逃さないようにと、立礼中に礼拝開始のタクビールを言います。しかし、タクビーラト ル イフラムを言うことが出来るのは直立の姿勢のときだけです。
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5. ニヤ (意思) を口の中でつぶやいたり 聞こえる声で低く言うこと
意思を示すのは心の中です。これから礼拝をしようという時に「○○の礼拝をします」「○ラカートします」とつぶやいたり、「断食をします」「○○の崇拝行為をします」などのような言葉を言うのはビドアで、預言者 (saw) も教友もその後続の信徒たちもしなかったことです。
今挙げたようなニヤの言葉を口にすると、そのニヤを言う人の口にシャイターンが関係ない言葉をのせてしまいます。これまでに、ズフルの礼拝に立ちながら、「イシャの4ラカートをします」と言ったり、アスルの礼拝に立ちながら代わりにファジュルの礼拝をすると言った覚えはありませんか。そういう混乱はシェイターンが作るのです。だまっていたなら、シェイターンにあなたをまごつかせる機会はありません。
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6. サラーはじめのタクビール、ルクーウの前後、3度目のラクアのために立ち上がる時に手を挙げないこと
アブドッラー ビン ウマルは言いました、「私は、礼拝を始める時と ルクーウで体を曲げる前と 再び立った時に 預言者 (saw) が肩のところまで手を挙げるのを見た。」13
ジャナーザやイード、雨乞いの礼拝の最初のタクビールに続いてタクビールの度に手を挙げることは勧められません。アッラーの使徒 (saw) は両手を胸の上においていました(礼拝で立っている間)。 14
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7. 礼拝はじめのドゥア (タアウウズ と バスマラ) を言わないこと
タアウウズ は 「アウーズビッラーヒミナッシャイターニッラジーム」 と言うこと。バスマラは、「ビスミッラーヒッラフマーニッラヒーム」 と言うこと。
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8. ストラを前にして礼拝しないこと
ストラは、壁や柱など、礼拝するときに前にする物のことです。床や地面に置いて、礼拝中に誰かが前を横切らないようにするためにストラとして置くものならなんでもいいのです。アッラーの使徒は言いました、ストラの前で礼拝し、礼拝中に誰も前を横切れないようにしなさい。もし誰かが無理に通ろうとしたら、その人にはシェイターンがついているのだから、力ずくでもそれをやめさせなさい。15
そしてまた言いました、あなたがたの誰でもストラの前で礼拝する時は、シェイターンに礼拝を無効にされないように、ストラの近くで礼拝するようにしなさい。16
上の伝承で、ストラなしで礼拝する人の前をシェイターンが横切り、気付かぬうちに礼拝を無効にされることが明らかに示されています。戸外で礼拝する時でも、前にストラを置く必要があります。
アッラーは仰せられています、まことに、彼(シェイターン)とその仲間は、あなたを見ている。あなたのほうでは見えなくとも。17
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9. 集団礼拝で進んで一番前に並ぼうとしないこと
アッラーの使徒 (saw) は言いました、アザーン (礼拝への呼びかけ) をすることの価値、(それをすることによる)大きな報奨、(集団礼拝で) 最前列に立つことの徳に気付いていて、(誰がアザーンをするか、最前列に立つかを決めるために)くじ引きをするよりほかにないとしたら、当然そうすることだろう。また、(集団) 礼拝に早く行くことの重大性を知っていたら、(一番にモスクに着こうと) 互いに競争しあっただろう。イシャとファジュルの礼拝 (にモスクへ行くこと) の報奨の大きさを知っていたら、這ってでも行っていただろう (たとえ障害のある人でも、大きな報奨を逃すのが気懸かりで這って来るだろう)。18
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10. 礼拝時に上方を見つめること、イマームを見ること、左右を見ること
これをすると集中力を失うことがあります。私たちは視線を下げ、スジュードの時に頭がつくところを見るよう命じられています。預言者 (saw) は注意しました。礼拝中に視線を上げる者がいたら、それをやめさせなさい。さもなければ視覚は戻らなくなるだろう (つまり、視力を失う)。(ムスリム)
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11. 集団礼拝で間を空けて並ぶこと
アッラーの使徒 (saw) は命じました、並ぶ線を真っ直ぐにし、肩を合わせ、隙間を埋めなさい。シェイターンは (線の) 隙間を通り抜けるから。19
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12. アル ファーティハ章を各節ごとに切らずに早く読誦すること
預言者 (saw) はこの章では各節ごとにポーズをとるのが常でした。20
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13. 礼拝中にそわそわする、腕時計を見る、指や衣服をいじくる、足や身体のほかの部分を落ち着きなく動かしたりすること
このような行いすべては礼拝の報奨を減少させます。従順、敬虔であることが礼拝を受け入れていただける条件です。アッラーのご命令にそれが表れています。敬虔にアッラーの御前に立て 21
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14. 集団礼拝時、ムクタディがクルアーンを手にして読み、イマームの読誦をチェックすること
これはその行為者の注意を散漫にし、集中力の妨げになります。サラーの間は非難される行動です。
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15. 集団礼拝時、イマームと一緒に読誦すること、イマームと同時またはその前に動くこと
アッラーの使徒 (saw) は言いました、イマームより先に動いてはいけない。イマームが 「アッラーフアクバル」 と言ったら、「アッラーフアクバル」と言い、「ワラッダーリーン」と言ったら、「アーミーン」 と言いなさい。 別の言い伝えでは、こう言ったとあります、まことに、イマームは後に続いてもらうためにいるのである。 22 また、このようにも言いました。 イマームより先に頭を挙げる者は、アッラーがその頭をロバの頭に変えられることを怖れないのか。23
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16. ルクーウ時に頭を極端に下げる、または上に押し上げる、背中を弓なりに曲げること
ルクーウの時、頭は通常の位置に保ち、背中のほうは真っ直ぐにし、足から直角になるようにします。
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17. ルクーウやスジュードで腕を体の横につけていること、スジュード時にお腹を腿につけること
アッラーの使徒 (saw) は言いました、あなたがたのうち誰も (スジュードの時)犬のように前腕で体を支えないように。手の平で支え、肘は体から離しておくよう。24 アッラーの使徒 (saw) はルクーとスジュードの時はいつも腕を体から離していて、腋の白さが見えました。25
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18. 礼拝時に背中の一部が現れること
小さく短いシャツ、きつめのズボン、浅いズボンなどを着用していると、体を折ったり平伏したりする時に背中や腰が見えてしまうことがあります。それはアウラで、常に覆っておかなくてはならない部分です。礼拝中に背中の一部でも見えると礼拝は無効になります。
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19. イマームがアル ファーティハ章の最後「ワラッダーリーン」を唱えた時、タアミーン (「アーミーン」ということ) を大きな声で言わないこと
預言者 (saw) は命じました、イマームが「ワラッダーリーン」と言ったら、「アーミーン」 と言いなさい。天使たちも「アーミーン」と言い、イマームも「アーミーン」と言っているのだから。アーミーンというのが天使のアーミーンと重なった者については、アッラーはその人の過去の罪を赦して下さる。26 別の言い伝えでは、 預言者 (saw) は言いました、そうしたら、「アーミーン」 と言いなさい。アッラーがあなたを愛してくださるから。27
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20. スジュード時に頭の先端だけを床につけること
預言者 (saw) は言いました、「私は、七つの骨をつけて平伏するように命ぜられている。額と鼻、両手 (両の手の平)、両膝、両足である。」 28
この命令に適合させるにはスジュードの間、床に額と鼻をつけることを余儀なくされます。
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21. ルクーウやスジュード時に静止することなく急いで行う礼拝
アッラーの使徒 (saw) はルクーウ (前屈するおじぎの姿勢)を完了せず、とても短いスジュード (平伏)をしている人を見て、言いました。このようなやり方で礼拝をしているうちに死んだら、ムハンマドの宗教以外の宗教を保持したまま死ぬことになるだろう。 アブ フライラ (彼にアッラーのご満悦あれ) は言いました。「親愛なる友よ、ムハンマド (saw) は私に、次のような礼拝のしかたを禁じた。雄鶏がついばむ姿を真似たようにすること (礼拝を素早く行うことを意味する)、狐のように辺りに目を動かしながらすること、猿のようにうずくまること (腿の上にうずくまること)。29
アッラーの使徒 (saw) は言いました、もっとも悪い盗人は自分自身の礼拝から盗む者である。 人々はたずねました、「アッラーの使徒よ、どうして自分の礼拝から盗むことが出来るのでしょうか。」 アッラーの使徒は答えました、ルクーウとスジュードを完全に行わないことによってである。30
ルクーウを完全に行うということは、「スブハーナラッビヤル アズィーム」 と三度、ゆっくりと唱えることができるほどの長さはその姿勢を保つことで、スジュードの場合は、「スブハーナラッビヤル アアラー」 と三度、ゆっくりと唱えることができる長さはそのままでいることです。アッラーの使徒 (saw) はまた言いました、ルクーウとスジュードを完全に行わない者は、礼拝は無効である。31
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22. ファジュルやジュムアの礼拝の最後のラカア時、タワッルクの姿勢で座ること
タワッルクの姿勢を取ることはとても良いことですが、ズフル、アスル、マグリブ、イシャの礼拝の最後のラクア時だけです。
サヒーフ アル ブハーリーに描写のあるタワッルクは、座位で左腿に体をもたせかけ、左の足首から先の部分を右足の下に置き、右の足先は立てます。そして、左手で体を支えますが、左手は左ひざをつかみます。
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23. 礼拝終了時に 「アッサラーム アライクム ワラフマトッラー」を言いながら手の平を動かすこと
預言者 (saw) は教友の何人かがそうしているのを見て反対しました、あなたたちが手を野馬の尻尾のように動かすのが見られるのはどういうわけか。 その動作をした教友たちは二度とそうすることはありませんでした。32
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24. タスビーフを左手で数えること
預言者 (saw) はサラーの後、右手の指でタスビーフを数えるのが常でした。アブドラ ビン アムルはアッラーの使徒 (saw) が次のように言ったと伝えています、2つの善い行い(がある)。ムスリムは誰でもそれをすればジャンナに入れるのだが、それをする人はほとんどいない。「スブハーナッラー」を10回と 「アルハムドリラー」を10回と 「アッラーフアクバル」を10回言うことである。 「それで、私はアッラーの使徒 (saw) が (日本語訳者注:片)手でそれを数えているのを見た。」 イブン クダマは言いました、「アッラーの使徒 (saw) はタスビーフに右手を使っていた。」33
上に挙げた伝承から、タスビーフを数えるのに預言者 (saw) が片手だけを使っていたことが明らかです。正常な精神のムスリムなら預言者 (saw) がタスビーフを数えるのに左手を使っていたとは想像しないでしょう。アーイシャ(彼女にアッラーのご満悦あれ)は預言者 (saw) が左手を使ったのはイスティンジャア、用を足した後きれいにするためだけであったと言っています。左手は決してタスビーフのためには使いませんでした。ヤスィラは伝えています、「預言者 (saw) は女性に指でタスビーフを数えるように命ぜられました。」
アッラーの使徒 (saw) は言いました、(復活の日)それら(指)は話すようにされ、質問される 34
上の伝承は、マスバハ(数珠、ロザリオ)よりも右手の指でタスビーフを数えるほうが望ましいということを示しています。
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25. 義務の礼拝終了直後に 「タカッバラッラー」「ハラマーン」と言って他の礼拝者と握手すること
これはビドアで、預言者の教友もその次の世代の信徒 (彼らにアッラーのご満悦あれ) も行わなかったことです。
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26. 礼拝が終わるとすぐにドゥアのために手を挙げること
これはアッラーの使徒 (saw) の慣例ではありません。スンナはサラーが終わったすぐ後にズィクルを始めることです。アッラーの使徒 (saw) は言いました、「アッタヒーヤート・・・・」(タスリームのすぐ前)を唱えたら、好きなドゥアを選びなさい35
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27. 礼拝後、タスリームの直後に歩き去り、ズィクルをしないこと
ズィクルは、「スブハーナッラー」を33回と 「アルハムドリラー」を33回と 「アッラーフアクバル」を33回唱えること、「ラーイラーハイッラッラー」を10回唱えること、アーヤト ル クルスィ [つまり、第2 雌牛章 255 節 ] を唱えること、或いはほかにも真正なズィクルがあります。
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28. 礼拝している人の前を横切ること
アッラーの使徒 (saw) は注意しました、礼拝をしている人の前を横切る者は、その事の重大性を知っていたら、前を横切るよりも40の間待つことだろうに。36
伝承にある「40」は日かもしれないし、月、年であるかもしれない。アッラーがもっともよくご存知であられる。
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29. 気分の悪いとき、病気のときに礼拝を怠ること
サラーはイスラームでもっとも重要な柱のうちの一つです。アッラーの使徒 (saw) は病気の時も、敵と戦っている間も決して礼拝を怠りはしませんでした。礼拝はどんなことがあっても行わなくてはなりません。もし合法的な理由で沐浴ができないなら、両の手の平で地面をたたいてから顔と手をぬぐうやり方で、水を使わない清め、タヤンマムを行います。もし礼拝に立つことができないなら、すわったまま、或いは横向きに横たわったままで礼拝することができます。それができなければ、ルクーウでは目を上に動かし、スジュードでは下に動かし、というやり方で礼拝の他の部分もそうして十分礼拝できます。
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30. 墓場で礼拝をすること
● アッラーの使徒 (saw) は言いました、墓で礼拝をしてはいけない、墓の上にすわってもいけない37
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● 使徒 (saw) は命ぜられました、私がしているのを見たとおりに礼拝しなさい。38
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脚注
[1] 正確に礼拝を捧げるということは、個人が信奉する宗派に従うのでなく、慣例のみに従って捧げるということであることに留意する必要があります。
[2]Sahih Sunan at-Tirmidthi.
[3] この伝承は、アッラーが使徒 (saw) を通じてムスリムと交わし、1日五回の礼拝を義務付けた契約について言及しているものです。サラートを怠ることは背教を意味します。
[4]Sunan an-Nasaa'ee and Sunan ibn Majah
[5]Sunan an-Nasaa'ee
[6] アルマナーンは、それを受け取る人の対面を傷つけるためだけに物を与える人のことです。
[7]Sahih Muslim. 上の伝承は、なんとかして商品を買わせようと、自分には何の利益もないとか仕入れるのに高くついたなどと嘘をついて断言する商人に触れています。
[8]Sahih al-Bukhari
[9]Sahih Muslim
[10] 喫煙はハラームであるということは心に留めておかなくてはなりません。モスクへ向かう直前の喫煙はさらに悪いのです。
[11]Sahih Muslim.
[12]Sahih Bukhari & Sahih Muslim.
[13]同上
[14]Al Bukhari, Abu Dawood & others.
[15]Ibn Khuzaimeh
[16]同上
[17]7.27
[18]Sahih Muslim
[19]Imam Ahmad and others.
[20]Abu Dawood
[21]2.238
[22]Sahih Muslim
[23]同上
[24]同上
[25]同上
[26]Sahih Bukhari & Sahih Muslim
[27]Sahih Muslim
[28]同上
[29]Imam Ahmad & at-Tayalisi
[30]At-Tabarani & al-Hakim
[31]Abu Dawood & others.
[32]Abu Dawood & an-Nasaa'ee
[33]Abu Dawood
[34]At-Tirmidhi
[35]An-Nasaee
[36]Sahih al-Bukhari, Sahih Muslim
[37]Sahih Muslim and others
[38]Sahih al-Bukhari
[39](イスラームの本管理人による注:)いずれかの法学派に従わなければならないという決まりはありません。それははっきりしていることです。使徒 (saw) は人々に、啓典とスンナに従うように言われました。分からないときは啓典とスンナの中に答えを探し、それでも分からないときに法学派の意見を参考にすればよいのです。
根拠